永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(257)

2008年12月20日 | Weblog
12/20   257回

【胡蝶(こてふ)】の巻】  その(5)

「されど、大臣おぼろげに思し定むべくもあらず、わが御心にも、すくよかに親がり果つまじき御心や添ふらむ、父大臣にもしらせやしてまし、など、思しよる折々あり。」
――そういうわけで、源氏は玉鬘の夫を好い加減にお決めになる筈もなく、また、ご自身、生真面目に親として通せそうにもない気もいたしますので、いっそのこと、実の父の内大臣に潔く事情をお知らせしようか、などとお思いになることがしばしばあります――

「殿の中将は、すこし気近く、御簾のもとなどにもよりて、御答へ自らなどするも、女はつつましう思せど、さるべき程と人々も知り聞こえたれば、中将はすくずくしくて思ひもよらず」
――夕霧は、玉鬘を実の姉君と思っての間柄なので、御簾近くに寄ってお話しになります。玉鬘は恥ずかしく思いますが、女房達も当然と思っていますし、夕霧は真面目一方で好色なお心など一切おありにならない。――

 内大臣のご子息たちは、夕霧を手づるに、なにやかにやと意中を示そうと苦心していますが、玉鬘は色恋ではなくて内心苦しく、父内大臣に事実を知って頂きたいと思いますが、源氏に対しては、申し上げることもせず、源氏を親しく信頼申し上げている態度は、母夕顔に良く似ているようです。それ以上に夕顔には無い才気さえ添っていらっしゃる。

 四月の衣替えの季節になって、みな派手やかに衣装が改まり、空の景色さえ情趣があって、どことなくなまめかしい日々です。源氏はお暇でのんびりと合奏などを楽しんでおられますが、

「対の御方に、人々の御文しげくなり行くを、思ひしことと、をかしう思いて、(……)」
――玉鬘の許に懸想文がしげしげと多くなっていきますのを、源氏は予想通りだとご興味が出て、(玉鬘のお部屋に足を延ばしては、それらをご覧になって、相当な方にはご返事をなさい、などとお勧めになりますのを、玉鬘としては素直に従いにくく困っていらっしゃる――

ではまた。

源氏物語を読んできて(舞楽・胡蝶)

2008年12月20日 | Weblog
◆胡蝶(こちょう)の舞い

 唐楽の迦陵頻(かりょうびん)に対応する高麗楽(こまがく)(右舞)の答舞が胡蝶になる。高麗楽の形式をとるが、実際は日本人の手になる楽曲で、延喜六年(九〇六)八月、宇多法皇の童相撲御覧(わらわすまいごらん)の際に、山城守藤原忠房が音楽を、敦実親王が舞を作ったという。

 舞人も迦陵頻と同様の四人で、童髪に天冠(てんがん)を着、山吹の挿頭花(かざし)を付け、手にも山吹(やまぶき)を持って舞う。背には彩色された蝶の羽を負う。
   
参考と写真:風俗博物館

源氏物語を読んできて(256)

2008年12月19日 | Weblog
12/19   256回

【胡蝶(こてふ)】の巻】  その(4)

「春の上の御志に、仏に花奉らせ給ふ。鳥蝶にさうぞきわけたる童べ八人、容貌などことに整へさせ給ひて、鳥には、銀の花甕に桜をさし、蝶には、金の甕に山吹を、同じき花の房厳めしう、世になき匂ひをつくさせ給へり。」
――紫の上の御供養のお志として、仏に花を奉られます。鳥と蝶とに衣装を分けて着せた女童八人、容貌(みめかたち)よい者を特に選んで、鳥装束には銀の花瓶に桜を挿したのを、蝶には金の花瓶に山吹を挿したのを、それぞれにお持たせなりました。同じ花でも房も見事で、余所には見られない美の極致をお示しになりました。――

 春の御殿のお庭の築山から漕ぎだして、中宮の御殿のお庭に出る頃は、少し風に桜の花がはらはらとするものの、童女たちの姿が何とも言えず雅やかで美しい。女童たちは船から降りて、階の下まで来て花を差し上げます。
 行香の役の上達部たちがこれを受けとって、閼伽棚にお加えになります。紫の上からのお文は、夕霧をお使いとして差し上げられます。

紫の上の(歌)
「花園の胡蝶をさへや下草に秋まつむしはうとく見るらむ」
――春の園の胡蝶さえ、秋をお好みのあなたには、つまらないものとご覧になるでしょうか――

 中宮は、かつて紅葉を詠んで差し上げた折りのご返歌であると、ほほえんでご覧になります。昨日船遊びして、あちらの景色を拝見してきた若女房たちも、口々に南の御殿の素晴らしさを申し上げるのでした。

