エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

デマゴキブリ

2014-07-02 10:29:27 | エリクソンの発達臨床心理

 

 
<私>が分裂する ⇔ わが子を拒みたい気持ちの残忍さ ⇔ ジェノサイドと戦争
  <私>が分裂する始まりと、内と外に「敵」がどうしてできるのか、について教えられました。エリクソンの「敵」に関する記述も見事でしたね。「敵が遠くにいる時は無視...
 

 ①自分が感じていること・イメージ、②話し言葉、③出来事、の3つから、良心、意識、あるいは、心、≪私≫ができている。これまで、何度もこのブログで記したことです。しかし、こういう視点を教えてくれる心理学講座は今までありません。これはエリクソンから学んだ真理であると同時に、上智大学をこの春退官された雨宮慧教授から学んだ真理でもあります。

 この3つが一致するほど、悦び、愉しみ、希望と勇気が湧いてきますよね。自分がイメージしたことを、はっきりと話し言葉にすることで人と共有し、しかも、それが必ず実現する。キリスト教や仏教など、まともな宗教がやっていることは、まさにこの3つの一致です。

 ところが、この3つがズレ、バラバラになり、拡散していくとどうなるのか?「言ってること」と「やってること」かバラバラな場合を想像したら、お分かりですよね。子どもが、こういうのを聞いたことがありませんか? ご自分が、こう言ったことがありませんか? 「昨日は『いい』とお母さん言ったのに、なんで怒るの?」「『ダメ』っというけど、昨日は『いい』と言ったじゃない?」…。こういうことをされてうれしい人はそうそういないでしょ。腹を立てたり、ムカついたり。そんな場合の方が多いことでしょうね。

 ですから、この3つがバラバラであると、人と人もバラバラ。「ウソとゴマカシ」が、それと分からずに、いろんなところで忍び込んでくるので、心もバラバラ、言ってることとやってることもバラバラ。悲しみ、寂しさだけではなく、激しい怒りや殺したいと思うほどの憎しみが、そのバラバラな傷口から湧いてきますよね。

 そして、このバラバラの心の人は、何も信頼することができないのに、一つだけ例外があるんです。それが「人類を上下2つに分けるウソ」です。このウソは、強烈に信じ込んでいるんです。そして、自分を常に「上」に位置付けたいのです。なぜならば、自分が「上」だと感じられる時だけ、「嬉しい」「自分が生きてる」と、ちょっびり、かすかに、感じることができるからです。

 そして、自分の中でバラバラになった破片を、自分が「下」と見なした「敵」にぶつけるのです。しかも、自分の心がバラバラで、その傷口から、知らぬ間に、激しい怒りや憎悪が湧い出して、それを「敵」と誤認した、近くの人にぶつけている、などということに、全くお気づきでない。

 昨日の安倍晋三首相のデマゴギブリは全く “お見事” でしたね。「不戦の誓い」が、何故、戦うことになるのか? 18時からの10分ほどの会見を見て、その矛盾、デマゴキブリをどれだけ納得したでしょうか? こんな「人類を上下に分けるウソ」教の信者には、一刻も早くの退陣を強く求めるものですね。

 

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≪真の関係≫は、全ての命に価値アリ

2014-07-02 06:05:44 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

 

 フロムの言う≪真の関係≫は、エリクソンが言うオリエンテーション、ふつうは見当識(あるいは、定位)と訳される言葉と同じ。それは、言ってみれば、アンパンマンを通して、やなせたかしさんが私どもに問いかけている「何のために生まれ、何をして生きるのか」という問いを自らの問いとして、問い続けながら生きることを意味するのですね。ですから、夢、はっきりとした目標を、はるか遠い頂に見ながら、山を登るのに、人生は似てくるんです。

 p43の4行目の途中から。

 

 

 

 

 

もしも、一人の人がたった一人の人だけを大事にするけれども、他の人はみんな、どうでもいい、と思うならば、その人が人を大事に思う気持ちは、≪真の関係≫などでは全くなくて、馴れ合う関係、あるいは、利己主義のお化けですね。でもね、たいていの人は、≪真の関係≫とは、大事に思う相手のことであって、≪真の関係≫の中で何かをする能力だとは考えません。実際に、自分が相手を大事に思う気持ちの強さは、自分が大事に思う相手以外は、大事にしない時に証明される、とたいていの人は思い込んでいます。これは、これまで申し上げてきたのと同じ誤りです。≪真の関係≫は、人と関わる働きであって、魂の力だとは気付かないので、見つけなくちゃならないのは、いい相手だと思い込んでいます。後は野となれ、山となれ、というわけです。この手の態度は、絵を描きたいと思うけれども、絵の勉強はせずに、描くのにいい相手が見つかるまで待って、それが見つかれりさえすれば、上手に描ける、と主張するのに似ています。もしも、私が一人の人を大事に思ったなら、すべての人、世界全体、人生までもが大事になります。もしも私が誰かさんに「私はあなたを大事に思う」と言えば、私は次のように言うに決まってます。「君の心の中に、いろんな人がいるでしょ。だから、君を大事にすることが、いろんな人を大事にすることになるし、君を大事にすると、自分まで大事にした気になるよ」と。

 

 

 

 

 ≪真の関係≫はオープンハート。

 ≪真の関係≫は宮沢賢治。

 ≪真の関係≫は水晶のように光を独占しない。

 ≪真の関係≫は、ハッキリと価値アリと認められたように、

 すべての隣の人を ハッキリと価値アリと認められるようになる(第一コリント 第13章12節、ただし、私訳)

 

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