きままな雑記帳

ごく普通のあんちゃんのきままに記す日常日誌

苦手な科目を一瞬でも克服したことはありますか?~大の苦手だった数学を好きな科目へと導いてくれた高校時代のベテラン教師~

2017-09-04 07:01:35 | 学問
人間、誰しも何か得意なものは一つくらいあると申しますが、逆に苦手なものも一つくらいはあるでしょう。

私の場合は数学だったんですよ、英語も苦手なんですが数学は輪をかけて受け付けない。



考え方といいますか、何を言ってるのかまるっきり理解できない子供でした。

そんな私が高校時代に出逢った数学のベテラン教師。この教師によって初めて数学が面白いと思えるようになりました。





それまで、まるっきり理解もできない状態の私は数学にまつわることに対して拒否反応すら出てました。

『どうせ誰が教えても理解すらできない』

これは深刻(;゚Д゚)

高校に入学してからも数学担当の若手の教師には、黒板に書いてる公式も何を説明してるのかすらわからなかったのです。





はぁぁぁ、こりゃ卒業できるかな・・・。

絶望していた高校2年の春。数学担当の教師がベテランに代りました。
小太りで東北弁(?)丸出しのベテラン男性教師。
この教師が私に言いました。

『俺がこれから教えることだけ覚えるだけでいいがらね。これまで習ったことは忘れて良いがらな』

そして『必ず数学で80点取れるようにさせでやっがら』と。

どうやら担任の教師と私の成績対策を検討してたようで、得意科目なら楽々と80点以上はとれるのだから、おそらく数学の勉強の仕方がよくわかっていないだけなのかもしれないと考えたそうです。

この教師が担当した高校2年、3年での数学の点数は悪くて60点、良くて90点という結果でした。

ではどうしてそんなことが可能だったのか?

それは、高校で教える範囲の公式と解き方を徹底的に覚えることとテストでの割り切り方でした。

まず、基本的な計算の方法がマスターできてるかを確認、いわゆるレベルチェックです。

ここがクリアできていることが確認できた私の問題は、公式の選択方法と複雑に考える思考法の改善でした。

私に教えたのは「設問の文章を読んで、この設問の流れならこの公式を使用する」と選択方法を教えたのです。
これは、文章理解ができていることに着目したこの教師のアイデアでした。文章を読み解く能力があるならそれを利用して導いてあげればいい。

あとはあてはめる公式がわかれば、教師が教えた通りの解き方で答えを出すだけ。そこに余計なアイデアはしなくていい。

私にとってはじつにシンプルな教え方でした。

このやり方でそれまで鬼門になってた数学のテストが得意分野へと変わったのです。

でもこのベテラン教師のすごいところは、誰にも一律な方法で教えたのではなくて、個人個人に合った方法を伝授していたのでした。

卒業する時に言われたのが『とにかく苦手意識を払しょくさせてやって、やり方を教えてさえやれば少なくとも試験ではいい点数は獲れるがら。これで少しは数学に興味が出てきたんでねぇか?』と。

もちろん『はい!!』と返事いたしましたよ。

しっかし、田舎の高校でしたけど、すっごいベテラン教師がいたもんです。

ちなみに試験の割り切り方ですが、設問の意味がわからなければその問題は捨てろ(笑)
じつに潔い(笑)

人によってやり方を変え、物事をシンプルに整理して答えを導く。

数学以外にも大切なことを教えてくれた先生でした。




「成績が伸びない」
「勉強方法が分からない…。」
デスクスタイルで解決!








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夏休みの宿題って計画的にできてました?私??できてたわけありませんよ(笑)(≧◇≦)

2017-07-24 16:42:48 | 学問
ついに夏休みに突入いたしました(*^^*)

夏休みと言えば『宿題』です。



休み前に『夏休みの予定表』って作らされたことってありませんか?

