永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(625)

2010年01月21日 | Weblog
2010.1/21   625回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(40)

 夕霧はやはり小野のことが心配でならず、御息所(みやすどころ)のご忌中が終わってから伺うつもりが、それまで我慢が出来そうもなくて、

「今はこの御なき名の、何かはあながちにもつつまむ、ただ世づきて、つひの思ひかなふべきにこそは、と思したばかりにければ、北の方の御思ひ遣りをあながちにもあらがひ聞こえ給はず。」
――今はどうせあらぬ浮名を立てられているのだから、何も遠慮することもない。世間一般の男のように振る舞って、この思いを遂げるだけだとお心に決めていますので、北の方(雲井の雁)が何とおっしゃろうと、打ち消しもなさらない――

 夕霧のお心の内では、

「正身は強う思し離るとも、かの一夜ばかりの御うらみ文をとらへどころにかこちて、えしもすすぎはて給はじ」
――正身(しょうじみ=ご本人の落葉宮)が、たとえ強情をお張りになって私をはねつけられても、御息所が一夜だけで捨てたとお恨みになったあのお手紙を盾にとって言い寄ったならば、よもや濡れ衣を濯ぐように清らかさを押し通すことはお出来になるまい――

と、すっかり強気になっていらっしゃる。
 
九月十日すぎの頃のこと。野山の景色は風雅の心を深くわきまえぬ者さえも無関心ではいられない程おもむき深い風情で、

「山風に堪へぬ木々の木末も、峯の葛葉も心あわただしう、あらそひ散る紛れに、尊き読経の声かすかに、念仏などの声ばかりして、人のけはひいと少う、木枯らしの吹き払ひたるに、鹿はただ籬のもとにたたずみつつ、山田の引板にもおどろかず、色濃き稲どもの中に交じりて、うち鳴くも憂へ顔なり」
――山風に堪えきれぬ木々の梢も、峰の葛の葉も、あわただしく先を争って散る中に、尊い読経の声がかすかに聞こえ、念仏の声ばかりして、人の気配はまことに少なく、木枯らしが吹き払っていますのに、鹿が籬(まがき)のすぐ側に佇んでは、山田の引板(ひた)にも驚かず、黄色く熟した稲の中に立ち交じって鳴いているのも愁いに満ちています。――

◆正身(さうじみ、しょうじみ)=その当人、本人。

◆とらへどころにかこちて=捕らへ所(しっかりつかむ)、かこつ(託つ=関係の無いことを無理に結びつける)

◆えしもすすぎはて給はじ=え(反語)し、も(強調)すすぎ(濯ぐ=清める)はて(果て=終わり、結末)

◆たのもしかりけり=頼もしい=気強い、心強い。

◆籬(まがき)=柴や竹などで、目を粗く編んで作った垣根。籬(ませ)、籬垣(ませがき)

◆引板(ひきいた、が転じて、ひきた、ひた)=小さい竹管を糸で連ねて、板に並べつけた鳴子板。鹿を追い払う道具。

ではまた。