ウソ、そして、アイデンティティ形成と「一つの人類」人が自由になれるのか、束縛されてしまうのか、の別れ道は、 「人類を2つに分けるウソ」の取扱方次第、ということでしたね。 今日は、ウソって何? が登...
今日の『東京新聞』(July 20, 2014)の25面の「本音のコラム」に、法政大学教授の山口二郎さんが「狂気の国」という文書を書いています。集団的自衛権にまつわる政治屋たちの言動は、政治屋の「腐敗」と「劣化」を物語るとした後、川内原発の再稼働の判断に陥る「原子力規制委員会」のマヤカシの名を冠する、実質「原子力ゴマカシ推進委員会」の田中俊一委員長の「原発の安全性を確認したわけではない」という無責任、安倍晋三首相が、機雷除去は「戦闘行為」だと世界が認めているのに、戦闘行為には参加しないといいつつ「機雷除去はできる」という超バカ、それから、小保方晴子さんの博士論文について、早稲田がろくに審査もせずに学位を出した愚かさを語ります。なぜ今の日本は、外では通用しない「仲間内」「内輪」のロンリである “狂気” を強行するのでしょうか?
それは、昨日、NHKが丸山眞男教授の番組で紹介していたように、「いま」に始まったことでは、まったくありません。丸山眞男教授の言葉を借りれば、それは日本の「古層」に通じるものであり、日本の歴史の「通奏低音」だというのです。狂気が通奏低音? そうです。それが歴史の表舞台に出たものが、ノモンハン事件であり、その延長である、太平洋戦争における日本と日本軍の狂気です。そして、「今でしょう」。
私どもはこの狂気から正気を守るためには、何をすればいいのか? それは「反抗」です。狂気に対して、ハッキリと「ノー」と異議を唱えることです。
これについては、東北大学名誉教授、南原繁ゼミナールで丸山眞男教授の後輩に当たる宮田光雄先生の新刊『われ反抗す、ゆえにわれら在り――カミュ『ペスト』を読む (岩波ブックレット) 』が参考になりますよ。