永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(468)

2009年08月06日 | Weblog
09.8/6   468回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(22)

 源氏はさらに続けて、

「思ひの外に、この宮のかく渡りものし給へるこそは、なま苦しかるべけれど、それにつけては、いとど加ふる志の程を、御自らの上なれば、思し知らずやあらむ。物の心も深く知り給ふめれば、さりともとなむ思ふ」
――思いのほかに、女三宮の御降嫁だけは、あなたにとって厭なことだったでしょうが、それに対しては、以前にも勝る私の愛情を注いでおりますのに、ご自分では気がつかれないのでしょうか。あなたは利発な方ですから、よもやお分かりにならない筈はないでしょう――

 と、長々お話になりますと、紫の上は、

「宣ふやうに、ものはかなき身には過ぎにたる余所のおぼえはあらめど、心に堪えぬもの歎かしさのみうち添ふや、さは自らの祈りなりける」
――おっしゃいますように、詰まらぬ私には過分なほどの幸いと、余所目には思われましょうが、心に耐えきれぬほどの気苦労ばかりが身に添うてまいりますのが、私のご祈祷となって今まで生きて来られたのです――

 と、まだ言い足りないことがおありのご様子で、それがまことに奥ゆかしい。そして続いておっしゃるには、

「まめやかには、いと行く先少なき心地するを、今年もかく知らず顔にて過ぐすは、いとうしろめたくこそ。さきざきも聞こゆること、いかで御ゆるしあらば」
――本当を申しますと、私は余命いくばくもない気がいたしまして、今年もこのまま、何でもないように過ごしてしまいますのが、大変不安なのです。以前申し上げました出家のこと、何とかお許しいただけないでしょうか――

 源氏は、

「それはしも、あるまじき事になむ。さてかけ離れ給ひなむ世に残りては、何のかひかあらむ。ただかく何となくて過ぐる年月なれど、明け暮れのへだてなきうれしさのみこそ、ますことなく覚ゆれ。なほ思ふさま異なる心の程を、見はて給へ」
――それはとんでもないことですよ。あなたが尼になってしまわれた後に残って、わたしに何の生き甲斐がありましょう。ただこのように何となく月日を過ごしていても、朝夕一緒にお顔を見ていられる嬉しさだけが、私にはこの上ない幸せなのです。私の愛情の深さが他の人と違うのを、最後まで見届けてください――

 とだけおっしゃるのを、紫の上は辛く思われて、涙ぐんでいらっしゃるのを、源氏はあわれ深く胸塞ぎ、何やかやと、他の話に紛らわせようとなさるのでした。

ではまた。