09.8/3 465回
三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(19)
女方の合奏が終わるころには、夜気がやや冷やかになって、寝待ちの月がようやく仄見えてまいりました。源氏は夕霧や髭黒のご子息たちに、それぞれご褒美をお渡しになる。夕霧は、君達を車に乗せて月の澄んだ夜空のもとを退出していかれました。
その道々も夕霧の御心は、
「筝の琴のかはりていみじかりつる音も、耳につきて恋しく覚え給ふ。」
――紫の上の、筝の音色が普通と違ってご立派でしたのが、耳について恋しく、心に沁み入るのでした――
それにしても我が妻の雲井の雁は……
「故大宮の教へ聞こえ給ひしかど、心にも、しめ給はざりし程に、別れ奉り給ひにしかば、ゆるるかにも弾き取り給はで、男君の御前にては、はぢてさらに弾き給はず」
――故大宮の御祖母に教えられましたが、熱心にお習いする前に亡くなられましたので、充分に習得しなかったのでしょう、夫の前では恥ずかしがって決して弾かれません――
「何事もただおいらかに、うちおほどきたるさまして、子供あつかひを、暇なくつぎつぎし給へば、をかしき所もなく覚ゆ」
――(雲井の雁は)何事もただおっとりと、ゆるやかにうち解けておいでで、お子達の世話を、暇もないほど次々(子沢山)となさっておられますので、趣きある風情などないようなこの頃です――
女方の合奏の翌日、源氏は紫の上のお部屋においでになって、
「宮の御琴の音は、いとうるさくなりにけりな。いかが聞き給ひし」
――女三宮の御琴は、とても上手になったな。どう聞かれましたか――
とお尋ねになります。紫の上は、
「初つ方、あなたにてほの聞きしは、いかにぞやありしを、いとこよなくなりにけり。いかでかは、かく他事なく教へ聞こえ給はむには」
――初め、お部屋でちょっとお伺いしました時は、どうかと思いましたが、たいそうご立派に弾かれました。そのはずでしょう、あなたが、こんなにこのことばかりに打ち込んでいらしたんですから――
とお応えになります。
◆うるさく=煩わしい、うるさいのほかに、立派である、巧みという意味もある。
◆写真:源氏
三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(19)
女方の合奏が終わるころには、夜気がやや冷やかになって、寝待ちの月がようやく仄見えてまいりました。源氏は夕霧や髭黒のご子息たちに、それぞれご褒美をお渡しになる。夕霧は、君達を車に乗せて月の澄んだ夜空のもとを退出していかれました。
その道々も夕霧の御心は、
「筝の琴のかはりていみじかりつる音も、耳につきて恋しく覚え給ふ。」
――紫の上の、筝の音色が普通と違ってご立派でしたのが、耳について恋しく、心に沁み入るのでした――
それにしても我が妻の雲井の雁は……
「故大宮の教へ聞こえ給ひしかど、心にも、しめ給はざりし程に、別れ奉り給ひにしかば、ゆるるかにも弾き取り給はで、男君の御前にては、はぢてさらに弾き給はず」
――故大宮の御祖母に教えられましたが、熱心にお習いする前に亡くなられましたので、充分に習得しなかったのでしょう、夫の前では恥ずかしがって決して弾かれません――
「何事もただおいらかに、うちおほどきたるさまして、子供あつかひを、暇なくつぎつぎし給へば、をかしき所もなく覚ゆ」
――(雲井の雁は)何事もただおっとりと、ゆるやかにうち解けておいでで、お子達の世話を、暇もないほど次々(子沢山)となさっておられますので、趣きある風情などないようなこの頃です――
女方の合奏の翌日、源氏は紫の上のお部屋においでになって、
「宮の御琴の音は、いとうるさくなりにけりな。いかが聞き給ひし」
――女三宮の御琴は、とても上手になったな。どう聞かれましたか――
とお尋ねになります。紫の上は、
「初つ方、あなたにてほの聞きしは、いかにぞやありしを、いとこよなくなりにけり。いかでかは、かく他事なく教へ聞こえ給はむには」
――初め、お部屋でちょっとお伺いしました時は、どうかと思いましたが、たいそうご立派に弾かれました。そのはずでしょう、あなたが、こんなにこのことばかりに打ち込んでいらしたんですから――
とお応えになります。
◆うるさく=煩わしい、うるさいのほかに、立派である、巧みという意味もある。
◆写真:源氏