エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

子どもに自由をプレゼントするのは、陽気で楽しい大人と≪超越≫

2014-07-08 10:49:53 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
余暇にしか遊ばぬ大人、遊んでる子どもの一人に、及ばない :子どもの遊びの永遠の遺産
  人間の想像力も、極めて臨床的なのでしょう。一方では、人は、想像力のおかげで、ビィビィッと来るほどのリアルな感じを、様々なこと、様々な関わりに感じられるよう...
 

 

 陽気で楽しくしていると、子どもはすぐにそれと分かります。陽気で楽しいがすぐに伝染するのです。

 たほう、「真面目な」先生は、「何か小ばかにされたように」思うのだそうです。何故でしょう?

 それは、やっぱり自分自身との対話でしょう。子どもは、まだ意識的なものではないけれども、自分との対話を、いわば本能的にしている。

 しかし、「真面目」であればあるほど、実は自分自身との対話がないのです。なぜなら、単なる「真面目」の人は、自分を超える存在を知らないのです。あるいは、加藤周一さんの言う≪超越≫、ないしは、宮田光雄先生がおっしゃる≪超越≫とのつながりを自覚していないのです。すると、せいぜい組織との関係で「真面目」でしかない。その「組織」が陽気で楽しいを歓迎しなければ、その「真面目な」先生も歓迎しない。

 組織からの自由がその「真面目な」先生にはないのです。基本的人権のど真ん中の、 “自由“ がないのです。

 必要なのは≪超越≫との “自由” な関係なのですね。

 

 

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子どもが幸せを感じる、たった一つの条件

2014-07-08 06:19:17 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

 

 子どもが生きていることを肯定すること。そうすると、子どもは生きることに真実になろうとする心の態度を身に着けることができる。大事な視点ですね。

 The Art of Loving. p46,L6の途中から。

 

 

 

 

 

母親が子を思う気持ちの、こうした2つの側面は、聖書の創造物語の中に、非常に簡潔な表現があります。神は世界と人間を創造されます。これは、世界と人間が存在すること自体に神が気も配り、肯定もしていることに対応します。しかし、神は最低限度の要請に応えるだけじゃぁ、ありません。1日ごとに、自然が、そして、人間が、創造された後で、神はおっしゃられた。「よかったね」と。母親が子を思う気持ちがあると、この瞬間、その子は感じます。「生まれてきて、よかったね」と。それは、単に生きていたいということだけじゃあ、ありません。この同じ考えが、聖書の別のところに出てきます。約束の地(大地はいつだって、母親のシンボルです)は乳と蜂蜜が流れるところとされます。乳は≪真の関係≫の最初の側面、すなわち、関心を寄せることと肯定することを象徴します。蜂蜜は、人生の甘美さと人生に対する≪真摯さ≫、それに、生かされていることに対する幸せを象徴します。ほとんどの母親は、わが子に「乳」を与えることはできますが、「蜂蜜」はちょっとしか与えません。蜂蜜を与えるためには、母親は「いい母親」でなくてはならないだけじゃあなくて、幸せを実感してなくちゃいけません。でもね、この蜂蜜を与えるという目標を、たくさんな母親ができる訳じゃあ、ありません。その子どもに対するこの影響は、強調しても強調しすぎることはありません。母親が人生に対して≪真摯≫であることは、母親が心配性であるのと同じくらい、子どもに感染しますこの2つの態度が子どもの全人格に深く刻み込まれます。実際、子どもの中に、そして、大人の中に、「乳」だけを貰っている人と、「乳」と「蜂蜜」を貰っている人がいるのが、お分かりでしょう。

 

 

 

 

 子どもにとって、自分が生かされていることを肯定してもらうことが必要です。私なんぞは、これで十分なんじゃないかな?と感じます。しかし、フロムは違います。蜂蜜も必要です、とね。それは、生きることに対して真摯であること、生かされていることに幸せを実感することだといいます。その条件は、母親自身が人生に対して真実で、しかも、幸せを実感していることが必要です。

 しかし、これは子どもに関わるすべての大人に妥当することだと、私は強く感じますよ。

 

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