儀式化=楕円形 : 儀式化のまとめ その1
儀式化の儀式は、神経症の症状では全くない。儀式化とは、そうではなくて、合理性では割り切れない不思議を、切り捨てるではなくて、包み込んでいくためにあるもの、それは同時に、自分の様々な持ち味を生かし、まとめ上げるものだ、というのは驚きです。
今日は、儀式化について、エリクソンがまとめている部分の前半です。
人間らしい暮らしは、楕円形。自己中心と他者中心を共存させます。これ自体が二律背反ですね。自己中心と他者中心は同時に成立しないんじゃないのかな?
ところが、自分と相手の中に対話があれば、いいんですね。その相手が広がれば広がるほど、「私たち」が普遍的になりますよね。仲間(kind)になる人が増えますから、生活の中で親切(kind)にできる人も増えます。その究極のあり方が「人間皆兄弟」でしょう。横の関係が広がっていくんですね。
これは、「人間を上下2つに分けるウソ」とは正反対です。この、無自覚な信者さんは、なるべく「上」を狙います。エバリたいんですね。自信・信頼がないからです。人間を上下でしか見ないので、なるべく自分を「上」に位置付けたい。それができないと、あらゆる意味でのイジメをやるんです。この手の人の周りに、パワハラ、アカハラ、イジメ、虐待、悪口、陰口、嘲笑、自己嫌悪などが、必ずついて回ります。自分を周りを良く見つめて見回してくださいね。
横に繋がるためには、「人間を上下2つに分けるウソ」とは異なる「人間皆兄弟」のような、自分や所属集団を超越する「価値」が必ず必要なんですね。