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歴史遺産訪問_01(矢岳トンネル_えびの市)

2013年02月17日 13時52分27秒 | まちを良くする活動

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熊本側「矢岳越え」は、トンネルのほか、山裾から山を回るように登るループ線や、ジグザグに山を登るスイッチバックで電車が山を越えていく。吉松駅から肥薩線で最も標高が高い矢岳駅(536.9m)に向かうと、霧島連山、麓の盆地の風景、遠くは桜島までの眺望が、次第に高度を上げる車窓から大パノラマのように広がっている。
鉄道ファンのみならず、移り変わる車窓風景を楽しめる日本三大車窓のひとつとして観光客を集めている。

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えびの市の矢岳第一トンネル(矢岳方)を訪ねた。くわしい地図が無く、村人に聞きながらようやく入口にだどりついた。最初は川かと思ったが、トンネル内やトンネル周辺から、湧き出た水であることが後で分かった。

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急こう配の山。道は無く、ようやく線路まで辿りついた。

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熊本~鹿児島両県の県境近く、矢岳山を抜ける矢岳第一トンネルは、矢岳駅と真幸駅の間にあり、JR九州肥薩線の中で最も長いトンネル(全長2,096.17メートル)。険しい山岳地帯を抜ける難工事が伝えられている。平成21年に土木学会選奨土木遺産に認定されている。

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人吉駅(熊本県)から吉松駅(鹿児島県)までの区間は、「矢岳越え」と呼ばれる難所。
矢岳を貫通する工事も水分の多い凝灰岩の地層では激しい水分に見舞われ、熊本側からはトンネル全体が1,000分の25の急な下り傾斜となる難しい工事だったと言われている。 
 
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工事には多くの殉職者を出した。また湧水の激しさを物語る記録には、建設材料を運搬する馬が転倒し、助けるいとまもなく流されてしまったことなどがある。こうした難工事であったにもかかわらず、作業員の昼夜の努カによって明治39年9月の看工後、明治41年には員通、明治42年11月21日の開業期目に完成。

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トンネルの入口には、熊本県側に当時の逓信大臣、山県伊三郎氏の「天険若夷(てんけんじゃくし、)」、宮崎県側に鉄道院総裁、後藤新平の「引重致遠(いんじゅうちえん)」の石額がはめ込まれており、難工事を克服した喜びが記されている。

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言葉をつなげて読むことで、「天下の難所を(トンネルによって)平地であるかのようにしたおかげで、重い貨物を遠くへ運ぶことができる」という意味になっている。この2人の名前は、この区間を運行している観光列車「いさぶろう」、「しんぺい」にも使われている。

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トンネルの入り口(えびの側)下は暗渠となっているが、石組みで美しく整備されている。その外、見えないところにもデザイン的な配慮がなされていた。


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