エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

父親になったルター

2015-11-02 07:35:19 | アイデンティティの根源

 

 ルターはまた鬱になりました。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.238の、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 ルターは、自分も父親として、思春期以降に自分を確かにさせたことを、ほぼ捨てました。これは、ヨーロッパでは変なことではありません(おかしなことではありませんでした)。特にドイツではそうです。少数の、ますます仮初めのキリスト者以外、ルターはますます、人を見れば、飢えたケダモノではないにしても、危険な香りのする子ども達と見なしました。唯一の安全パイは、ドイツ語でLandeskinder ランデスキンダー、「土地っ子」、すなわち、小さな諸侯の子どもたちくらいでした。その長者が、ドイツ語でLandesvater ランデスベイター 国の父でした。小さな州や教会の長たちが「代表」と呼ばれるようになったのも、同じです。

 

 

 

 

 

 ルターは、世俗的な「代表」に頼ってしまったところに、落とし穴がありましたね。それが結局「二王国説」に繋がったと思います。この世とあの世を二元的に分けると、いろんなウソとゴマカシが生まれてくるのですから。

 

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繋がって生きていくためには、

2015-11-02 07:21:12 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
ヨーヨー・マと大竹しのぶ
  昨日の「プレミアム・トーク」(10.31/2014, 8:15~9:40)は、実に見応えがありましたよ。私は録画したものを見て、とても愉快な気持ちになりました...
 

 

 

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p88の、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 ≪私たち≫に関して、フロイトは「ひとりびとりがキリストと繋がる絆こそが、ひとりびとりがお互いに繋がる絆であることは、疑う余地がありません」(1921)と言うほどでした。ところが、ご承知のように、フロイトがそう主張したのは、教会だとか、軍隊だとか、の「人工的な」集団とフロイトが呼んだものを議論したときでした。しかしながら、現実は、人間皆兄弟姉妹となるように、自分を確かにさせるあらゆるものは、両親から創始者や神に至るまで、カリスマがある人々に、一体感を感じるかどうかです。

 

 

 

 

 

 人と人とを結びつけて≪私たち≫が出来るのは、ひとりびとりが、カリスマのある人との繋がりを感じていないといけません、とエリクソンも、フロイトも言います。日本人がバラバラなのは、ひとりびとりを≪超越≫するものでは、お金以外に、そうした繋がりを感じるものがほぼ0だからでしょう。ですから、金の切れ目が縁の切れ目、会社を辞めれば、社長でもただの人、という訳でしょうね。

 日本を社会連帯のある社会にするためには、ひとりびとりを超えて、しかも、損得勘定も超える価値を、私どもは確立しなくてはなりませんネ。

 

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ゆっくりやりましょう

2015-11-02 03:32:40 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
苦難の神義論
  不思議を感じることには、不思議な力がありますよね。ですから、「知ることは感じることの半分も大事じゃぁ、ない」。 p360第3パラグラフ。 ...
 


 

 

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.211の2行途中から。

 

 

 

 

 

私は患者に言うかもしれませんよ、「その感覚に注目してください。深く息を吸った時に、その感覚がどう変わるかが分かりますから。鎖骨の下あたりの胸を軽くたたいたり、泣いても良いと思ったりした時も、その感覚が変わるのがわかりますから」と。マインドフルネスを実際にやってみれば、交感神経が落ち着きます。それは、伸るか反るかの状況にならないためなんですね。体の反応を良く見て、そこに留まることは、安心して過去を思いめぐらすのに、なくてはならないことです。今ここで自分が感じていることに踏みとどまることができなければ、過去に心を開くことが、いっそう惨めな思いにもなり、心の傷に塩塗ることにもなります。

 

 

 

 

 自分の身体に意識を向けること、息や歩みに意識を向けることがいかに大事か分かりますね。自分の身体に意識を向けるために、ゆっくりやることが大事なんですね。ゆっくり息をしたり、ゆっくり歩いたりするためには、意識しないとダメでしょ。

 そして、自分が感じていることに踏みとどまると、落ち着きを取り戻すことができますから、品性と希望が湧いてきます。パウロが「ローマ人への手紙」第5章3節~5節に記してある≪話し言葉≫は、必ず≪出来事≫になりますからね。

 

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あつれきを生みだしましょうよ!

