永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(306)

2009年02月22日 | Weblog
09.2/22   306回

【行幸(みゆき)の巻】  その(4)

源氏は、玉鬘からのお返事をご覧になって、紫の上に、

「しかじかの事をそそのかししかど、中宮かくておはす、ここながらのおぼえには、便なかるべし。かの大臣に知られても、(……)」
――玉鬘に宮仕えをお勧めしましたが、考えてみると、秋好中宮もああしておられますし、同じ私の娘として帝の寵を受けるのは具合が悪いでしょう。(内大臣に打ち明けたとしても、あちらでは弘徽殿女御がおられるし、それでなくてもこちらを気にしていらっしゃる。若い女なら、帝をちらっとでも拝したなら、宮仕えを厭がる者はなかろうし…)――

 紫の上は、お笑いになりながら、

「あなうたて、めでたしと見奉るとも、心もて宮づかへ思ひたたむこそ、いとさし過ぎたる心ならめ」
――まあ、いやですこと。帝をいくらご立派とお見上げしても、自分から宮仕えを考えるなど、余りにも出過ぎたお考えでしょうに――

 そうおっしゃりながら、源氏はまた、玉鬘の返し文に(歌)、

「あかねさす光は空にくもらぬをなどてみゆきに目をきらしけむ」
――み光は曇りもなくご立派ですのに、雪のために目が霞んで見えなかったとは、どうしてでしょう――

 宮仕えを決意なさい、というものでした。

 それはそうとして、源氏は、先ず裳著(もぎ)を急がねばならないと、実に立派に仰山な程のご準備をなさり、式は翌年の二月にとお決めになったようです。

源氏は思いめぐらします。

 玉鬘も今は自分の娘として、とおしているものの、もしも思い通りに宮仕えが叶うとすると、藤原氏を源氏と偽ることになるので、春日明神に背くことになる。その上、

「つひには隠れて止むまじきものから、あぢきなくわざとがましき、後の名までうたてあるべし。(……)親子の御契り絶ゆべきやうなし、同じくばわが心ゆるしてを知らせ奉れむ、など思し定めて」
――結局は隠し通せるものではないのに、つまらなくわざとらしい評判を、後後まで受けるのは嫌なことだ。(今では氏を改めることも容易ではあるが)親子の縁というものは絶えるものではないし、同じことなら、自分から内大臣に有りのままを打ち明けようか――

などと思い巡らして、やっと打ち明けることをお決めになったようです。


◆藤原氏を源氏と偽る=内大臣の家系は藤氏(藤原氏)。玉鬘の血筋は、藤原氏であるのに、源氏として出仕させることは偽り。

◆春日明神に背く=春日明神は藤原氏の氏神なので。

ではまた。


源氏物語を読んできて(裳著)

2009年02月22日 | Weblog
◆裳著(もぎ)=女子が成人のしるしに、初めて裳(も)を着る儀式。十二.三.四歳のころ、結婚前に髪上げの儀式と同時に行った。

「裳着」という呼び方は、女性が仮名で書いた文学作品においてみられる呼称であり、男性が漢文で書いた公卿日記や儀典書などにおいては「着裳(=著裳=ちゃくも)」と呼ばれています。配偶者の決まった時、あるいはその見込みのある時に行われることが多く、この儀式を終えることによって、結婚の資格が得られるのでした。玉鬘の場合、事情があって非常に遅くなっています。

 日取りは吉日が選ばれ、裳の腰紐を結び、髪上げをする。また、「かねつけ親」の立ち会いのもと、初めてお歯黒を付け、眉を剃り、厚化粧をして殿上眉を描く(引眉)。これ以降、小袖は白、袴は緋(但し江戸時代以降は結婚まで引き続き濃紫)となります。