永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(248)

2008年12月11日 | Weblog
12/11   248回

【初音(はつね)】の巻】  その(4)

 暮れかかってから明石の御方へお渡りになります。渡殿の戸を押し開けるのと同時に、御簾の内に薫しめた香を吹き送る追い風がなまめかしく漂ってきて、どこよりも殊に気高く感じられます。

「正身は見えず。いづらと見まはし給ふに、硯のあたりにぎはしく、草紙ども取り散らしたるを取りつつ見給ふ。」
――明石の御方ご本人の姿は見えず、どこへ行ったのかと見まわしておいでになりますと、硯箱のあたりに、にぎやかに草子などが取り散らしてありますので、手にとってご覧になります――

 書き損じたものも、草体仮名をことごとしく使って書くような学者ぶったことはしないて、いかにも爽やかな手蹟です。お部屋には、

「(……)をかしげなる琴うちおき、火桶に、侍従をくゆらかして、物ごとにしめたるに、衣被香の香のまがへる、いとえんなり。」
――(錦の立派な座布団に)七絃の琴が置かれ、火鉢には侍従という香が、あらゆるものに薫るのに衣被香(えびこう)の香が混じり合っているのは実に趣深い。――

 姫君からの小松のお歌へのお返事なども書き散らしてあります。そこへ明石の御方がいざり出て(膝行で)いらして、丁重にご挨拶されます。

「白きに、けざやかなる髪のかかれの、すこし、さはらかなる程に薄らぎにけるも、いとどなまめかしさ添ひて、なつかしければ、新しき年の御さはがれもや、とつつましけれど、こなたに泊まり給ひぬ。」
――源氏から贈られた白い衣装に、くっきりと黒い髪のかかり具合が少し先が細っていますのも、いっそうなまめかしく好ましいので、新年早々に…と紫の上のいらっしゃる対の方では、やかましくおっしゃるであろうと気兼ねもおありになるものの、こちらにお泊りになってしまわれました。――

「なほおぼえ異なりかし、と方々に心おきて思す。南のおとどには、ましてめざましがる人々あり。」
――源氏は、やはり、この人への気持ちは格別であると、あちこちの女方を気にしながらも思われます。この夜、お帰りのない南の御殿(紫の上方)では、とんでもないことと思う女房達が多いのでした。――

ではまた。

源氏物語を読んできて(247)

2008年12月10日 | Weblog
12/10   247回

【初音(はつね)】の巻】  その(3)

 次に、夏の御殿の花散里にお渡りになります。今は夏の時節違いのためでしょうか、また、ご性格のこともあってか、殊更風流めいた装飾などもなされず、落ち着いた御住いのご様子です。

「(……)いと睦まじくあり難からむ妹夫の契ばかり、きこえ交はし給ふ」
――(今は、源氏にお泊りいただくということはないながら)大層睦まじくいらっしゃって、世の常の男女の契は絶えて無い珍しい夫婦の情を持ち合っていらっしゃいます――

 暮に源氏がお贈りになりましたご衣裳を着ての花散里と対面して、思わず、

「縹(はなだ)は、げににほひ多からぬあはひにて、御髪などもいたく盛り過ぎにけり、やさしき方にあらねど、えびかづらしてぞ繕ひ給ふべき、(……)」
――縹色(はなだいろ)は、まったくこの方には美しい取り合わせではなかったことよ。お髪も大分薄くなられ、かもじでも入れて繕われたら良いものを。(他の男なら愛想をつかしてしまうところを、こうして気長に世話のできる自分はなかなかのものだ)――

 などと、お心に思いながら、ご自分にも満足されて、ゆっくりとお話をなさってから、西の対の玉鬘のところへお渡りになります。
源氏から贈られた山吹色のお衣装に、玉鬘は、どこからどこまでも艶つやときらびやかで、ご容貌が一段と引き立っておいでになります。

源氏は、こうして手元でお世話しなかったならば、きっと残念だったに違いないとお思いになります。それにつけても、

「えしも見過ぐし給ふまじくや」
――このままにして置かれそうにもない――

 玉鬘は、親子のように隔てなく源氏と逢っておりますが、やはりよく考えてみますと、他人であることには変わりのない、不思議な心持で、心から打ち解けることもできません。それが又、源氏にはおもむき深く思われるのでした。

