永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(626)

2010年01月22日 | Weblog
2010.1/22   626回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(41)

 ここ、小野の山間(やまあい)は、滝の水音、草むらの虫の音、竜胆が枯れた草の中から這い出でて、露に濡れて咲いています。いつものとおりの晩秋の光景ですが、折も折、場所も場所のせいでしょうか、堪え難いほどの物悲しさです。

 夕霧は、

「例の妻戸のもとに立ち寄り給ひて、やがてながめ出だして立ち給へり」
――いつものとおり、妻戸のもとに立ち寄られ、そのままあたりを眺めながら立っておいでになります――

「なつかしき程の直衣に、色濃やかなる御衣の擣目、いとけうらに透きて、影弱りたる夕日の、さすがに何心もなうさし来たるに、(……)」
――(夕霧のご様子は)着馴れて丁度柔らかくなった直衣の下に、濃い紅の下着の艶がきれいに透いて、少し薄れた夕日が、それらしく何気なしに差してきましたので、(眩しそうに扇で顔を隠しておられる手つきが、女でもこうは美しくはない)――

 と、侍女たちはお見上げしております。まことに美しいお姿の夕霧が、小少将をお呼びになって、他の人の気配を気にされながら、

「かくつきせぬ御ことはさるものにて、聞こえむ方なき御心のつらさを思ひ添ふるに、心魂もあくがれはてて、見る人ごとに咎められ侍れば、今はさらに忍ぶべき方なし」
――(御息所との)死別の悲しみは勿論ですが、その上に、宮のたとえようもないつれなさが加わって、私の魂も身から抜け出て、会う人毎に怪しまれますので、もう我慢ができません」

 と、恨み事を並べ、さらには、御息所がご臨終の折のお手紙のことなどもおっしゃって、夕霧はひどくお泣きになります。

 小少将という侍女は、大和の守の妹で(亡き御息所の姪に当たる)、幼い時から御息所に育てられました身近な関係ですので、喪服の色も大そう濃く染めて、橡色(つるばみいろ)の一揃いの上に小袿を着ています。小少将も泣きながら、「あなた様からご返事さえございませんのを、ご危篤に一段とご気分が悪くなられて、そのような弱り目に物の怪が魅入ったのでございましょう……。」

 と、またいろいろとお話申し上げるのでした。

◆なつかしき程=親しい。ここでは衣裳が身に柔らかく添う感じ。*現在の「過去に心が惹かれて慕わしい」という意が出てくるのは、中世末から。

◆擣目(うちめ)=絹の光沢を出すために、砧(きぬた)で打った、その艶の様子。

ではまた。

源氏物語を読んできて(625)

2010年01月21日 | Weblog
2010.1/21   625回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(40)

 夕霧はやはり小野のことが心配でならず、御息所(みやすどころ)のご忌中が終わってから伺うつもりが、それまで我慢が出来そうもなくて、

「今はこの御なき名の、何かはあながちにもつつまむ、ただ世づきて、つひの思ひかなふべきにこそは、と思したばかりにければ、北の方の御思ひ遣りをあながちにもあらがひ聞こえ給はず。」
――今はどうせあらぬ浮名を立てられているのだから、何も遠慮することもない。世間一般の男のように振る舞って、この思いを遂げるだけだとお心に決めていますので、北の方(雲井の雁)が何とおっしゃろうと、打ち消しもなさらない――

 夕霧のお心の内では、

「正身は強う思し離るとも、かの一夜ばかりの御うらみ文をとらへどころにかこちて、えしもすすぎはて給はじ」
――正身(しょうじみ=ご本人の落葉宮)が、たとえ強情をお張りになって私をはねつけられても、御息所が一夜だけで捨てたとお恨みになったあのお手紙を盾にとって言い寄ったならば、よもや濡れ衣を濯ぐように清らかさを押し通すことはお出来になるまい――

と、すっかり強気になっていらっしゃる。
 
九月十日すぎの頃のこと。野山の景色は風雅の心を深くわきまえぬ者さえも無関心ではいられない程おもむき深い風情で、

「山風に堪へぬ木々の木末も、峯の葛葉も心あわただしう、あらそひ散る紛れに、尊き読経の声かすかに、念仏などの声ばかりして、人のけはひいと少う、木枯らしの吹き払ひたるに、鹿はただ籬のもとにたたずみつつ、山田の引板にもおどろかず、色濃き稲どもの中に交じりて、うち鳴くも憂へ顔なり」
――山風に堪えきれぬ木々の梢も、峰の葛の葉も、あわただしく先を争って散る中に、尊い読経の声がかすかに聞こえ、念仏の声ばかりして、人の気配はまことに少なく、木枯らしが吹き払っていますのに、鹿が籬(まがき)のすぐ側に佇んでは、山田の引板(ひた)にも驚かず、黄色く熟した稲の中に立ち交じって鳴いているのも愁いに満ちています。――

