自然と歴史とエトセトラ
越後の「日本」を巡る旅③
2023/5/12 日本平
日本平は下田・大谷ダムの上流、五十嵐川右岸尾根にある
地形図に「日本平」と表記されているが三角点や標高を示すものはなく概ね標高860mくらい
登山道はないが、三条市経済部営業戦略室発行の「下田山塊・山岳地図」に踏み跡・廃道としての記載がある
ネットの記録では、3~5月の残雪を利したものが多い
おそらく融雪の早い今年は、すでに藪に埋もれていることだろう
当然、この日本平を目指すというよりはその先の中ノ又山を目指す記録が多く、その途中の山という位置づけだ
越後の「日本」を巡る旅
三座目はこの日本平で締めくくる
前夜は、道の駅・漢学の里しただ で車中泊
結構な冷え込みで午前4時に気温は1℃
大谷ダム・大江大橋先の路側場まで移動し車を置く
ここから先は通行止め
国道289号(いわゆる八十里越)は数年後、会津側への開通を目指し工事中
舗装路をしばらく歩くと、お先真っ暗なトンネル
トンネルは通過しないなずだなと思い、戻る
周りの景観に見とれながら漫然と歩いていたので、誤って新道方面へと入ってしまったらしい
気を取り直して旧道をいく
道端の草葉に霜が降りている
5月の半ばで、霜か
そうこうしながら、川クルミ沢
右岸にある観測所まで行くとその先に踏み跡が見られる
しばらく行くと目印が現れ、それを辿る
沢を二度渡ると目印も見当たらなくなり、「ルーファイを楽しんでくださいね」という意思を感じる
まずは一段上がって緩傾斜の開けた場所まで
見渡すと日本平に直登尾根とその右に尾根があり、登路の候補となる
直接尾根が正解かなとは思ったが、その途中に谷が切れ込んでいた
そちらに行くには少し戻り、渓を渡らねばならない
右の尾根もなんとか行けそうなので、そちらを詰めあがることにした
途中、岩場もあるが灌木豊富で木登りピッチ
とはいえ、滑り落ちればタダでは済まない急傾斜だ
登り切れば笹と灌木などが茂る、軽めの藪
尾根を忠実に詰めていくと、目印が復活
やはり、本来は直接尾根が正道なのだろう
帰りはこちらを辿ってみることにした
ここからは藪も背丈程度になり本格的なヤブコギ
グレードで言えばⅡ~Ⅲ級くらいだろう
目印も断続的についているので、迷うことはない
途中、少し開けた場所で背後に守門岳が見えた
さすが名山の風格漂う雄大さだ
やがて地形図上の日本平ピ-クだが、ただ藪があるだけ
目印は五平衛小屋、中ノ又山方向へついている
もちろん、山頂を示すようなものはなく、確かめるにはGPSしかない
ここを目指すなんてどんなモノ好きだよ、と言いたくなるが自分のことなので悪態もつけない
光明山、粟ケ岳、矢筈岳、青里岳
下田山塊の同定が楽しい
昨日登った日本平山へも尾根で繋いでいけるのか
縦貫したらスゲぇな
ふと、近くに目を移すと隣に緩やかな頂が見える
地形図を見れば標高は同じくらいで緩やかに繋がっている
この「日本平」の名の由来はネットで検索したが、見つからなかった
しかし、もしかしたらこの隣の峰と「二峰つながった平らな場所」というような意味なのではないか
そんな推察をしてみる
下山は目印を追っていくが、やはり途中で見失う
こんな場面もよくありがちとはいえ、やはり少しは心細くなるものだ
「お-い!」
遠く後方から、そう聞こえた
振り返るが、誰もいない
目を凝らし、耳を澄ますが再びその声を聞くことはなかった
おそらくは、動物や草木のさざめきによる悪戯
こちらの心細さ故の、聞き違いだろう
そうとは思えども、心中穏やかではない
もし妖や山神さまがいるとするならば、「気を緩めるなよ」という呼びかけか
「一声呼び」という怪異伝説もある
返事はせずに、そっとその場を後にした
しばしの彷徨もGPSでの確認を多用して、無事往路に合流
「山神さま、ありがとう」心の中で唱える
舗装路に出れば日差しは夏の如し
清々しい風に吹かれながら歩くのは実に楽しい
越後の「日本」を巡る旅
それぞれの個性を持った山を楽しむ
日本国、日本平山、日本平
そして、笹川流れ、持倉鉱山跡、越後平野
今日の怪異は気のせいだったことにしておく
自然と歴史とエトセトラ
山だけではない、日本のすばらしさを知る旅でもありました
もちろん
初日は「村上海鮮はらこめし」に「燕背油ラーメン」
二日目「下田ごんぼっ葉笹団子」
最終日に十日町で「へぎそば」を食し、この山旅を美味なるもので彩っていた次第です
sak
自然と歴史とエトセトラ
越後の「日本」を巡る旅①「下越・日本国」へ
越後の「日本」を巡る旅②「川内山塊・日本平山」へ
↓動画も