ヴィジョンを「共に見る」ことと「群れる組織」子どもの頃の遊びは、永遠の遺産と言えるくらいの値打ちがあります。 子どもの遊びは、大人の陽気で楽しい、の中に生き続けます。 大人の陽気で楽しい...
ここのところは、日本の組織と、ウソとゴマカシだらけの日本の現状を考える上で、非常に参考になるところですね。
今日のタイトル「長過ぎ」と思われたかもしれません。ブログの規定(50字以内)ギリギリです。でもこの「?」に応えるだけの答えが、昨年の昨日のブログにまとめてありますから、どうか参考になさってください。基本的も、今の私も、ここで申し上げたことに間違いないと考えますから。
今日はもう一歩踏み込んで、なぜ私どもは、安倍晋三首相のデマゴキブリをリーダーにしているのか?という問題を少し考えたいと思います。
なぜ「集団的自衛権を認める」ようなことが起こるのか?
それは私どもが本来のヴィジョンを見失っているからだ、ということを申し上げたいと思います。
憲法九条。
「第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
これを考えたら、自衛隊は、そもそも憲法違反の存在です。それが5兆円もの予算を毎年使っていることはゆゆしき問題なのに、それを「ウソとゴマカシ」で見過ごしていることがあります。「災害救助に自衛隊が役立っているから…」という人もいるかもしれませんが、だからと言って「『ウソとゴマカシ』のままでいい」ということにはならないだろうと思います。それが必要ならば、「災害救助隊」ということでレスキューチームに特化することが大事です。富士山の裾野で、ドンパチの練習をする必要は全くない。
それから、憲法十三条。
「第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
果たして、みなさん「個人として尊重される」とのヴィジョンが、どれほど日常生活に生かされていますか? いいえ、むしろ、「空気を読んで」、個人の意見を前面に出さないようにしては、いませんか? 「個人として尊重される」ならば、無実の人がなぜ半世紀近くも監獄に入れられていたのでしょうか? 「個人として尊重される」ならば、原発から放射能が今も漏れているのに、福島県とその周辺の市民ひとりびとりの健診の無料実施と、そのデータ公表と治療が行われないのは、なぜでしょうか?
日本はつくづく名ばかり「民主主義」だと考えます。実質を盛るのは、私どもひとりびとりの務めですね。