◆正身(さうじみ、しょうじみ)=その当人、本人。

◆とらへどころにかこちて=捕らへ所(しっかりつかむ)、かこつ(託つ=関係の無いことを無理に結びつける)

◆えしもすすぎはて給はじ=え(反語)し、も(強調)すすぎ(濯ぐ=清める)はて(果て=終わり、結末)

◆たのもしかりけり=頼もしい=気強い、心強い。

◆籬(まがき)=柴や竹などで、目を粗く編んで作った垣根。籬(ませ)、籬垣(ませがき)

◆引板(ひきいた、が転じて、ひきた、ひた)=小さい竹管を糸で連ねて、板に並べつけた鳴子板。鹿を追い払う道具。

ではまた。


源氏物語を読んできて(624)

2010年01月20日 | Weblog
2010.1/20   624回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(39)

 また、夕霧はつくづく思うのでした。

「大宮の亡せ給へりしを、いと悲しと思ひしに、(……)故衛門の督をば、取りわきて思ひつきにしぞかし、人柄のいたうしづまりて、ものをいたう思ひとどめたりし心に、あはれもまさりて人より深かりしが、なつかしう覚えし、などつれづれと物をのみ思し続けて、明かし暮らし給ふ」
――祖母の大宮が亡くなられたとき、自分はたいそう悲しいと思ったものでしたが、(大宮の実子である致仕大臣は、それほどでもないようで、一通りのご供養だけで終りになさったのが、寂しく不快だったものでした。大宮の娘(葵上)婿である御父の源氏が、鄭重にお世話申し上げ、後の法事まで営まれた事を、わが父ながらうれしく拝見したものでした)自分はあの時から、故衛門の督(柏木)を特に親しく思うようになったのでした。柏木という方は、沈着なお人柄で、物事を深く考える性質から、人情も人一倍篤かったことだった、と、懐かしく思い出されて、しみじみと物思いに朝夕を過ごしていらっしゃるのでした――

 さて、

「女君、なほこの御中の気色を、いかなるにかありけむ、御息所とこそ、文かよはしも細やかにし給ふめりしか、など思ひ得難くて、夕暮れの空をながめ入りて臥し給へるところに、若君して奉れ給へる」
――女君(雲井の雁)は、いったい、夕霧と落葉宮との間はどうだったのか、御息所とは御文をやりとりなさっていらしたけれど……、などと、どうしてもが合点がいきませんので、(夕霧が)夕暮れの空をぼんやりと眺めて横になっていらっしゃるところに、息子をお使いにして申されますには――

 小さな紙の端に、

(歌)「『あはれをもいかに知りてかなぐさめむあるや恋しきなきやかなしき』おぼつかなきこそ心憂けれ」
――「いったいあなたは落葉宮が恋しいのですか、御息所が亡くなられたことが悲しいのですか、それが分かりませんので、ご同情のしようがありません」はっきりしませんのが、辛くてなりません――
 夕霧はこれをご覧になって苦笑いをされ、

「先々もかく思ひよりて宣ふ、似げなの亡きがよそへや」
――前にもこのような言い方をしたことがあった。よくまあ気を回して言うものだ、亡き御息所のことを悲しんでいるなど、まったく見当違いなことよ――

 とお思いになりながら、すぐにさりげない風に、

(歌)「『いづれとかわきてながめむ消えかへる露も草葉のうえと見ぬ世を』大方にこそ悲しけれ」
――「何がどう悲しいというのではありません。すべては露に等しい世の中ですから」
世の中何もかもが悲しいのです――

 雲井の雁は、このような歌をご覧になって、まだこうして肝心なことを隠し立てなさっていると思いますと、人生の無常うんぬんなどそっちのけで、夕霧がますます憎らしくてならないのでした。

ではまた。

源氏物語を読んできて(623)

2010年01月19日 | Weblog
2010.1/19   623回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(38)

