エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

憲法九条と憲法十三条を、日々活かして暮らしましょうよ!

2014-07-10 10:23:56 | エリクソンの発達臨床心理

 

 
手応えのない現実と、人の心に響かない言葉
  ヴィジョン(ハッキリした目的、目標、と言い換えることが出来ます)と組織がいかに深い関係にあり、それがメンバーひとりびとりのアイデンティティ形成と、いかに深...
 

 「憲法九条にノーベル平和賞を」というキャンペーンがあります。それ自体は尊い着想ですし、尊い運動なのだろうと思います。しかし、私は敢えて申し上げるのですが、それでは今の「見せかけ」の「ウソとゴマカシ民主主義」を到底打開できない、とはっきり申し上げたいと思います。「じゃぁ、どうすりゃいいの?」

 それは、日々の暮らしに、憲法九条と憲法十三条を活かすことです。難しい響きがあるかもしれませんが、憲法九条を活かす暮らしを人間としての正しい生き方(ヒューマン・ライツ human right)としたのが、北海道大学の深瀬忠一先生の「平和的生存権」です。別に自衛隊や米軍の守られなくても、外交努力と市民による外交や国際支援・国際取引によって、平和な暮らしを実現する。それは、米軍基地の撤去と自衛隊廃絶のために、政治的声をあげることも含まれます。それから、これらすべてを下支えするのが、日々の暮らしの中で、生活や学びや働きを「共にする」人々との、やり取りのある暮らしをすることです。相手をコントロールしたいと思ったり、相手をコントロールせずにはいられない強迫から、自由になることです。

 それから、憲法十三条を活かすこと。憲法十三条は、基本的人権の中核的規定です。したがって、これも、人間として正しいこと(ヒューマン・ライツ human right)を意識して暮らすことです。そして、「すべて国民は、個として尊重される」を意識して生活することです。それは、何よりも、自分の意見をしっかり持つこと、必要ならば、自分の意見をハッキリ口に出すことです。フーコーのパレーシアは、まさに、自分の上司や、自分の先生など、自分よりも立場が強い人に対して、臆せず自分の意見を言うことです。目先の「波風立てず」を優先してしまわないで!

 それから、何よりも、話し合いを大事にすること。日本では、話し合いの多くが、話し合いの前に決まった結論を出すための「シャンシャン総会」に形骸化していることがあまりにも多い。そうではなく、マジで話し合い、マジな話し合いを大事にすること、そして、少数意見を尊重すること。

 このように憲法九条と憲法十三条を活かすことは、日々、人間として正しいことを意識して暮らすということ! ですよ。それは、アンパンマンを通して、やなせたかしさんが教えて下すっているように、自分の損は覚悟するっていうことでもある! なのですね。

 

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子育てこそ、最高に創造的、最高に≪超越的≫

2014-07-10 06:18:24 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

 

 相手を利して、私のない関わり、最高の≪真の関係≫を心掛けたいと思います。それは、相手が子どもなら、すぐにそれと気づくはずですから。

 p47の第二パラグラフ。

 

 

 

 

 人をコントロールしたいし、人をコントロールせずにはいられない強迫的な動機は、良くあるパターンですが、それと同様に良くあるパターンなのは、こういった他者をコントロールしたいし、そうせざるを得ない強迫的な動機は、≪超越≫の必要性に比べたら、大したものじゃぁないし、誰にでも当てはまることでもない、ということです。≪超越≫の必要性は、人間の最深欲求ですし、自分に対する気づきに根差したものです。これは、人は被造物の役割に満足するものではないし、自分自身を入れ物の中に投げられたサイコロであるとみなすことなどできない、という事実に根差してもいます。人は創造力のある存在でありたいと感じますし、創造されたという受け身の役割を≪超越≫するものでありたいと願うものです。人が創造する満足感を得る方法はたくさんあります。一番自然で、一番早くからある、創造的満足が得られる方法は、母親が自分の子どもを世話するとともに、自分の子どもを大事にすることにあります。母親は、自分の子どもの中に、自分を≪超越≫するものを見出します。つまり、この≪超越≫とは、母親が子を思う気持ちが、母親自身の人生に意味と価値を作り出す、ということなんですね。(男は、子どもを身ごもることでは、≪超越≫する必要性を満足させることができないので、人の手になるものを作り出したり、アイデアを考えつくことによって、自分自身を≪超越≫したいと強く願うものなんですね)

 

 

 

 

 エリクソンとフロムが、シンクロナイズする不思議。おそらく、2人が見つけ出した真実は、同じもの。違うのは、その表現型だけなんでしょう、と強く感じますね。今日のフロムの議論と、「子どもに自由をプレゼントするのは、陽気で楽しい大人と≪超越≫」でなしたエリクソンの議論は、基本的に同じだと考えてよいのです。

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