先日、ある業者へ面接を兼ねて会社訪問いたしました。
これは、あくまでも私が受けた印象なのですが、皆さんの服装に違和感を感じました。
制服というわけではないのですが、スーツは紺で白ワイシャツ、ネクタイも紺の地味系で統一されているのです。
私は白のボタンダウンワイシャツやストライプのワイシャツを着用したりすることが多いのですが、なんだか浮いてましたね。
そのまま違和感を感じながらも帰宅したのですが、帰宅途中で出会った一団がこれまた異様な集団でした。
それは、新入社員の集団だと思われたのですが、これが見事なまでに同じ服装で、しかもカバンまでほぼ同じだったのです。
ここまで統一されてると、なんだかスーツを着たロボットでも見ているかのようで気分が悪くなってしまいました。
あるイタリア人の方がブログで書いていたのを思い出しました。
「オシャレをすることは一人前の大人のたしなみ」(だったかな)
私、このイタリアの方の意見に大賛成です。
大体、就職活動でなぜみんな同じ服装なんでしょう?
同じような服装、持ち物、髪型・・・。
以前に私はどんな格好をしていけばよいかわからずに、年長の方に伺ったことがあります。
「ワイシャツやスーツの色はどんな色がよいでしょうか?」
その方はこう答えました。
「スーツは紺、ワイシャツは白、ネクタイは地味なもので。それが常識だから」
その時は半信半疑ながらも納得しました。
しかし、「常識」って誰の常識なんでしょう?
大体、スーツ着用をそもそも始めたのはヨーロッパの国ですよね?
でも、外国のビジネスマンって、けっこういろんなスーツやワイシャツとかを着用してきますよね?
もちろん、晩餐会のようなものにはそれ専用の服装を着用しますけど、通常のビジネスシーンで取り決めとかってないような・・・。
また、私が見たイタリア人の方も日本に来てスーツの着用を注意されたそうです。
この方はイタリアでの常識で日本で過ごしていたようなんですが。
このように考えると、常識といわれてるものって案外もろいものなんですよ。
で、私は思うんですけど、この日本の「空気を読む」って行為は異端者を排除する行為だと考えるんです。
本来、大筋では同じでも、詳細では違うってことはよくあることです。
これは服装だったり、人生だったり・・・。
でも、日本では全てがほぼ強制的に同じようにさせられる。
それでいて、本来は同業種なら同じ働き方のはずのものが各部署毎に違ったりします。
しかも、誰もこの「常識」ってものに違和感を感じません。
iphoneとかありますよね、この発想は凄いと思います。
なぜ凄いのかというと、利用者の「使いやすさ」「この機能があればいいのに」というものが見事に実現できたからです。
これまでの成功体験だとか、慣習にとらわれない斬新な発想としっかりとした顧客ニーズをとらえているかができていることが凄いんです。
日本企業では、なかなかこの発想の転換とかが苦手です。
技術はあるのに新機軸が築けない。
なかなか日本主導のスタンダードが築けない理由の一つが、この国に覆っている「空気を読む」って閉鎖的な考え方と思います。
就職難も企業の不振も「右へならえ」の思考が行詰まっている証拠なんだと思います。
もう、この国は皆が同じことを良しとする「右へならえ」を卒業しなくてはいけない時期なんです。
本来なら20年前には始めなければいけなかった価値観の転換が、なかなか実現できないのもこの国の「輝かしい成功体験」にすがっているからです。
ある本によると、昔の日本はほとんどが自営業者や派遣が多い国だったそうです。
サラリーマンという呼称が登場する前ぐらいだと思いますが、会社勤めが難しい時代になっている昨今、様々な生き方があって当然だと思います。
何も、フリーターになれといっているわけではありません。
ただ、例えばバイトとかしながらも自分で会社を作ってダブルワークするとかってこともありの時代になってきていると思います。
問題は、まだ世間の意識が時代に追いついてこれないってところなのかもしれませんが。
最近は20代、30代での政治家への進出も多くなってきています。
一方では「没個性」の若者が存在し、一方では「個性」を発揮している若者がいる。
とりあえず、「右へならえ」の考え方は卒業しましょう。
義捐金を大企業の「1億円」で「右へならえ」では、あまりにリーダーシップがなさすぎですから。