09.2/2 286回
【常夏(とこなつ)】の巻】 その(11)
弘徽殿女御の女房で大輔(たいふ)の君という人が、近江の君の文を解いてお見せしますと、女御はお読みになって、ほほえまれてお置きになりましたのを、もう一人の女房の中納言という人が、近くに寄ってつくづくと見て、「たいそう洒落たお文のようでございますね」と申し上げます。女御は、
「草の文字はえ見知らねばにやあらむ、本末なくも見ゆるかな」
――私には草体の字が読めないせいか、この歌は上と下の意味が通っていないようにみえますこと――
と、女房にお渡しになりながら、お返事を中納言におまかせになります。近江の君は女御の御妹君ですので、おおっぴらに笑う訳にもいかず、けれども可笑しくて皆笑い合っております。使いの者がお返事をと急かしますので、中納言が、
「をかしきことの筋にのみまつはれて侍るめれば、聞こえさせにくくこそ。宣旨書きめきては、いとほしからむ」
――面白い引き歌づくめのお手紙ですので、お返事が書きにくくて。代筆ではお気の毒ですから――
と言って、いかにも女御の直筆らしく、
「ひたちなるするがの海のすまの浦に浪立ちいでよ箱崎の松」
――常陸なる駿河の海の須磨の浦に浪立ち出でよ箱崎の松(ただ地名を並べただけのうた)――
と書いてお見せになりますと、女御は
「あなうたて、まことに自らのにもこそ言ひなせ」
――まあいやですこと、本当に私の歌として言いふらしますよ――
と、迷惑そうにおっしゃるけれど、中納言は、「それは聞く人が聞けば分かりましょう」と言って、押し包んで使いの者に渡されます。
近江の君は、その文を見て、
「をかしの御口つきや、まつと宣へるを」
――面白い歌ですこと、「待つ」とおっしゃておいでだわ――
と、甘ったるい薫物(たきもの)の香を、幾度も衣装に薫き込めていらっしゃる。口紅もたいそう赤くつけて、髪を梳いて身支度をなさるのが、それはそれで派手やかで愛くるしい。
「御対面の程、さし過ぐしたることもあらむかし」
――さぞかし、ご対面の際は、出過ぎた振る舞いがあることでしょう――
◆甘ったるい薫物(たきもの)=薫物の中に多く蜜を加えたもの。蜜が多すぎるのは下品とされていた。
【常夏(とこなつ)】の巻】おわり。
ではまた。