「鶯のうららかなる音に、鳥の楽はなやかに聞きわたされて、池の水鳥もそこはかとなく囀りわたるに、急になりつるほど、飽かず面白し。」
――うぐいすのうららかに鳴く音に、鳥の楽(迦陵頻の楽)が、はなやかに響きわたり、池の水鳥もあちこちで囀っています。やがて楽の音も「急」の調べにかわって(舞楽は序破急の三部分からなる。急の拍子に代わって)曲の終わるまで、ほんとうに興味は尽きません。――

 中宮方から、女わらわをはじめ、楽人たちに、それぞれに禄が与えられました。

 西の対の玉鬘は、紫の上とのご対面以来、どなたからも好意を寄せられておいでです。殿方で言いよって来る方も大勢いらっしゃいますが、源氏は軽々しくは婿をお決めになりそうもないのでした。

ではまた。

源氏物語を読んできて(雅楽・迦陵頻)

2008年12月19日 | Weblog
◆迦陵頻(かりょうびん)・鳥の楽(迦陵頻の楽)

 唐楽(からがく)(左さ舞まい)。「不言楽」、あるいはその形から「鳥」ともよばれる。
 天竺(てんじく)の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の供養(くよう)の日に飛来した迦陵頻伽(かりょうびんが)の姿を写したという。迦陵頻伽は、極楽浄土に住む人頭鳥身の動物で、美しい声で歌を歌うという。本来は序・破・急があったが、現在は急の部分だけを子どもが舞う代表的な童舞である。

 四人で舞い、彩色された鳥の羽を背中に負い、童髪で天冠(てんがん)を頭に付ける。銅拍子を両手にもって舞いながら打つのは、迦陵頻伽の鳴き声をまねたものという。


源氏物語を読んできて(255)

2008年12月18日 | Weblog
12/18   255回

【胡蝶(こてふ)】の巻】  その(3)

 兵部卿の宮とおっしゃる方は、源氏の母違いの御弟君で、長年ご一緒だった北の方がお亡くなりになって、この三年ほどは一人住まいの侘しさにお暮らしせしたので、今は誰はばからず玉鬘に言いよっておられます。源氏も、

「思しし様かなふと下には思せど、せめて知らず顔をつくり給ふ」
――この弟宮ならば、玉鬘の夫として満足だと内心ではお考えになりますが、強いて気づかぬ風にしていらっしゃる。――
 
 兵部卿の宮は、今朝もひどく酔ったふりをなさって、藤の花を冠に挿して浮き浮きとはしゃいでいらっしゃる。そして(歌)

「むらさきのゆゑに心をしめたれば淵に身なげむ名やはをしけき」
――あなたの御身内の玉鬘に恋したからには、淵に身を捨てるような悪名の立つのも惜しみません――

源氏は微笑みながら(歌)

「淵に身を投げつべしやとこの春は花の辺りを立ちさらで見よ」
――淵に身を投げるべきかどうか、この春は玉鬘の側を離れず、様子をご覧なさい――

などと仰って、お引き留めになるなどお遊び心も趣深いものです。

 さて、今日は秋好中宮の御読経(みどきょう)の最初の日なのでした。昨日の管弦のお遊びから引き続き帰宅されずに、各々休息所をとって、昼の装束、すなわち束帯に変えられる方々も多いのでした。

「午の時ばかりに、皆あなたに参り給ふ。大臣の君をはじめ奉りて、皆着きわたり給ふ。多くは大臣の御勢ひにもてなされ給ひて、やむごとなくいつくしき御有様なり。」
――午(うし)の時刻になって(午後の二時~四時頃)、源氏の大臣をはじめとして、皆中宮の御殿にお渡になります。殿上人など残らず参上され、大方は源氏のご威勢に引き立てられて、それはそれは荘厳な法会でございました。――

ではまた。


源氏物語を読んできて(季の御読経)

2008年12月18日 | Weblog
季の御読経(きのみどきょう)

 季毎に諸寺の僧を召して『大般若経』を転読させ、天皇の安寧と国家の安泰を祈る大法会。中宮主催の季の御読経は、延長二[924]年から朝廷のそれとは別に行われるようになり、一条帝中宮彰子によって春秋二季の恒例仏事として確立したとされます。

 中宮以外にも上皇や東宮、皇太后などが主催した例もあり、また摂関家の私邸などでも催されるようになりました。

写真と参考 風俗博物館

源氏物語を読んできて(254)

2008年12月17日 | Weblog
12/17   254回

【胡蝶(こてふ)】の巻】  その(2)

「御方々の若き人どもの、われおとらじ、とつくしたる装束容貌、花をこきまぜたる錦に劣らず見えわたる。世に目慣れずめづらかなる楽ども仕うまつる。舞人など、心ことに選ばせ給ひて、人の御心ゆくべき手の限りをつくさせ給ふ。」
――中宮と紫の上の両方の若い女房達が、誰にも負けをとるまいと贅を尽くした衣装も、容貌も、花々をとりまぜて織上げた錦に劣らず見渡されます。聞きなれない世にも珍しい音楽なども様々に奏でられます。舞人たちも源氏が特にお選びになって、見物の方々が満足されるようにと、秘術の限りをお尽くしになるのでした。――

