エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

大学院の心理学じゃぁない、日常生活の心理学

2014-07-04 10:10:03 | エリクソンの発達臨床心理

 

 
世界に対する見方を構成する3つのアスペクト
   人間を上下に分けるウソは、人間の長い歴史の中で培われたものであるようです。そして、そのウソを作り上げる人間の傾向は、人間がフリをす...
 

 エリクソンのライフサイクルが、なぜこれほど実際の人間の心理と、対人関係について語ることが、「本当にそうだなぁ」というリアリティがあるのか? それは、世界を三つの点からとらえる、その複眼性の賜物だと感じます。

 普通のサイエンス、科学は、証明可能で計測可能な事実(verifiable and measurable fact)だけを扱うものです。ところが、エリクソンはその、証明可能で計測可能な事実だけではなくて、一人の人が日常生活の中で「本当にそうだなぁ」と実感する現実感、リアリティ reality と、日常生活を分かち合うやり取り actuality も、大事な視点にしています。

 証明可能で計測可能な事実だけなら、「それは理解できるけれども、実感がない」ということにもなりがちでしょう。たとえば、私の父親が事故で若死にしましたが、その事故の経過を詳しく知っても、「なぜ、お父さんが若死にしなくちゃならないのかな」ということをリアルに感じることには、ちっともならない。それは、「なるほど、本当にそうだなぁ」という現実感 リアリティが、いくらファクトを並べられても分からないからですね。

 しかも、対人関係の中であるいろんなこと、たとえば「なんで、あの上司は私にいじわるなんでしょ」ということがあるとすると、それも、いくらファクトを並べられても、納得できないばかりか、返って腹が立ちませんか? でも、日常生活を分かち合うやり取り actuality があるのかないのか? という視点を持つと、「あぁ、あの上司は、やり取りがへたくそで、自分の考えばっかり押し付けてくる人だからなあ」と分かると、いじわるはすぐにはなくならなくとも、いじわるな現実の一部は納得しやすくなりませんか?

 エリクソンのライフサイクルは、その意味では、大学院の心理学ではなく、日常生活の心理学なんですね。

 

 

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親身に人を大事にすると、人類全体が味方に見える

2014-07-04 05:39:02 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

 

 ≪真の関係≫は、心の向き、心の態度です。

 p43下から3行目から。

 

 

 

 

 

 親身に、他者を大事にすること

 もっとも根源的な≪真の関係≫は、あらゆる種類の≪真の関係≫を基礎付けるものですが、親身に他者を大事にすることです。つまりは、誰の求めにでも応じること、誰から構わずに世話を焼くこと、誰に対しても、価値アリ、と感じること、誰のことでも、謙虚な気持ちで知ること、誰でも長生きができますように、と願うことです。これは、聖書が「自分を大事に思うように、隣の人を大事にしなさい」という時の、≪真の関係≫と同じです。親身になって人を大事にすることは、人類全体を大事にすることなのです。親身になって人を大事にすることには、誰かを仲間はずれにしようということがありません。私が≪真の関係≫で人を大事にすることが発達すれば、私は人類全体との人間的連帯や、人類全体との一体感を経験することになります。

 

 

 

 

 親身になって人を大事にすること、これ以上、今の日本に求められていることはありませんね。それは、わざわざ「敵」を見つけて、集団になって戦うこととは正反対ですよ、安倍晋三首相。人を大事に思えば、人類全体が幸せになることを、宮澤賢治のように願わずにはおれないからです。

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