手応えのない現実と、人の心に響かない言葉ヴィジョン(ハッキリした目的、目標、と言い換えることが出来ます)と組織がいかに深い関係にあり、それがメンバーひとりびとりのアイデンティティ形成と、いかに深...
「憲法九条にノーベル平和賞を」というキャンペーンがあります。それ自体は尊い着想ですし、尊い運動なのだろうと思います。しかし、私は敢えて申し上げるのですが、それでは今の「見せかけ」の「ウソとゴマカシ民主主義」を到底打開できない、とはっきり申し上げたいと思います。「じゃぁ、どうすりゃいいの?」
それは、日々の暮らしに、憲法九条と憲法十三条を活かすことです。難しい響きがあるかもしれませんが、憲法九条を活かす暮らしを人間としての正しい生き方(ヒューマン・ライツ human right)としたのが、北海道大学の深瀬忠一先生の「平和的生存権」です。別に自衛隊や米軍の守られなくても、外交努力と市民による外交や国際支援・国際取引によって、平和な暮らしを実現する。それは、米軍基地の撤去と自衛隊廃絶のために、政治的声をあげることも含まれます。それから、これらすべてを下支えするのが、日々の暮らしの中で、生活や学びや働きを「共にする」人々との、やり取りのある暮らしをすることです。相手をコントロールしたいと思ったり、相手をコントロールせずにはいられない強迫から、自由になることです。
それから、憲法十三条を活かすこと。憲法十三条は、基本的人権の中核的規定です。したがって、これも、人間として正しいこと(ヒューマン・ライツ human right)を意識して暮らすことです。そして、「すべて国民は、個として尊重される」を意識して生活することです。それは、何よりも、自分の意見をしっかり持つこと、必要ならば、自分の意見をハッキリ口に出すことです。フーコーのパレーシアは、まさに、自分の上司や、自分の先生など、自分よりも立場が強い人に対して、臆せず自分の意見を言うことです。目先の「波風立てず」を優先してしまわないで!
それから、何よりも、話し合いを大事にすること。日本では、話し合いの多くが、話し合いの前に決まった結論を出すための「シャンシャン総会」に形骸化していることがあまりにも多い。そうではなく、マジで話し合い、マジな話し合いを大事にすること、そして、少数意見を尊重すること。
このように憲法九条と憲法十三条を活かすことは、日々、人間として正しいことを意識して暮らすということ! ですよ。それは、アンパンマンを通して、やなせたかしさんが教えて下すっているように、自分の損は覚悟するっていうことでもある! なのですね。