夏休み全体のものと



一日の予定のもの



まぁ、たいがいはこの予定どおりなんていきません(笑)

わたしはよく親から「7月中に宿題を片付けろ」と言われたもんですが、この場合は「予定どおりに処理するから」と断ってました。
ところが、8月も終わり、始業式を迎えても工作やら自由研究などが終わってない場合があり(通常の宿題は片付いてるんですけどね)、提出日を延ばしてもらったりしてたもんです(笑)

ここで学んだこと。

人はスケジュールを決めるとそれだけで安心してしまうこと。

子供ながらにこんなことに気づくとはねぇ、我ながらなかなか頭がいい(*^^*)
しかし、この教訓を活かすことはなく、毎回提出期限の延期をお願いしていたんですが・・・(笑)

しかも、どーせ予定表なんて作っても無駄だ・・・なんて考えるようになりまして、ますますスケジュール無視になる始末。

結局、長期の休みに入ると自堕落な生活を送ってしまうという性格がわかりました(笑)
かえって、学校にいる時のほうが充実した生活を送れることも判明。

こんな性格なので、やがて塾に通わされるようになるのですが、それはまた別のお話。

でも、皆さんも似たような感じではありませんか?
まぁ、私だけですかね、ここまでだらしがないのは(笑)





















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お散歩日記~フルーツ大国・山形県のさくらんぼ畑と雪国・山形県の雪国ならではの交通インフラ~山形県南陽市編④*^^*)

2017-06-28 18:52:52 | 学問
さて、山形県南陽市宮内地区をてくてくと街歩きする私。
田んぼとさくらんぼ畑の広がる静かな街です。















とにかくさくらんぼ畑とさくらんぼ狩りの看板の多いこと。
しまいにはこんな看板まであります。

「もぎとり園」。
刈るだけでは飽き足らず、もぎ取ってくれとは、さすがさくらんぼ王国です。
太っ腹ですなぁ(*´▽`*)

【美食市】山形県産 最高級の佐藤錦





ただ、残念ながら当日はどこも「閉園中」。
やむを得ず、道路からさくらんぼ畑を眺めるのみとなりました。








さて、歩いていると雪国ならではの設備があることに気づきました。



まずは・・・

消雪井戸???
そして近くには用水路。

そして貯水池らしきものも。




雪を溶かして、溶かした雪をどかす為なんでしょうかねぇ。

そして道路には・・・





ちょうどセンターラインのところに水が出るようになっていて、道路上の雪を溶かすような仕組みになってます。
これは雪国ならではの工夫ですね。
地元では当たり前の施設なんでしょうけど、千葉からの旅人にとっては面白いので道路を撮影です(*^_^*)
厳しい検査をクリアした、真の夕張メロン「共選品」




そして気づいたのは、信号機の立ち方。
東北、とくに雪国では信号表示機が縦型。

関東などでは横型ですよね。


これも雪が信号機に積もらない工夫です。
そして、ゴミステーションも立派なもの(ここだけかもしれませんが)。



すっかり大人の社会科見学になりました。













こうして実際に見て、触れるって大切なんだと実感しますね。これだとただ教科書を丸暗記するやり方よりも記憶に残ります。
一々、授業のたびに各地に出かけていたら、授業を消化できないですけど、こういうのって大切な経験なんだなと改めて実感した山形の旅でした。
ありがとう、山形。ありがとう南陽市。
また来ます(^^)v



















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大学受験の思い出

2017-02-12 14:22:54 | 学問
大学受験。
私が大学受験しようと思ったきっかけはドラマ。
あとは映画でした。

その映画がこちら。



<iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/P6fpcs05WlQ" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

