永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(467)

2009年08月05日 | Weblog
09.8/5   467回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(21)

源氏は、紫の上と連れ添って来られた年月をしみじみと思い出されたついでに、
「あなた自身の長寿延命のご祈願を、いつもの年より今年は念入りになさい」などとおっしゃり、ご自分のことを、

「自らは、幼くより、人に異なるさまにて、ことごとしく生ひ出でて、今の世のおぼえ有様、来し方に類少なくなむありける。されどまた世にすぐれて、悲しきめを見る方も、人にはまさりけりかし」
――私は幼少から人と違って帝の御子として格別のご寵愛を受けて成人し、今現在も世の中で大切にされています点も、昔にも例がないほどの幸せだと思っています。けれどもまた、人並み以上の悲運にも遭ったのですよ――

「先づは思ふ人にさまざま後れ、残りとまれる歳の末にも、飽かず悲しと思ふこと多く、あぢきなく然るまじき事につけても、あやしく物思はしく、心にあかず覚ゆること添ひたる身にて過ぎぬれば、それにかへてや、思ひし程よりは、今までもながらふるならむ、となむ思ひ知らるる」
――先ず、母桐壷の更衣、御父の桐壷院、祖母、葵上などに先立たれ、生き残ってしまった今の齢までにも、悲しくてたまらない(暗に藤壺)ということに数々出会いましたので、味気ない、そんなことがあってはならないことにばかり出遭うにつけても、あやしく物思わしさばかりつのって、いつも満ち足りたということがないままに過ぎてきたのです。その代わりとして案外にも、これほど長生きするのかとも思われるのですよ――

「君の御身には、かの一節の別れより、あなたこなた、物思ひとて心乱り給ふばかりの事あらじとなむ思ふ。后といひ、ましてそれよりつぎつぎは、やむごとなき人といへど、皆必ず安からぬ物思ひ添ふわざなり」
――あなた(紫の上)としては、あの須磨の別れ以外には、あれこれとお心の乱れることはなかったと思いますよ。后といい、ましてそれ以下では、いくら尊い身分でも、みな必ず嫉妬とか、不安が付いて回るものですからね――

「高き交らひにつけても心みだれ、人のあらそふ思ひの絶えぬも、安げなきを、親の窓の内ながら過ぐし給へるやうなる、心やすきことはなし。そのかた、人にすぐれたりける宿世とは思し知るや」
――後宮での女御、更衣などの宮仕えでは、皆それぞれ寵を争って、穏やかでない苦労が添うものなのです。ここでは親の元でお過ごしのような気安さでお暮らしになれたのは、他にはないでしょう。その点ではあなたは人並み以上の幸運だったと思いませんか――

ではまた。