 九月になって、山おろしの風が大そう烈しく、木の葉が散りつくして枝が露わになって、何事も哀れ深い季節ですので、落葉宮は涙の乾く隙もなく歎いておられ、

「命さへ心にかなはずと、いとはしういみじう」
――命さえ自由に断てない、と、わが身が厭わしく悲しい――

 と辛くばかり思っておられます。お仕えする人々も何事につけても、物悲しく、おろおろしております。夕霧からは毎日お見舞いがあって、

「淋しげなる念仏の僧などなぐさむばかり、よろづの物を遣はしとぶらはせ給ひ、宮の御前には、あはれに心深き言の葉をつくしてうらみ聞こえ、かつは、つきもせぬ御とぶらひを聞こえ給へど」
――御忌に籠っている心細そうな念仏の僧などを喜ばせるために、何かと色々な品物を見舞いにお与えになり、落葉宮にはしみじみと心の籠ったお言葉で宮のつれなさをお恨みし、一方ではこの上もないお見舞いに心を尽くしていらっしゃいますが――

 落葉宮は、

「取りてだに御覧ぜず、すずろにあさましき事を、溺れる御心地に、疑ひなく思ししみて、消え失せ給ひにし事を思し出づるに、(……)この人の御事をだにかけて聞き給ふは、いとど辛く心憂き涙のもよほしに思さる」
――(そのお手紙を)受け取りもされず、母君が思いがけぬ忌まわしい事件を、ご重態の中で、そうと信じたまま亡くなってしまわれた事を思い出されますと、(それが母君のご往生の妨げになりはしないかと胸がいっぱいになって)夕霧の事をお聞きになるだけでも、余計に辛くわびしく、涙ばかり催されます――

 お側の者たちも、どうお取りなし申し上げようもなく、困っております。

 夕霧は、宮から一行のお返事さえ頂けないのを、しばらくはご悲嘆のせいと思っておられましたが、それにしても、これほどの日数が経っていながら自分の志がお分かりにならないとは、若い人ではなし、と、恨めしくてなりません。普通は悲しい時に見舞ってくれる人には、親しみを感ずるものなのに……。

◆すずろにあさましき事=すずろに(思いがけなくも)、あさましき事(嘆かわしい、情けない)事。

ではまた。

源氏物語を読んできて(622)

2010年01月18日 | Weblog
2010.1/18   622回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(37)

 夕霧は、

「今宵しもあらじと思ひつる事どものしたため、いと程なく際々しきを、いとあへなし」
――まさか今夜はなさるまいと思っておられたご葬儀の準備が、短い間にてきぱき運ばれたのを、あっけなく――

 お感じになって、この付近のご自分の荘園の人々を召して、葬儀に関する事をするように指図なさってお帰りになりました。急いでの事とて簡略であったご葬儀も、夕霧のお口添えで堂々として、僧や参列者の数も揃って盛大に執り行われたのでした。前大和の守も「真似のできない夕霧殿のご配慮よ」と御礼を申し上げます。

 落葉宮は、

「名残だになくあさましき事」
――御亡骸の跡形さえ無いとはあまりなこと――

 と臥してお嘆きになりますが、なすすべもありません。お側の侍女たちも、この有様では、宮のお身の上にも不吉なことが起こりはすまいかとお案じ申し上げます。大和の守が万事雑事を済ませて、宮に申しますには、

「かく心細くてはえおはしまさじ。いと御心の隙あらじ」
――こんな所にお一人ではおられますまい。ご悲嘆の紛れる時もないでしょう――

 と申し上げますが、落葉宮としては、

「なほ峯煙をだに気近くて思ひ出で聞こえむと、この山里に住み果てなむと思いたり。御忌にこもれる僧は、東面、そなたの渡殿下屋などに、はかなき隔てしつつ、かすかに居たり。西の廂をやつして、宮はおはします」
――それでもせめて、母君の火葬の煙でも身近に思い出したくて、この山里に最後まで住もうと思っていらっしゃる。忌中の仏事にお仕えになる僧は、東の廂の間や、そちら側の渡殿、召し仕えの住む雑舎などにちょっとした仕切りをして、ひっそりと住んでおります。落葉宮は西の廂の間の装飾などを取り払って、そこにおいでになります――

 お悲しみで日の経つのもしかと覚えぬご様子のうちに、月日はいつの間にか九月になりました。

ではまた。


源氏物語を読んできて(621)

2010年01月17日 | Weblog
2010.1/17   621回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(36)

