エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

なぜ、≪私≫も≪私たち≫も死んで、「人間を上下二つに分けるウソ」が蔓延する群れる組織となるのか?

2014-07-09 10:15:57 | エリクソンの発達臨床心理

 

 
ヴィジョンを「共に見る」ことと「群れる組織」
  子どもの頃の遊びは、永遠の遺産と言えるくらいの値打ちがあります。 子どもの遊びは、大人の陽気で楽しい、の中に生き続けます。 大人の陽気で楽しい...
 

 ここのところは、日本の組織と、ウソとゴマカシだらけの日本の現状を考える上で、非常に参考になるところですね。

 今日のタイトル「長過ぎ」と思われたかもしれません。ブログの規定(50字以内)ギリギリです。でもこの「?」に応えるだけの答えが、昨年の昨日のブログにまとめてありますから、どうか参考になさってください。基本的も、今の私も、ここで申し上げたことに間違いないと考えますから。

 今日はもう一歩踏み込んで、なぜ私どもは、安倍晋三首相のデマゴキブリをリーダーにしているのか?という問題を少し考えたいと思います。

 なぜ「集団的自衛権を認める」ようなことが起こるのか?

 それは私どもが本来のヴィジョンを見失っているからだ、ということを申し上げたいと思います。

 憲法九条。

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

 これを考えたら、自衛隊は、そもそも憲法違反の存在です。それが5兆円もの予算を毎年使っていることはゆゆしき問題なのに、それを「ウソとゴマカシ」で見過ごしていることがあります。「災害救助に自衛隊が役立っているから…」という人もいるかもしれませんが、だからと言って「『ウソとゴマカシ』のままでいい」ということにはならないだろうと思います。それが必要ならば、「災害救助隊」ということでレスキューチームに特化することが大事です。富士山の裾野で、ドンパチの練習をする必要は全くない。

 それから、憲法十三条。

第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」

 果たして、みなさん「個人として尊重される」とのヴィジョンが、どれほど日常生活に生かされていますか? いいえ、むしろ、「空気を読んで」、個人の意見を前面に出さないようにしては、いませんか? 「個人として尊重される」ならば、無実の人がなぜ半世紀近くも監獄に入れられていたのでしょうか? 「個人として尊重される」ならば、原発から放射能が今も漏れているのに、福島県とその周辺の市民ひとりびとりの健診の無料実施と、そのデータ公表と治療が行われないのは、なぜでしょうか?

 日本はつくづく名ばかり「民主主義」だと考えます。実質を盛るのは、私どもひとりびとりの務めですね。 

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最高の≪真の関係≫と、最低の≪真の関係≫

2014-07-09 06:06:34 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

                               「秘密」の花園

 「乳」は≪真の関係≫にある、関心を寄せて世話をすることと、相手を肯定していることを象徴する。「蜂蜜」は、生きていることの甘美さ、生きることに対する真摯さ、それに生かされていることに対する幸いを象徴する。

 人には、「乳」だけしかもらえなかった人もいれば、「乳」と「蜂蜜」の両方を貰えた人もいる。その差は歴然でしょう。「天国」を体験できるのは、まさに、「乳と蜂蜜」の両方を味わった人だけなんですね。

 今日はp46の下から4行目から。

 

 

 

 

 親身になって人を大事にすることや、対等なものがお互いに相手を性的に大事にすることと対照的に申し上げれば、お母さんとその子どもの関係は、強者・弱者の関係の中での、≪真の関係≫の性質によって特色づけられます。すなわち、一人は、あらゆることで助けが必要で、もう一人は、その助けを与える者です。母親が子を思う気持ちが、≪真の関係≫の最高のものだとみなされるのは、この、他を利して、私のない性格によるものです。それは、気持ちの繋がりの中で最も神聖なものとされます。しかしながら、母親が子を思う気持ちが本領を発揮するのは、赤ちゃんを大事にする点にあるのではなくて、成長する子どもを大事にする点にこそあります。実際問題、圧倒的多数の母親が、赤ちゃんが小さくて、いまだに自分に頼る間は、子どもを大事にする母親でいられます。ほとんどの母親にとって、子どもは必要ですし、新たに恵まれた赤ちゃんと一緒ならば、母親は幸せを感じるから、その子どもの世話に熱心です。母親が子どもを世話するのは、子どもから何の見返りを求めないのにもかかわらず、なんですね。母親は、子どもに、微笑みと、満足が見て取れれば十分なんです。この母親の子を思う態度は、人間の女性のみならず、まさに動物にみられる本能に根差すものなのかもしれません。しかし、この本能的要素がどれほど影響するにせよ、母親が子どもを大事に思う気持ちは、特に、人間の心理の要素があることもまた事実です。母親が子を思う気持ちには、自己愛の要素があるとみる人もあるかもしれません。赤ちゃんが母親の一部であると感じられる間は、母親が子どもを大事にすることと、母親が子どもに無我夢中になることは、母親の自己愛を満足させます。別の動機は、他者をコントロールしたいという思いですし、他者をコントロールしようとする強迫です。子どもは、無力で母親の意思に従っている限りは、他者をコントロールしたがる、強迫的な女を満足させる天然素材になります。

 

 

 

 

 他を利して、己を顧みない≪真の関係≫は最高。

 他を利用して、己を顧みない≪真の関係≫は最低。

 

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