配慮が行き届いていて、陽気で楽しく繰り返される、日々の習慣
日常生活の儀式化された習慣は、
1) 陽気で楽しい に形を与える、つまり、陽気で楽しいパターンを創る
2) その陽気で楽しいパターンが独特の真面目さと結びつける。
このことは、人と関わる時に、いつも何度でも、意識していきたいことですね。
ここでは、日常生活の儀式化がさらに詳しく検討されます。
先日、NHKが丸山眞男教授の事を紹介していましたね。丸山眞男教授は、「民主主義は、常なる民主化によって、かろうじて保たれる」、と言います。また、日本人の人間関係は「抑圧の移譲」ということで、軍隊で上官や古参の兵隊が、部下や初年兵をいじめる形で、虐めが連鎖する構造を持っていると言いますし、しかも、これは軍隊の専売特許ではなくて、あらゆる日本の戦時体制を支えた組織にあった、というのが丸山教授の、きわめてすぐれた洞察でした。それは同時に「無責任の体系」です。東条秀機でさえ、戦争をやるのが「空気」だという無責任。
これは八十年前の話ですが、安部晋三首相とその一味や、東電やJR北海道、そごう、小田急、などの「一流」と言われる会社組織などにも当てはまるものではないでしょうか?そう、丸山眞男教授の分析は、今現在も生きているんです。日本の組織では「いじめ」と「無責任」か今も、主流、多数派です。
それを変革するのが、一見関係は見いだせないかもしれませんが、陽気で明るい、配慮の生き届いた関わりなんですね。