永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(290)

2009年02月06日 | Weblog
09.2/6   290回

【野分(のわき)の巻】  その(1)

引き続き同年の秋八月。
  源氏(太政大臣) 36歳
  紫の上      28歳
  夕霧(中将の君) 15歳
  秋好中宮     27歳
  明石の姫君     8歳
  雲井の雁     17歳
  玉鬘       22歳
  内大臣(前頭の中将)
  三條の大宮(内大臣の母君、夕霧の祖母)

「中宮の御前に、秋の花を植えさせ給へること、色種をつくして、よしある黒木赤木のませを結ひまぜつつ、(……)心もあくがるるやうなり」
――秋好中宮の御方の庭前には、秋の花々を昨年植えさせなさったのが、ありとあらゆる色に咲いて、皮のままの木や皮をとった木の、ませ垣を所どころに結って、(同じ花の枝ぶりにしても、朝夕の露の光も他とは違って、春の山の風情も忘れてしまうほど、涼しげに面白く)魂もそぞろにあくがれ出そうです――

「春秋のあらそひに、昔より秋に心寄する人はかずまさりけるを、名だたる春の御前の花園に心よせし人々、またひきかへしうつらふ気色、世の有様に似たり」
――春秋の優劣では、秋に心を寄せる人が多かったのですが、ご評判の春の御殿の花園に味方した人々も、今度はまた中宮の庭前に心が移る有様は、いかにも定めのない世の有様に似ています――

 中宮は、このお庭の気色のお気に召すまま、御所にもお帰りにならず、お里住みの日々が続きます。日増しに美しく咲き盛っていく様子を眺めておりますこの年は、例年になく野分(のわき=嵐)が吹き荒れて、

「暮れゆくままに、物も見えず吹きまよはして、いとむくつけければ、御格子など参りぬるに、うしろめたくいみじ、と花の上を思し歎く」
――日が暮れてゆくうちに、物の影も見えず吹き荒んで、ひどく恐ろしいので、御格子を下ろすにつけても、花々のことが心配で、中宮はお気にやまれております――

 南の御殿でも小萩に風が吹きつけて、折り返り、露も止めずに吹きつけていますのを、紫の上はご心配気に端近くまでお出でになってご覧になっています。源氏は明石の姫君の所にお出でになっていらっしゃる所に、中将の君(夕霧)がお見舞いに来られて、

「東の渡殿の小障子の上より、妻戸のあきたる隙を、何心もなく見入れ給へるに、女房のあまた見ゆれば、立ちとまりて、音もせで見る」
――東の渡殿の小さい小障子の上から、妻戸の開いている隙間を何気なく覗いてごらんになりますすと、女房たちの影が数多く見えますので、そのまま立ち止まって、そっと見ていらっしゃる――

◆ませ=籬=竹や木で作った、目が粗く低い垣根、籬(まがき)

ではまた。

源氏物語を読んできて(寝殿造・妻戸)

2009年02月06日 | Weblog
 寝殿造・妻 戸(つまど)と遣 戸(やりど)

 妻戸(つまど)は両開きの板扉であり、遣戸(やりど)は敷居(しきい)と鴨居(かもい)の溝にはめられた引戸、という構造上の違いがある。

 寝殿(しんでん)では、固定して設置された建具といえば、 塗籠(ぬりごめ)のように密閉された部屋は別として、母屋(もや)と北廂などを仕切る襖(ふすま) 、廂(ひさし)と簀子(すのこ)の間にあって室内と室外を仕切る格子(こうし)ということになるが、 室内の出入りのために東西両側妻の南北には両開きの扉が設けられた。

 これが妻戸で、もともとは妻側に設置されたことによる名称であるが、後にはほかの場所にも設けられた。
  対屋(たいのや)から 渡殿(わたどの)や透渡殿(すきわたどの)を通って寝殿(しんでん)(正殿)に行く場合、 ちょうど正面に当たり、寝殿への便利のために この位置に設けられたのである。

 この「野分」では、 源氏の長男の夕霧が、渡殿を通って紫の上のいる春の御殿(おとど)の寝殿に行く際、折からの野分(のわき)(台風)の風で開いた妻戸の隙間から、彼女の美しい姿を垣間見(かいまみる)、という情景が描かれている。

 いっぽう、遣戸(やりど)はこの時代にはまだあまり使用されず、平安後期になって用いられた。細い 横桟を密に取り付けた舞良戸(まいらど)が一般的で、内側には障壁画を貼り付けたりした。

◆写真と参考:妻戸   風俗博物館