09.8/30 485回
三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(39)
もう空は明けていくばかりで、柏木は心慌ただしく、あの猫の夢など物語したいものと思いますが、こう憎まれているようでは、と、そわそわと落ち着かぬまま、「夢の話は差し控えましょう。でも直に思い当たられることもございましょうから」と帰って行かれます。
「魂は、まことに身を離れてとまりぬる心地す」
――私の魂は、真実私の身を離れて、宮のもとに留まってしまう気がするのでした――
「女宮の御許にも参うで給はで、大殿へぞ忍びておはしぬる」
――妻の落葉の宮の所へもいらっしゃらず、父邸に忍ぶようにして帰って行かれました――
横になっても眠れず、猫の夢などを思い出しているうちに、
「さてもいみじき過ちしつる身かな、世にあらむ事こそ眩くなりぬれと、恐ろしくそら恥づかしき心地して、ありきなどもし給はず」
――それにしてもひどい過ちをしたものだ。平気でこの世に生きているのが恥ずかしく、ただ恐ろしく、出歩きなどもなさらない――
女三宮の御身に対しては、なおさらあってはならないことを仕出かしてしまい、何やら分けの分からぬうちの行為とはいえ、自分自身でも実に怪しからぬ気味の悪いことで、ぞっと総毛立つ思いで、他の女への忍び歩きもする気になれません。
「帝の御妻をも取り過まちて、事の聞こえむに、かばかり覚えむことゆゑは、身のいたずらにならむ、苦しく覚ゆまじ。然いちじるき罪にはあたらずとも、この院に目をそばめられ奉らむことは、いと恐ろしくはづかしく覚ゆ」
――皇妃を過って犯して、それが露見した場合にも、こんな苦しみを味わうのなら、いっそ死んでしまった方が楽かもしれない。今の私はそれ程の罪にはならないとしても、あの源氏に睨まれるようなことは恐ろしく、恥ずかしい――
女三宮はただただ幼くて、臆病にも、このような秘密を人に知られでもしたらと、気まり悪く恥かしく、
「あかき所にだにえゐざり出で給はず、いと口惜しき身なりけり、と、自ら思し知るべし」
――明るいところへいざり出ることもなさらず、ただ情けない身の上になったものだと、一人で悩んでいらっしゃる――
◆ありき=歩く=外出
ではまた。
三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(39)
もう空は明けていくばかりで、柏木は心慌ただしく、あの猫の夢など物語したいものと思いますが、こう憎まれているようでは、と、そわそわと落ち着かぬまま、「夢の話は差し控えましょう。でも直に思い当たられることもございましょうから」と帰って行かれます。
「魂は、まことに身を離れてとまりぬる心地す」
――私の魂は、真実私の身を離れて、宮のもとに留まってしまう気がするのでした――
「女宮の御許にも参うで給はで、大殿へぞ忍びておはしぬる」
――妻の落葉の宮の所へもいらっしゃらず、父邸に忍ぶようにして帰って行かれました――
横になっても眠れず、猫の夢などを思い出しているうちに、
「さてもいみじき過ちしつる身かな、世にあらむ事こそ眩くなりぬれと、恐ろしくそら恥づかしき心地して、ありきなどもし給はず」
――それにしてもひどい過ちをしたものだ。平気でこの世に生きているのが恥ずかしく、ただ恐ろしく、出歩きなどもなさらない――
女三宮の御身に対しては、なおさらあってはならないことを仕出かしてしまい、何やら分けの分からぬうちの行為とはいえ、自分自身でも実に怪しからぬ気味の悪いことで、ぞっと総毛立つ思いで、他の女への忍び歩きもする気になれません。
「帝の御妻をも取り過まちて、事の聞こえむに、かばかり覚えむことゆゑは、身のいたずらにならむ、苦しく覚ゆまじ。然いちじるき罪にはあたらずとも、この院に目をそばめられ奉らむことは、いと恐ろしくはづかしく覚ゆ」
――皇妃を過って犯して、それが露見した場合にも、こんな苦しみを味わうのなら、いっそ死んでしまった方が楽かもしれない。今の私はそれ程の罪にはならないとしても、あの源氏に睨まれるようなことは恐ろしく、恥ずかしい――
女三宮はただただ幼くて、臆病にも、このような秘密を人に知られでもしたらと、気まり悪く恥かしく、
「あかき所にだにえゐざり出で給はず、いと口惜しき身なりけり、と、自ら思し知るべし」
――明るいところへいざり出ることもなさらず、ただ情けない身の上になったものだと、一人で悩んでいらっしゃる――
◆ありき=歩く=外出
ではまた。