「つつみなくもてなし給ひて、あなたなどにも渡り給へかし。(……)うしろめたく、あはつけき心もたる人なき所なり」
――遠慮なさらずに、紫の上の方にも行ってごらんなさい。(明石の姫君が手ほどきを受けていらっしゃるので、ご一緒に稽古なさい。)気の許せない、軽率な気性のかたはどこにもいらっしゃいませんから安心して――

「宣はせむままにこそは」
――万事お指図のとおりにいたしましょう――

まことにふさわしい玉鬘のご返事です。

◆えびかづら=髢(かもじ)のこと。

◆写真:玉鬘

ではまた。




源氏物語を読んできて(縹色)

2008年12月10日 | Weblog
◆縹(はなだ)色

 色の総称で、奈良朝以前に青色料として用いた露草(つゆくさ)の花を栽培した田の色を表している。古代の藍染は少し黄味がある冴えた青色だったが、近世以降は藍種が変って、赤味のある青色となる。

源氏物語を読んできて(246)

2008年12月09日 | Weblog
12/9   246回

【初音(はつね)】の巻】  その(2)


 源氏は先ず、幼い明石の姫君のところへお出でになりますと、丁度今日は元日でしかも「子の日」で、女童や下仕えの女などがお庭で小松を引いて遊んでいます。じっとしていられないほどの楽しさにみえます。

「北のおとどより、わざとがましくし集めたる髭籠ども、破子など奉れ給へり。えならぬ五葉の枝に、うつる鶯も、思ふ心あらむかし。」
――北の御殿の明石の御方(明石の姫君の生母)から、わざわざ苦心して集められた髭籠(ひげこ)や破子(わりご)などが贈られてきておりました。何ともいえぬ良い形の五葉の松の枝に、作り物の鶯にも、思う心のおありの様子です――

 お文には、
「年月をまつにひかれて経る人にけふうぐいすの初音きかせよ」
――長い年月ご成長を待ち焦がれている母に、初のお便りをください――

 おとずれもない里から……とお歌に添えられていますのを、源氏はご覧になって、今さらながら、長い年月、母子を対面させずに置いたことも罪作りのようで、明石の御方を気の毒にお思いになり、

「この御返り、自ら聞こえ給へ。初音惜しみ給ふべき方にもあらずかし」
――お返事はご自分でお書きなさい。書き惜しみなさるのはいけませんよ――

と、硯をご用意されます。

姫君のお歌
「ひきわかれ年は経れども鶯のすだちし松の根をわすれめや」
――長い間お別れしていましても、生みのお母様をお忘れいたしましょうか――

 お返事は、稚ないお心にまかせて、何やかやくだくだとお書きのようです。

◆髭籠(ひげこ)=細く削った竹で編んだ籠。編み残しの端が髭のように見えるゆえ。
◆破子(わりご)=ヒノキの木で中に仕切りのある食器。

ではまた。
 


源氏物語を読んできて(245)

2008年12月08日 | Weblog
12/8   245回

【初音(はつね)】の巻】  その(1)
  
源氏    36歳 正月
紫の上   28歳
明石の御方 27歳
明石の姫君  8歳
玉鬘    22歳
夕霧    15歳
 
「年立ちかへる朝の空の気色、名残なく曇らぬうららかげさには、数ならぬ垣根の内だに、雪間の草若やかに色づきはじめ、(……)」
――年が改まって、すっかり晴れ渡ったうららかな気分には、つまらない家の庭でさえ、雪の間に草が萌え出でて、(いつわが世となるかと、待ちかねたように木の芽も膨らみ、春めいて立つ霞の空に、自ずから人の心ものびのびするようです。ましてや、善美をつくした六条院では、お庭をはじめとして、何もかも結構づくめで、ひときわ美しく着飾った女君たちのご様子は、いちいち形容のしようもなく言葉もございません)――


「春のおとどの御前、とり分きて、梅の香も御簾の内のひほいに吹きまがひて、生ける仏の御国と覚ゆ。さすがにうちとけて、やすらかに住みなし給へり。」
――春の御殿のお庭はとりわけ、梅の香も御簾の内の薫物の香と紛うほど芳ばしくて、この世ながらの極楽浄土かと思われます。紫の上はなるほど正妻らしくゆったりとくつろいでお住まいになっていらっしゃいます。――

