エリクソンのライフサイクルが、なぜこれほど実際の人間の心理と、対人関係について語ることが、「本当にそうだなぁ」というリアリティがあるのか? それは、世界を三つの点からとらえる、その複眼性の賜物だと感じます。
普通のサイエンス、科学は、証明可能で計測可能な事実(verifiable and measurable fact)だけを扱うものです。ところが、エリクソンはその、証明可能で計測可能な事実だけではなくて、一人の人が日常生活の中で「本当にそうだなぁ」と実感する現実感、リアリティ reality と、日常生活を分かち合うやり取り actuality も、大事な視点にしています。
証明可能で計測可能な事実だけなら、「それは理解できるけれども、実感がない」ということにもなりがちでしょう。たとえば、私の父親が事故で若死にしましたが、その事故の経過を詳しく知っても、「なぜ、お父さんが若死にしなくちゃならないのかな」ということをリアルに感じることには、ちっともならない。それは、「なるほど、本当にそうだなぁ」という現実感 リアリティが、いくらファクトを並べられても分からないからですね。
しかも、対人関係の中であるいろんなこと、たとえば「なんで、あの上司は私にいじわるなんでしょ」ということがあるとすると、それも、いくらファクトを並べられても、納得できないばかりか、返って腹が立ちませんか? でも、日常生活を分かち合うやり取り actuality があるのかないのか? という視点を持つと、「あぁ、あの上司は、やり取りがへたくそで、自分の考えばっかり押し付けてくる人だからなあ」と分かると、いじわるはすぐにはなくならなくとも、いじわるな現実の一部は納得しやすくなりませんか?
エリクソンのライフサイクルは、その意味では、大学院の心理学ではなく、日常生活の心理学なんですね。