北海道の山野でとことん遊ぶ!!
I am Amigo!
2024.10.9 『雨霧山」(アマギリヤマ・509m) 紅葉が深まらないねえ・・・
先週の水曜日は、
また仕事が暇なので有給休暇を取得した。
そして紅葉の様子でも見てみるか、
と『雨霧山』に登ってみることにした。
『雨霧山』は夕張市と栗山町の、
境界線上に位置する山で、
夕張市と栗山町のどちらからでも、
林道を利用して登ることができる。
またその山容は同高度の山間部にあるため、
夕張市からも栗山町からも確認しにくい。
この日はより近い栗山側から登ることとし、
栗山町東山地区へと車を走らせた。
栗山町東山で町道奥から農道に入った。
田園地帯の中に続く農道を走って行くと、
突然目の前にエゾシカの防護柵ゲートが現れる。
そしてそのすぐ手前には、
農地の片隅に駐車できるスペースがある。
もう農繁期も過ぎたため、
農業従事者が来ることはないだろうと、
そこに駐車した。
駐車地からすぐにエゾシカ防護柵を越えて、
「雨霧林道」に入った。
エゾシカ防護柵ゲートのすぐ奥に、
施錠された林道ゲートがある。
「雨霧林道」はここから始まって、
『雨霧山』の頂上部付近を最高標高とし、
その後は夕張市南清水沢に向かって下って行く。
栗山側からのルートは『雨霧山』の山頂まで、
およそ8kmの長い林道歩きとなる。
林道を歩き出すと、
いきなり地面にドングリがたくさん落ちていた。
それもやけに粒が大きい。
こんなサイズのドングリを目にしたのは、
おそらく初めてだと思う。
ヒグマがこれを見つけたら喜んで食べるだろう。
林道を歩いて行くと、
「東山川」に架かる橋を渡るが、
その橋の欄干には、
「築別川」と書かれたプレートが貼り付けてある。
これを目にするたびに首をかしげてしまう。
地理院地図では、
そこを流れる川を「築別川」ではなく、
「東山川」と表記している。
更に地理院地図ではこの川の一本北側に、
「築別川」と記された川がある。
そしてこの両川は、
もう少し下流で合流することになる。
この橋が竣工されたのは昭和42年。
そのとき関係者が誤って、
「東山川」を「築別川」と勘違いして、
プレートを作ってしまったのだろう。
林道を歩いて行くと、
期待した紅葉は全く進んでおらず、
逆に緑が美しい。
そんな中でぬかるみにヒグマの足跡が現れた。
それを追うように歩いていると、
大きなフンの塊と、
今度はこちら向きの足跡が現れた。
今年はこの林道を利用した林業が活動していないので、
ヒグマも我が物顔で歩き回っているようだ。
林道の路面に残っていた1台分のタイヤ痕が、
200辺りで消えた。
そしてその先は荒れだして、
深い雨裂が続いたり、
崩壊箇所が現れるようになった。
先月の大雨がもたらした被害だ。
あの雨はここ夕張が、
全道で最も降水量の多い地点である、
と報道されていたことを思い出した。
林道崩壊箇所を過ぎると、
斜度が増して高度を稼ぐようになる。
そして林道は大きく蛇行を繰り返して遠回りをする。
一旦西の端まで伸びた林道が、
北から南方向へと回り込む。
すると目指す「雨霧山」のピークが見えてくる。
また遠く西側の田園風景も見えてくる。
上部から眺める山肌も、
紅葉が深まっていない。
それにしても林道上の草が増えたものだ。
全く車が走行していないと言うことだ。
栗山側は雨裂や決壊があるし、
夕張側も落石で走行できないのだろう。
「雨霧林道」の最高標高で、
「雨霧支線林道」に乗り換えた。
すると間もなく「雨霧山」の頂上部基部に達した。
そして踏み跡を辿ってピークへ。
『雨霧山』(二等三角点:鬼奥峠=オニオクトウゲ)。
もうずいぶん回を重ねて立つピークだ。
と、ここで三脚の部品が欠落しているのに気付いた。
以前使用していた三脚も、
同じ部品をなくした。
それでピークから尾根筋を下って、
ショートカットすることをやめ、
林道をそのまま下りながら、
なくした部品を探すことにした。
そしてそれを探しながら歩いていて思い出した。
前回なくした三脚の部品も、
この林道を歩いている時だったと!
「雨霧林道」の呪いか・・・
長い林道を淡々と歩いた。
終盤を迎えた橋のプレートを再び目にした。
そこには「昭和42年竣工」、
と書かれていた。
昭和42年と言えば、
私が小学生から中学生になった年。
約60年前のことだ。
いやあ、歴史を感じるねえ!
そして俺も歳とったなあ・・・