当時の私は千葉の田舎の高校生。
映画の作品は何度もレンタルビデオで借りて友人と観たものです。

ねn
ここに登場する人物達の通学していた大学が早稲田大学。
なんとなーく、東京でスーツ着たサラリーマンになるには東京の大学に行かなくちゃダメだろう・・・と漠然としたイメージでした。
そのイメージのまま高校生活を3年間過ごしてきた私。
とにもかくにも大学を受験しなくては話になりません。
とはいえ、ろくに受験勉強らしいこともしてはいませんし、第一どうやったら受験できるかもわかってませんでした。
これまた漠然と「センター試験ってやらないといけないなー」って感じです。

さて、どんなに呑気な人間でも自分の進路なんですからさすがに真剣に取り組まなくてはなりません。
私も担任教師との面談で「大学に進学したい」旨を相談しました。

担「大学はもう決めているのか?」
私「早稲田大学を考えてるんだけど・・・」
担「いやいや、お前ね。うちの高校のレベルじゃ無理だよ(笑)。他は?」
私「じゃあ日本大学は?」
担「それも無理(笑)」
私「じゃあ逆にどこの大学が引っかかるのさ」
半ば自棄気味に問いただす私。
担「千葉工業とか千葉商業、あとは城西国際とかかな」
全部、千葉じゃん・・・。
私「千葉から出たいんだけど」
担「どこか行くのか?」
私「東京か横浜へ」
担「まぁな、あの辺なら大学も多いからあるんじゃないか。ちょっと探してみろ」

こうして大学選び(レベルが合う程度)から始まった高校3年生の春。
この段階で受験を舐めてますね(笑)

それでも何とか探し出してきた私。
当時はインターネットなどはありませんので、学校で配布してる大学情報誌やら本屋での情報が頼り。
見つけてきたのが横浜にある大学「神奈川大学」。
ここは1教科受験を採用していて(当時は経営学部が適用)、私立なんだけどなんとなく国立大学っぽい学校名が気に入りました。

担「どこか見つけてきたか?」
私「神奈川大学はどうだろう?ここはうちの高校レベルでも受験はできるの?」
担「できるぞ、ただし一般入試だけどな。また面白いところを見つけてきたな。お前らしい(笑)」
最終的には神奈川大学以外に「大正大学」「桐蔭学園横浜大学」を一般で、「二松学舎大学」を推薦で受験することに。

まずは推薦入試の二松学舎大学に受験です。
こちらは小論文と面接のみ。
場所は校舎のある九段。
田舎から出てくるので、暇つぶしに父親までくっついてきて(受験中はなんとパチンコしてました)、若干お上りさんです。
ここでトラブル発生。
四谷駅からタクシーで二松学舎へ向かったのですが、タクシーの運転手さん間違ってくれました。
なんと向かった先は「上智大学」。
どことなく雰囲気の違いに気づいた私。

私「あの、ここって二松学舎ですか?」
運「え?二松学舎ですよ。ちょっと待ってね」
運転手さん、念のため校門にいた守衛さんに尋ねてましたが。
運「いやぁ、ごめんごめん。ここ上智大学だった(笑)」
これには同乗していた父親も大笑い。
父「上智かぁ、こいつがそんなレベルの高い学校に行けるわけねーじゃんよ(笑)。おい、上智には一応来れたぞ、わはは(笑)」
運転手さんと父親は大笑い。
私は試験もあるので苦笑い。
なんとか時間前に二松学舎へ到着して推薦試験を受験します。



なんか雰囲気が違います。
私と同じブレザーの制服タイプなんですが、私以外のブレザーはまるでリクルートスーツのように全身が紺色。
対して私。
ブルーのジャケットに灰色のパンツ、赤とブルーのストライプ柄のネクタイとリクルート連中から比べれば派手。

試験官「君の服、それは制服かね?」
まるでマンガに出てきそうな白髪と髭のじいさん先生が私に問います。
私「はい。制服ですけど何か?」
試験官「そんな派手な制服もあるんだね(笑)」
私は心の中で(これは落ちたな)と確信しました。
それにどうにもこの古い雰囲気のする学校は、どうにも私には合わないとも感じていましたので。
私「えぇ、このタイプの制服は私の地元では多いですよ。逆に皆さんの制服が地味なので驚きました」
と言ってやりました。
どうせ興味のない受験生なのでしょうから、嫌みの一つでも言って帰ろうと。