 侍女は、

「唯今は、亡き人と異ならぬ御有様にてなむ。渡らせ給へるよしは、聞こえさせ侍りぬ」
――ただ今は、宮様はまるで死人と同じようでいらっしゃいます。ご来訪の御主旨は
お取り次ぎいたしました――

 と申し上げます。そのような中で侍女たちも泣き咽んでおりますので、夕霧は、

「(……)いかにしてかくにはかにと、その御有様なむゆかしき」
――(お慰めの言葉もありませんが、宮のお心が静まられてから伺いましょう)でも、どうしてこんなに急に亡くなられたのかと、その事情をお聞きしたいのです――

 とおっしゃいます。侍女は、露わではありませんが、御息所が歎いておられた御様子を少しずつ申し上げて、さらに、

「かこち聞こえさするさまになむなり侍りぬべき。今日はいとど乱りがはしき心地どもの惑ひに、聞こえさせ違ふる事どもも侍りなむ。(……)」
――(これ以上のことは)あなた様に愚痴を申し上げるようになるかも知れません。今日はいつもより皆気を取り乱しておりますので、間違ったことを申し上げるかも知れません。(宮様が落ち着かれた頃にお話申し上げ、お返事も頂きましょう)――

 と言った切り、侍女たちも途方に暮れている様子です。それなのに夕霧はなおも、

「げにこそ闇に惑へる心地すれ。なほ聞こえなぐさめ給うて、いささかの御返りもあらばなむ」
――まことに私も闇に迷った心地です。ぜひとも又お取り成しくださって、一言のお返事でも伺えましたら――

 と、おっしゃって、いつまでも立ち去りかねていらっしゃる。けれども、それではあまりにもご身分柄軽々しくもあり、あたりに人の出入りも多いので体裁も悪く、ともかくもお帰りになることにしました。

ではまた。


源氏物語を読んできて(620)

2010年01月16日 | Weblog
2010.1/16   620回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(35)

 「程さへ遠くて、入り給ふ程いと心すごし。ゆゆしげに引き隔てめぐらしたる、儀式のかたは隠して、この西面に入れ奉る。大和の守出で来て、泣く泣くかしこまり聞こゆ」
――夕霧は、心せかれますが、なる程小野までは道のりが長く、門を入られますと、あたりは全く物寂しい限りです。取りなしの侍女が、それらしく屏風を立て廻らしている葬儀場の方はお見せせず、西面に夕霧をご案内します。御息所の甥の大和の守が立ち出でてきて、泣く泣く夕霧にご弔問の御礼を申し上げます――

 女房達はみな気も動転して、気落ちし泣いております。夕霧も何も申し上げられずにおりましたが、やっと気を落ち着けて、小少将に、

「よろしうおこたり給ふさまに承りしかば、思う給へたゆみたりし程に、夢もさむる程侍るなるを、いとあさましうなむ」
――大分お加減が良くおなりになったと伺いましたので、安心しておりました所へ、夢でさえ覚めるのに時間があるものですのに、これは又何という儚なさでしょう――

 とのお言葉を、宮へのお取り次ぎを願って申し上げます。

「思したりしさま、これに多くは御心も乱れにしぞかしと思すに、さるべきとは言ひながらも、いとつらき人の御契りなれば、答へをだにし給はず」
――(落葉宮は)御息所のご心痛が、多くはこの夕霧の為に余計ひどくなったことだとお思いですので、何かの因縁とは言いながら、何とも恨めしい人なので、お返事をさへされません――

 そのような宮に侍女たちは、

「いかに聞こえさせ給ふとか、聞こえ侍るべき。いと軽らかならぬ御様にて、かくふりはへいそぎ渡らせ給へる御心ばへを、思しわかぬやうならむも、あまりに侍りぬべし」
――それでは何と申し上げればよろしいでしょうか。重い御身分でこうしてわざわざ急いでお出でくださった御誠意を、分からない風になさいますのは、あまりにもひどいなさり方だと存じます――

 と、口々に申し上げます。宮は、

「ただおしはかりて。われは言ふべきことも覚えず」
――ただ良いように、お返事を申し上げてください。私からは何と申し上げたらよいかわかりません――

 と、おっしゃってうち臥しておしまいになりますのも、ご無理のないことです。

◆写真:山道を照らす月明り

ではまた。

 

源氏物語を読んできて(619)

2010年01月15日 | Weblog
2010.1/15   619回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(34)

 このような騒ぎのときに、夕霧からのお手紙が届けられたらしいことを、御息所は消えゆく意識の中でお聞きになって、今夜も御本人の夕霧はお出でにならないことに肯かれて、お心の内でがっかりなさって、