2015-11-02 02:31:47 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
信頼と力は水と油
  信頼は、力で相手を操縦したり、コントロールしたりすることを止めにして、その場に踏みとどまることや、待つことに、心を配ることになります。 p116の15行目...
 

 日本ラグビーの活躍に、心躍る思いをされた方が、多かったのではないですか?私も、南アメリカ戦で、終盤、日本がゴールラインを割った時には、テレビ画面に向かって、思わず「やった!」と叫んでしまいました。 周りにいた方、ゴメンナサイね。なんせ、私の声は、「隣のホームにいても聞こえる」と言われてますから。

 でも、なんでこんなに勝てるようになったのでしょう? エディ・ジョーンズ ヘッド・コーチの指導法が注目を集めています。このブログでも、一度取り上げましたね(自分の頭で考える)。自分の頭で考えることが、ラグビーでも大事と言われていることを取り上げました。でも、それだけじゃぁなかったようですよ。

 一昨日の朝日新聞(10.31, 2015,  12版▲ p.34)に、エディ・ジョーンズさんが、ヘッド・コーチを退任する記者会見の記事が出ていました。その他のメディアにも取り上げられています(たとえは、http://www.huffingtonpost.jp/2015/10/30/rugby_n_8439004.html)。

 この記事によりますと、エディ・ジョーンズさんも、日本人の行動原理「出る杭は打たれる」という心の在り方との戦いがあったことが分かります。「出る杭は打たれる」は、その集団の今までのやり方に「異を唱えるもの」に対して抑圧的な原理で、権威主義的な集団の特色です。権威主義的集団は、民主主義的集団の真逆です。これは、スウェーデンでは、中学生が学校で教えてもらうことなんですね。皇太子さんが愛読しているという噂の、『あなた自身の社会 スウェーデンの中学教科書』(新評論,1997)のpp.45-47にでてきますから。それも、「権威主義的集団は、メンバーに対する圧力が強いのでいじめや暴力が起きやすい」という文脈で教えられてんですね。日本の学校のいじめ対策にも、このような議論が必要ですね。

 また横道でしたね。議論を元に戻しましょう。エディ・ジョーンズさんがおっしゃるには、「ラグビーは自分の個性をしっかり出さないといけない」のだそうですから、「出る杭は打たれても、自分の頭で考えなくっちゃね」ということになるようです。

 でも、どうしたら、自分の頭で考えるようになるかなぁ?

 多くの場合は、学校では、教員のいうことを聞く「従順な」児童・生徒が「良し」とされますし、会社員も公務員も、上司のいうことを聞く「従順な」人が「良し」とされますね。すると、非常に受動的な人間、指示待ち族の人間、≪権力にとって都合のいい人間≫を拡大再生産されることになっちゃう。言葉の上では「個性尊重」などと言われても、真っ赤なウソ、個性を出せば、「出る杭は打たれる」ことになっちゃうでしょ。

 エディ・ジョーンズさんは違います。「ラグビーはあつれきが想像力を生む」として、「この部分で成長したのが五郎丸。自分が考える作戦、意見を言えるようになった」と言いますね。そりゃそうですね。「出る杭は打たれる」ことを怖がっていたんでは、人の顔を伺うことは学べても、自分の頭で考えて、自分の意見を言うことにはなりません。

 つまり、あつれきが、自分の頭で考えて、自分の頭で考えたことを言うことに繋がる訳ですね。それは、話し合いも生み出します。あつれきがあると、自分の頭で考えることになり、話し合うことにもなる、という訳ですね。

 話し合うことが、お互いを理解しあい、新しいものを生み出し、真の協力と、真の集団の力を作り出すことになる訳です。ラグビーでも、あつれきが大事でした。それがチームの民主化に繋がり、同時にチームの力がつくことにも繋がった、ということですね。

 でも、これはラグビーチームに限ったことではありません。益川敏英教授が学ばれた、名古屋大学のE研もそうでしたね。こう考えると、日本の常識では、「波風立てるな」と言われ、「あつれきは『悪いこと』」とされますが、あつれきは良いことですね。なぜなら、あつれきこそが民主化の源だからです。

 今日からあなたも、あつれきの源になりませんか。

 

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