「夜に入りぬれば、いと飽かぬ心地して、御前の庭に篝火ともして、(……)」
――夜になりましたが、なお飽き足りない心地で、庭に篝火を灯して(階の下の苔の上に樂人をお召しになり、親王、上達部もみなそれぞれに、琴や琵琶、笙、篳篥(ひちりき)などを演奏なさいます。催馬楽の「安名尊(あなとうと)」をお謡いになるころには、)――

「生けるかひありと、何のあやめも知らぬ賤の男も、御門のわたり隙なき馬車の立ち所に交じりて、笑みさかえ聞きけり。」
――この世に生をうけた甲斐があったと、何の弁えもない下人まで、御門のあたりにぎっしり立て並んだ馬や車の間に交って、満面笑い崩れて聞いております。――

 こうして一晩中楽器を弾きならし、兵部卿の宮は催馬楽の「青柳」を何度も繰り返してお謡いになり、源氏も声をお添えになりました。

 夜も明けました。
さて、西の対の姫君(玉鬘)は、これといって難のない美しさで、源氏もことのほか大切になさっていらっしゃるご様子などが、みな世間の噂になって、源氏の思い通り、胸を焦がしている公達も多いようです。その中には、玉鬘が異母妹であるという真相をご存知でない内大臣のご長男の柏木なども、深く想いこんでいらっしゃるらしい。

ではまた。

源氏物語を読んできて(253)

2008年12月16日 | Weblog
12/16   253回

【胡蝶(こてふ)】の巻】  その(1)

引き続き同じ年の三月。
人物の年齢も「初音の巻」と同じ。

兵部卿の宮   源氏の異母弟
中将      内大臣の長男・柏木
中将の君    夕霧
秋好中宮    六条御息所の御娘、冷泉帝の中宮、六条秋の御殿を里とする。


「三月の二十日あまりの頃ほい、春の御前の有様、常よりことにつくしてにほふ花の色、鳥の声、外の里にはまだ旧りぬにやと、めづらしう見え聞こゆ。(……)」
――三月の二十日過ぎのころ、春の御殿のお庭は、例年より特に優れて咲き匂う花の色香や、鳥の声の囀りが、他の里に比べて、ここはまだ盛りが過ぎないのかと、よその囲いの内に住む方々には、珍しくも羨ましくも思われます。(築山の木立や池の中島のあたりの、一段と緑の色を増した苔の様子などを、若い女房達がわずかにしか見られず、気を揉む様子なので、源氏は、唐風の船を造らせて、急いで艤装などもおさせになりました。)

 「中宮はこのころ里におはします。…大臣の君も、いかでこの花の折、ご覧ぜさせむと思し宣へど、ついでなくて軽らかにはひわたり、花ももて遊び給ふべきならねば、(……)」
――秋好中宮は、このころ里下がりをなさっておいでです。源氏はこの花盛りの景色を中宮にお見せしたいと思っておりましたが、同じ六条院の内とはいえ、何かのついでがなくては、軽々しく外でお花見などおできになれないので、お考えになりましたのは、

「若き女房達の、ものめでしぬべきを船に乗せ給うて、(……)龍頭鷁首を、唐の装ひに、ことごとしうしつらひて、梶とり棹さす童、みな鬟ゆひて、唐土だたせて、
(……)」
――中宮付きの若い女房達で、人目を引きそうな者たちを、船に乗せて、(中宮の庭の南の池は紫の上の庭に通じて造ってあり、その間にある小さい山を境界線にしてありますので、その山の先を漕ぎ巡ってこられるようになっております。紫の上の方では、東の釣殿にこちらも若い女房達をお集めになっております。)龍頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)を唐風に華美に仕立てて、なにもかもことごとく唐風の扮装をおさせになって、
梶をとり、棹をさす童もみな髪を鬟(みずら)結って、唐風の風俗をさせ、(大きな池に漕ぎ出てきますと、本当の外国に来たようで、しみじみと春の御殿を見慣れない中宮付きの女房達は、心底から素晴らしいと思うのでした。)――

 中島に何気なく配置した石の趣、青々と色を増した柳が枝を垂れ、桜も今を盛りと咲き匂い、藤の花房、池に影を映している山吹。水鳥が二羽なかよく泳ぎまわり、いつまでも見飽きない絵のようで、時のたつのも覚えぬままに夕暮になってしまいました。

 女房達はまだまだこの景色を楽しみたかったのですが、船は釣殿にさし寄せられて皆下船しました。

◆写真:春の御殿(源氏と紫の上の御殿) 三月二十日のころ。
    左奥の女房たちは碁を打っています。

ではまた。