試験が終わって待っていた父親にそのことを話すと「いいんじゃないか。それに合わないって感じたんならそれがいいんだと思うし」と笑いながら帰りました。

もちろん推薦試験は落ちました(笑)。
お次はいよいよ一般試験。

とりあえず得意科目を受験できる試験を選択したので、試験前日まで受験勉強。
私が選択したのは日本史、国語。
私の得意分野なので、これならなんとか戦えるだろうと思っていたのですが・・・。

結果は惨敗でした。

試験内容がそういった試験ですとよりマニアックな問題になるようです。
私が面喰ったのが「坂本竜馬が襲われた近江屋事件の年月日を記入しなさい」との問題。

年月まではわかっていても日までは知らない・・・。

試験は惨敗でしたが、これで得たのは「世の中には上の人がいる」ということです。
それまでは得意分野ではトップでしたが、やはりそれは「井の中の蛙大海を知らず」です。
それを身を持って知ったのでした。

その後、浪人するかどうするかの選択があったのですが、とても1年間も勉強なんてできないと考えていた私は専門学校(公務員コース)を探し出して、東京の専門学校に無事入学いたしました。
ここまでに至るまでは本当に行き当たりばったりで、とにかく「進学はする」「東京に出る」という強い意志が無いと流されてしまいそうな感じで、すべてが終わった後はしばらく微熱が続いたくらい疲れ切りました。
でもいい経験です。

こうして私の大学受験は終わりを告げたのでした。

まさかその後、仕事で役所の仕事や大学の仕事を民間企業で携わるとは思ってもみませんでしたが。
そのお話はまたの機会にでも書きますね。















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昔習った言葉を思い出しました「機関委任事務」

2014-09-11 08:31:44 | 学問
昔、公務員の専門学校に通っていた時に習った言葉。
「機関委任事務」
はて、なんじゃろな?

これは国(中央政府機関)が地方(都道府県や市町村)に対して「国の出先機関の代行としてこの事務処理をやりなさい」ということ。
いわば、下請けです。

現在は行政手続法(1994年公布)等で廃止されている行政行為。

考えてみれば、このくらい(1994年頃)から「行政指導」等の法律では明記されないグレーゾーンな行為を透明化しようと政治も動き始めた時期だと思います。
ちょうど政権も自民党政権から非自民の細川政権が誕生したりしましたしね。

なぜ「機関委任事務」という言葉に興味を持ったのか?
それは、行政の世界でも下請けってことがあるのか!!と感じたことだからです。
下請けって中小企業や系列会社の専門用語と思ってましたから。

90年代初頭では地方自治は「3割自治」と言われてました。
財源とかでは7割は国からの補助金や交付金(しかも使途はあらかじめ決められていたりする)で自前が3割しかないので「3割自治」。

現在は国も財政状況は厳しいので交付金も削減したり、一括で交付したりして地方自治体にも努力を促しているようですが、たしか交付金を受けない自治体が東京都くらいと以前に聞いたこともあり、実際は完全自治は難しいと思います。

完全に独立した形で事業をやっていく難しさというものをこの時に知ったと振り返れば思いますね。

その後に入社した建築会社で当時の社長がよく話した「元請けが大事」は経験を重ねるとようやく理解できるようになりました。
結局、下請けや孫請けでは何も選択枝がないのですから。
もちろんその状況でも工夫によってはできることはありますが、イニシアチブを完全に取るには相当の時間と労力を割かれます。

でも、これは業務委託の仕事に携わるようになってから理解できたこと。

そういったことを考えると、私にとって「仕事をする」ことを考えさせてくれたきっかけになる言葉です。
案外、自分で経験しないとその意味する言葉を理解することはできないと教えてくれる経験でした。
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