09.8/2 464回
三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(18)
どなたも緊張なさって弾いていらっしゃる気配に、夕霧は御簾の内を覗いてみたくてなりません。
「対の上の、見し折りよりも、ねびまさり給へらむ有様ゆかしきに、静心もなし。」
――紫の上を、かつて野分きの折にふと垣間みてしまったあの頃より、きっと歳を加えられてお美しくなられたに違いないと、心が落ち着かない――
女三宮には、
「今すこしの宿世及ばましかば、わが物にても見奉りてまし、心のいとぬるきぞ悔しきや、院は度々さやうにおもむけて、しりうごとにも宣はせけるを、と、ねたく思へど、すこし心安き方に見え給ふけはひに、あなづり聞こゆとはなけれど、いとしも心は動かざりけり」
――もう少し縁が深かったならば、自分の妻としてお見上げしましたのに、私の鈍感なところが残念だった。朱雀院が何度も私に御意を示されましたのに、また噂にもなりましたのにと、残念に思いますが、女三宮はあの猫の事件のように、少しご注意が足りなくて、軽く見るというほどではありませんが、ひどく心惹かれるという気持ちにはなれません――
「この御方をば、何ごとも思ひ及ぶべき方なく、気遠くて、年ごろ過ぎぬれば、いかでかただ大方に、心よせあるさまをも見え奉らむとばかりの、口惜しく歎かしきなりけり」
――(夕霧は)ただ、継母の紫の上に対しては、遠く隔てられたまま年月が重なってゆくばかりで、何とも近づこう手だてもなく過ぎてしてしまった。どうにかして通り一片でも、自分が好意をお寄せしていることを知っていただけたらと、それだけが残念で嘆かわしいことなのでした――
「あながちに、あるまじくおほけなき心などは、さらにものし給はず、いとよくもてをさめ給へり」
――無理に継母を恋するなどの、大それたお気持ちなどはなく、実にしっかりと、ご自分のお心を抑えておられました――
◆しりうごと=後う言=蔭口、ここでは噂程度の意味に。
ではまた。
三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(18)
どなたも緊張なさって弾いていらっしゃる気配に、夕霧は御簾の内を覗いてみたくてなりません。
「対の上の、見し折りよりも、ねびまさり給へらむ有様ゆかしきに、静心もなし。」
――紫の上を、かつて野分きの折にふと垣間みてしまったあの頃より、きっと歳を加えられてお美しくなられたに違いないと、心が落ち着かない――
女三宮には、
「今すこしの宿世及ばましかば、わが物にても見奉りてまし、心のいとぬるきぞ悔しきや、院は度々さやうにおもむけて、しりうごとにも宣はせけるを、と、ねたく思へど、すこし心安き方に見え給ふけはひに、あなづり聞こゆとはなけれど、いとしも心は動かざりけり」
――もう少し縁が深かったならば、自分の妻としてお見上げしましたのに、私の鈍感なところが残念だった。朱雀院が何度も私に御意を示されましたのに、また噂にもなりましたのにと、残念に思いますが、女三宮はあの猫の事件のように、少しご注意が足りなくて、軽く見るというほどではありませんが、ひどく心惹かれるという気持ちにはなれません――
「この御方をば、何ごとも思ひ及ぶべき方なく、気遠くて、年ごろ過ぎぬれば、いかでかただ大方に、心よせあるさまをも見え奉らむとばかりの、口惜しく歎かしきなりけり」
――(夕霧は)ただ、継母の紫の上に対しては、遠く隔てられたまま年月が重なってゆくばかりで、何とも近づこう手だてもなく過ぎてしてしまった。どうにかして通り一片でも、自分が好意をお寄せしていることを知っていただけたらと、それだけが残念で嘆かわしいことなのでした――
「あながちに、あるまじくおほけなき心などは、さらにものし給はず、いとよくもてをさめ給へり」
――無理に継母を恋するなどの、大それたお気持ちなどはなく、実にしっかりと、ご自分のお心を抑えておられました――
◆しりうごと=後う言=蔭口、ここでは噂程度の意味に。
ではまた。