エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

臘八接心(ろうはつせっしん)

2014-07-05 11:22:27 | エリクソンの発達臨床心理

 

 
群れる心理 : ウソと村八分が生まれる時
  世界に対する見方が、1)リアルな感じ2)証明可能な事実3)暮らしを共にしている人々が、(やり取りする中で)明白と見なしている真実の3つのアスペクト...
 

 群れるのは、自分の心との対話がないから。自分の心が、≪私≫にまとまりがないから。

 日本人は、群れるのが大好き。集団圧力が猛烈だから。個人がないから。個人がないのは、「ひとりの時間 クワイエット・タイム quiet time」の中で、≪自分自身との対話≫をすることがないから。心が一纏まり(whole)になってない。心がバラバラだから、集団圧力に巻き込まれ、付け込まれ、飲み込まれてしまう。 

しかし、日本人でも、群れてばかりではない。仏教は、接心という方法を見つけ出しています。特に、臘八接心。臘は12月。八は12月8日、お釈迦様が悟りを開いた日を記念して、12月1日から8日まで、昼夜を分かたず、座禅に集中する厳しい修行。食事も睡眠もほとんどとらない。それだけ座禅に集中している。本気で集中するから、こころ、≪私≫にまとまりが出てくる。

 赤ちゃんに日々献身するお母さん。私は、禅宗の臘八接心に負けないくらいの、本気の集中があると感じます。別に仏教徒でなくても、お母さんであれば、この≪本気の集中≫をやりますでしょ? 禅宗の臘八接心にも負けないくらいの≪本気の集中≫が、赤ちゃんに、根源的信頼感という、≪神への信頼≫、≪お釈迦様に対する信頼≫を生み出すのです。

 お母さんの力って、神仏にも通じる神秘ですね。

 

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大事なものは、眼には見えない 人類皆兄弟

2014-07-05 05:40:16 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

 

 人を大事にすることは、人類全体を大事にすること

 人を大事にすることは、それだけの≪本気≫が必要だよね。

 p44の8行目の途中から。

 

 

 

 

 

親身になって人を大事にすることは、私どもがみんな仲間である、という経験に基づいています。能力、知性、知識の違いなんぞは、すべての人間に共通する、人間の一番大事なところを体得することと比べたら、ちっぽけなこと。人間の一番大事なところを体得するためには、表面的なことから、眼に見えないところへと、≪心の眼≫を移すことですね。表面的なところばかり見ていたら、違いがめだっちゃうでしょ。そうしたら、私どもはバラバラになります。眼に見えないところへと、≪心の眼≫を移せば、私どもが自分を確かにする道を見出すことができます。それがまさに、人類皆兄弟、ということです。眼に見えない中心と眼に見えない中心を繋ぐ関係、上っ面と上っ面との関係ではない、それは、≪眼には見えない中心的な関係≫です。あるいは、シモーヌ・ヴェーユが見事に表現しているように、「旦那さんが奥さんに、『アイ・ラブ・ユー』と、おんなじ話し言葉を言う場合でも、その話し言葉がどのように語られるかによっては、誠に月並みなものにもなりますし、あるいは、誠に心がキュンとするものにもなりますよね。その話し言葉がどのように口にするかは、意思ではいかんともしがたい、人の心の、どれほどの深み から発せられているかによりますね。得も言われぬ不思議な合意によって、その話し言葉は、聞く者の心に、同じ深さで、届けられるのです。このようにして、聞く者も、違いの分かる≪心の耳≫がありさえすれば、その言葉がどれほど尊いものか、すぐにでも分かります」(ちなみに、田辺保さんの翻訳『重力と恩寵』[筑摩書房文庫]では、p114-115)

 

 

 

 

 同じ話し言葉でも、深みがあれば、相手の心の深いところに届けることができる。なんて素晴らしいんでしょう! でも、その深みは何をもって深い、と言えるのでしょうか?

 それは、今まで何度も申し上げていることですが、自分が感じている感じ、気持ち、イメージとどれだけぴったりとする言葉を探しているのか、あるいは、自分の最深欲求にどれだけ忠実な言葉なのか、に由るのですね。

 子どもの最深欲求と言えば、フロムが先ごろ明らかにしてくれたように「自分を価値あるものと実感したい」ということだけでしょうね。ですから、それに大人が応えるためには、自分の話し言葉が、子どもと同じくらい深い部分と呼応していなくちゃ、伝わりませんよね。上っ面の言葉では、子どもはすべてお見通し。ウソとゴマカシにすぐに気づいちゃう。深い部分から言葉を発しようとすれば、大人はマジになりすよね。顔つきまで変わります。しかし、その時でも、真剣なのに、楽しく陽気である感じが、どんなことよりも大事なんですね。

 

 

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