「世の例にもひかれ給ふべきなめり、何をわれさへさる言の葉を残しけむ」
――宮もこれでは世の噂話の種になられることでしょう。どうして自分までもが、あのような浅はかな歌をおくってしまったことか――

 と、あれこれ思っておられるうちに、そのまま息が絶えて了われました。御息所はときどき物の怪に煩わされて何度も臨終の折がありましたが、今度がいよいよ最後だと皆にもわかりました。落葉宮は一緒に死にたいとお側でしがみついておられますが、女房たちが、

「今は言ふかひなし。いとかう思すとも、限りある道は、返りおはすべき事にもあらず。慕ひ聞こえ給ふとも、いかでか御心にはかなふべき。いとゆゆしう、亡き御為にも罪深きわざなり。今は去らせ給へ」
――もう致し方ありません。そのようにお嘆きになりましても、死出の旅路からお帰りにはなれません。お跡を追われましょうとも、どうしてご自由に行けましょう。それは
いけないことです。故人の御往生の妨げにもなります。どうぞ、お側から離れてください――

 加持僧は祈祷の壇を壊して退出しますと、いよいよ最後のときがきて、宮は悲しく心細いのでした。諸方からの御弔問は、いつの間に聞きつけられたのかと思うほど早く、夕霧からも源氏からも、山にお籠りの朱雀院(落葉宮の御父宮)からも御弔問のお使いがいらっしゃいます。

 生前、御息所が平生から、「死後は早く葬るように」とおっしゃっておいででしたので、今日早速葬送いたすことになり、御息所の甥の前大和守が万事とり仕切っています。
最後のお別れに皆が泣き悲しんでおりますところに、夕霧が到着なさったのでした。

実は、夕霧は、

「今日より後、日ついであしかりけり」
――今日を置いては、弔問の日柄が悪いから――

 と、人前を取り繕って、家人たちがお止めするのを振りはらってこちらへお出かけになったのでした。

ではまた。


源氏物語を読んできて(618)

2010年01月14日 | Weblog
2010.1/14   618回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(33)

御息所のお話は、柏木との御縁談にさかのぼって、

「院よりはじめ奉りて、思し靡き、この父大臣にもゆるい給ふべき御気色ありしに、おのれ一人しも心をたてても、如何はと思ひより侍りし事なれば、(……)こよなう情けなき人の御心にも侍りけるかな」
――(婿として柏木はどうであろうかとのご縁談のとき)朱雀院をはじめ、みな御賛成になり、柏木の父大臣にもお許しの御内意が伝えられましたのに、私一人だけが反対をしてもどうかと思いまして、諦めたことでしたが、(その後々までも御不運なあなたの御身を、ただ空に向かって愚痴をこぼして過ぎてきました。今こうして困った事件が起こりそうで、しかしまあ世間の評判は構わないとしても、)せめて夕霧のご態度が世間並みであったらと、まったく情けない夕霧のなさり方ですこと――

 と、とめどもなくお泣きになります。御息所が筋道もなく一人合点に言われますのを、宮は逆らわれる言葉もなく、一緒に泣いておられるご様子は、おっとりと愛らしげでいらっしゃる。そのような宮を見守りならが、御息所はまた、

「あはれ、何事かは人におとり給へる。いかなる御宿世にて、安からず物を深く思すべき契り深かりけむ」
――ああ、あなたは何一つ人に劣ったところはありません。それを何の運命でこれほど深く思い悩まなければならないのでしょう――

 と、おっしゃるうちにひどくお苦しみになって、物の怪なども、このような弱り目につけ込むものですから、

「にはかに消え入りて、ただ冷えに冷え入り給ふ。律師も騒ぎたち給うて、願など立てののしり給ふ」
――にわかに命が消え入りそうになって、お身体は徐々に冷たくなっていかれます。律師も驚いて蘇生の願などを立てて、大声でお祈りされます――

 律師は、自分が深い誓いによって山籠りから出るまいとの決心を持っていましたのに、御息所のご容体のために下ってきていたのです。今その祈祷の壇を壊して帰山するのでは面目もなく、仏の力も何ほどかと恨まれそうで、心を奮い起こして一生懸命お祈り申されます。落葉宮の泣き惑われますことは言うまでもありません。

◆祈祷の壇を壊して帰山=祈祷が報われなかったときは、祈祷の壇を打ち壊して寺に帰る。

ではまた。