2010.1/7 611回
三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(26)
夕霧はこの日、昼ごろから自邸にいらして、今夜も引き返して小野の山荘に伺いたい気でいらっしゃるが、尋ねでもしたならば、それこそ何かがあったのではないかと、実際は何もなかったのに誤解されても具合悪いと、我慢なさって、なおさら今迄の不安なお気持よりも物思いが重なって、歎きがちでおいでになる。
北の方(雲井の雁)は、
「かかる御ありきの気色ほのききて、心やましと聞き居給へるに、知らぬやうにて、君達もてあそび紛らはしつつ、わが昼の御座に臥し給へり」
――(夕霧の)夜歩きの噂をどこからともなくお聞きになっていて、癪にさわってはいるものの、知らない振りをして、お子たちとの遊びに紛らわしては、ご自分の昼間の居間に横になっていらっしゃいます――
「宵過ぐる程にぞ、この御返りもて参れるを、かく例にもあらぬ鳥のあとのやうなれば、とみにも見解き給はで、御殿油近う取り寄せて見給ふ」
――宵を大分過ぎるころに、(山荘の御息所)からのお返事が参りました。開いて見ますといつものような端麗な筆跡に似ず、鳥の足跡のような文字ですので、直ぐには読み解くことが出来ませんので、灯りを近くにお寄せになります――
と、
「女君物隔てたるやうなれど、いと疾く見つけ給うて、這いよりて、御後より取り給うつ」
――女君(雲井の雁)は、物を隔てたところにいらっしゃいましたが、夕霧のご様子をすぐに見つけて、居ざり寄って後ろからそのお文を取り上げていまいました――
夕霧は、
「あさましう。こはいかにし給ふぞ。あなけしからず。六条の東の上の御文なり。今朝風邪おこりて悩ましげにし給へるを、院の御前に侍りて出づる程、またも参うでずなりぬれば、いとほしさに、今の間いかにと聞こえたりつるなり」
――ひどいことを……。これは何をなさる。怪しからんことだ。それは六条の東の上(花散里)のお手紙ですよ。今朝お風邪で具合が悪そうでしたが、源氏の院への帰りに立ち寄ってのお見舞いをせずに参りましたので、只今ご気分はいかがですか、と書き送ったのですよ――
「見給へよ、懸想びたる文の様か。さてもなほなほしの御様や。年月に添へて、いたうあなづり給ふこそうれたけれ。思はむ所を無下にはぢ給はぬよ」
――御覧なさい。恋文のような文ですか。それにしても品のないことをなさいますね。年月が経つにつれて、次第に私を見下げるようになられたとは、嘆かわしい。私にどう思われても恥ずかしくないのですか――
◆なほなほし=直直し=平凡である。何の取り柄もない。
◆あなづり=あなどるの古形で、侮る=見下げる
◆写真:源氏物語絵巻「夕霧」 夕霧の後ろから雲井の雁が御文を取り上げるところ。
ではまた。
三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(26)
夕霧はこの日、昼ごろから自邸にいらして、今夜も引き返して小野の山荘に伺いたい気でいらっしゃるが、尋ねでもしたならば、それこそ何かがあったのではないかと、実際は何もなかったのに誤解されても具合悪いと、我慢なさって、なおさら今迄の不安なお気持よりも物思いが重なって、歎きがちでおいでになる。
北の方(雲井の雁)は、
「かかる御ありきの気色ほのききて、心やましと聞き居給へるに、知らぬやうにて、君達もてあそび紛らはしつつ、わが昼の御座に臥し給へり」
――(夕霧の)夜歩きの噂をどこからともなくお聞きになっていて、癪にさわってはいるものの、知らない振りをして、お子たちとの遊びに紛らわしては、ご自分の昼間の居間に横になっていらっしゃいます――
「宵過ぐる程にぞ、この御返りもて参れるを、かく例にもあらぬ鳥のあとのやうなれば、とみにも見解き給はで、御殿油近う取り寄せて見給ふ」
――宵を大分過ぎるころに、(山荘の御息所)からのお返事が参りました。開いて見ますといつものような端麗な筆跡に似ず、鳥の足跡のような文字ですので、直ぐには読み解くことが出来ませんので、灯りを近くにお寄せになります――
と、
「女君物隔てたるやうなれど、いと疾く見つけ給うて、這いよりて、御後より取り給うつ」
――女君(雲井の雁)は、物を隔てたところにいらっしゃいましたが、夕霧のご様子をすぐに見つけて、居ざり寄って後ろからそのお文を取り上げていまいました――
夕霧は、
「あさましう。こはいかにし給ふぞ。あなけしからず。六条の東の上の御文なり。今朝風邪おこりて悩ましげにし給へるを、院の御前に侍りて出づる程、またも参うでずなりぬれば、いとほしさに、今の間いかにと聞こえたりつるなり」
――ひどいことを……。これは何をなさる。怪しからんことだ。それは六条の東の上(花散里)のお手紙ですよ。今朝お風邪で具合が悪そうでしたが、源氏の院への帰りに立ち寄ってのお見舞いをせずに参りましたので、只今ご気分はいかがですか、と書き送ったのですよ――
「見給へよ、懸想びたる文の様か。さてもなほなほしの御様や。年月に添へて、いたうあなづり給ふこそうれたけれ。思はむ所を無下にはぢ給はぬよ」
――御覧なさい。恋文のような文ですか。それにしても品のないことをなさいますね。年月が経つにつれて、次第に私を見下げるようになられたとは、嘆かわしい。私にどう思われても恥ずかしくないのですか――
◆なほなほし=直直し=平凡である。何の取り柄もない。
◆あなづり=あなどるの古形で、侮る=見下げる
◆写真:源氏物語絵巻「夕霧」 夕霧の後ろから雲井の雁が御文を取り上げるところ。
ではまた。