 みな、歯固めの祝いや餅鏡を取り寄せて、長寿を願ったり、願い事などにぎやかに正月を祝っております。朝の間は年賀の方々で立て込んでおりました御殿も、夕方になって、源氏は女君の方々の許へ年賀にいらっしゃるため、

「心ことに引き繕ひ、化粧じ給ふ御影こそ、げに見るかひあめれ」
――格別念入りに装束を整え、お化粧されたそのお姿は、まことに見る甲斐のある御有様でございます――

まず、紫の上に餅鏡でお祝いをされての(歌)
「うす氷とけぬる池のかがみには世にたぐひなきかげぞならべる」
――新春の池に、あなたと二人並んだ幸福そうな影が映っています――

紫の上の(歌)
「くもりなき池の鏡によろづ代をすむべきかげぞしるく見えける」
――晴れ晴れとした池に、いつまでも変わらず暮らす二人の影が映っています――

「げにめでたき御あはひどもなり」
――お二人は、まことに結構な御仲でいらっしゃいます――

◆歯固めの祝いや餅鏡=年の初めに、大根、橘、押鮎、餅などを食し、歯を固めて寿命を願う行事。「萬代を松にぞ君を祝ひつる千年の陰に住まむと思へば」の歌を誦す。
餅鏡は、今の鏡餅、これを前にしてやはり幸を願う。

ではまた。

源氏物語を読んできて(244)

2008年12月07日 | Weblog
12/7  244回

【玉鬘(たまかづら)】の巻】 その(22)

さらに、源氏はつづけて、
「常陸の親王の書き置き給へりける、紙屋紙の草子をこそ、見よとておこせたりしか。(……)よく案内知り給へる人の口つきにては、めなれてこそあれ」
――末摘花の父宮が、書き遺された紙屋紙(かんやがみ)の草子を、読んで見よと贈ってくださったが、(その草子には詠歌の秘訣がぎっしりと記してあり、避けなくてはならない、歌の忌み言葉などについて説いたところが多かったので、もともと不得手な私は、かえって規則に縛られて身動きができなくなりそうで、面倒になってお返ししてしましました)よく学んでいる方(末摘花)の歌としては、これは平凡な歌ですね。――

と、面白がっておいでのご様子なのは、末摘花にお気の毒なようです。

紫の上は、

「などて返し給ひけむ。書きとどめて、姫君にも見せ奉り給ふべかりけるものを。ここにも、物の中なりしも、虫皆そこなひてければ。見ぬ人はた、心ことにこそ、けどほかりけれ」
――どうしてお返しになりましたの。書きとどめて置いて明石の姫君にもお見せしたいものでしたのに。私の手元にも何かの中にありましたが、みな虫が喰ってしまいましたので。見ておりません私は、やはり歌の道には疎いのです――

源氏は、「姫君のご学問には全く不要ですよ」とおっしゃって、

「すべて女は、たてて好めること設けてしみぬるは、さまよからぬ事なり。何事も、いとつきなからむは口惜しからむ。ただ心の筋を、漂はしからずもてしづめおきて、なだらかならむのみなむ、目安かるべかりける」
――総じて女というものは、一つの事を取り立てて、それに凝り固まるのは見苦しいものです。何事にも不案内なのはよくありませんが、ただ心の内にしっかりした考えを秘めていて、うわべは穏やかにしているのこそ、見よいというものです――

◆紙屋紙(かんやがみ)=京都の朝廷所属の紙屋院で漉いた紙。紙は貴重であったため、反故紙の漉き返しもした。

◆けどほかり=気遠し=人気がなく物さびしい。遠く隔たっている。「け」は接頭語。

これで【玉鬘(たまかづら)】の巻】  終わり。

ではまた。


源氏物語を読んできて(細長・1)

2008年12月07日 | Weblog
◆細長(ほそなが)1

 細長は、諸説があってその形状は明確には判明していません。女性の装束として用いられた細長は、袿(うちぎ)または表着の上に重ねるもので、身幅が狭く裾の長い衣裳だったと推測されています。衽(おくみ)がなく腋(わき)の開いた身丈の長い衣とする説が有力です。

 また、後身頃がふたつに分かれているとの説もあり、風俗博物館で展示しておられる細長は、この説を採用して、後身頃が上半身の部分からふたつに大きく分かれ、長く裾を引く形になっています。

写真:風俗博物館