エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ルールや論理を否定しすぎだルター

2015-11-10 08:16:32 | アイデンティティの根源

 

 

 
黄金律の新しさ
  さあ、エリクソンが黄金律とやり取りについて、どういうことを教えてくれるのか、実に楽しみですね。 p219 本文冒頭から。  ...
 

 

 ルターはについて、社会学者が記したものは、大雑把すぎるとエリクソンは言います。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.239の、下から9行目途中、R.H.トーニーの引用部分から。

 

 

 

 

 

 

これは1つには、ルターが言ったことが、革命の嵐の中で言い放ったこと、「たまたま言ったこと」であったこと、1つは、ルターが軽蔑していたのが、ルールや論理だったことがあります。…ルターはあまりにビックリして怒っていましたから、好奇心も感じない程でした。ルールや論理の仕組みをいくら説明しても、ルターは激怒するばかりでした。ルターは、「ルールや論理には、悪魔がいる」「真面なクリスチャンなら、終末論をこねくり回すことなどない」と言うばかり。

 

 

 

 

 

 ルターは、ルールや論理が、文字通り進める時の非人間性と、神のご計画からの大きな逸脱を感じていたんでしょう。しかし、ルールや論理の否定は、ルターの場合、やりすぎだったかもしれませんね。

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3分の1の現実

2015-11-10 08:00:23 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
奇跡 ―ミラクル―
  奇跡 ―ミラクル―、と書いて、お気づきの方もあるでしょう。長田弘さんの詩集のタイトル。 「奇跡」と言ったら、「めったにない稀有な出来事」と思いますよね。で...
 

 

 私どもは、やり取りのある現実や実感のある現実を共有し、実感してはじめて、人も自分も大事にできるようになんですね。やり取りも、実感を共に味わうようなこともないのに、人も自分も大事にできる訳、な~い。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p90の、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 現実という成熟した感じの、3つの欠くべからざる要素について言えば、factuality 「事実としての現実」は、いろんな現実の中の、普通「もの」と呼ぶ世界で、一番強調されるものです。その世界は、歪んで捉えたり、否定的に捉えたりすることが一番ない上に、とある認知の発達上で、とある科学技術の状況で、出来る限り事実と確認できる世界なんですね。

 

 

 

 

 これが普通私どもが「現実」というときの現実ですね。別の言葉で言えば、客観的な事実です。しかし、繰り返しになりますが、これだけでは、真の現実ではないのです。3つの要素の一つにすぎません。

 私どもは、客観的事実を知っても、それは3分の1の現実でしかない、ということを知っていた方がベターです。

 

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鎌田慧さんが、市井の人から学んだこと

2015-11-10 03:03:50 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
黄金律の新しさ
  さあ、エリクソンが黄金律とやり取りについて、どういうことを教えてくれるのか、実に楽しみですね。 p219 本文冒頭から。  ...
 

 先日の「こころの時代」は鎌田慧さんでした。今まで130冊の本を書いているそうです。日本中のあちこちを歩き、また、トヨタ自動車の季節工になったり、したこともありました。私も、同じ早稲田ということもあり、親近感がありましたし、弱い立場の人への共感が、ルポルタージュに業間ににじみ出る文書なので、余計に好きでしたね。でも、私が読んだのは、130冊の内、10冊ほど。トヨタ自動車の季節工をやった体験を書いた『自動者絶望工場』や、釜石市長を3期やった、もともとは読売新聞編集委員の鈴木東民の生涯を描いた『反骨 鈴木東民の生涯』、日本各地の大規模プロジェクト・国策に翻弄される人々の記録、『鎌田慧の記録 3 少数派の声』など…。

 鎌田慧さんは、弘前出身で、現在御年77才。1945年7月の青森の大空襲は、40キロ離れた弘前から、青森市を燃やす火が見えたそうですね。1945年3月、東京の下町を焼け野原にした東京大空襲、鎌田さんよりも2歳年上だった、私の父親は、下町から35キロ離れた東京都国立市谷保(当時は、東京府北多摩郡谷保村)から下町を燃やす火が、赤々と空を焦がすのを見た、といいます。空襲という名のジェノサイド・大量虐殺の火の恐ろしさですね。

 『鎌田慧の記録 3 少数派の声』の中には、「福島原発周辺のミステリー」の一文もあります。もともとは、1976年に雑誌『潮』に書いたものらしい。3.11の47年前の文書です。そこには、当時から福島第一原発(東電、国、福島県)はウソとゴマカシだらけであったことが記録されています。冒頭から事故の話です。しかし、その事故は隠されている、という訳です。しかも、その事故のことを県議会で追及した議員が、逆に非難されてしまいます。下請けの労働者は、手配師によって、大阪の釜ヶ崎から連れてこられ、賃金はピンハネされるは、被ばく量が増えれば、3日の約束が1日でクビになるは…。原発で働く労働者の家庭では小頭症(本当は無脳症)の子どもが生まれたり、白血病やガンになる人は、東電社員ではなく、下請けばかり…などなどの現状が報告されています。

 3.11の原発事故も、東電や国や福島県が、ウソとゴマカシだらけをやった、成れの果ての、人災であることがハッキリ分かりますでしょ。

 鎌田慧さんは、一人の人の尊厳を大事にすることが何よりも大事にしてきた、といいますね。ある意味、鎌田慧さんは、臨床家ですね。ですから、私どもクリニカルサイコロジストと同様、眼の前の人が大事、1人が大事になるのでしょう。「国策」の暴力の前では「一人ぐらいはしょうがない」と考える人達とは対極的。

 眼の前の1人の尊厳を大事にするものであり続けたいですね。


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殺されるよりも苛酷な生き地獄

2015-11-10 00:02:49 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
公平の原理だけだと、他者感覚は弱まっちゃう
   公平であることは、人を大事にすることではない、ということでしたね。 p120第3パラグラフ。   ...
 

 発達トラウマを負わされた愛着障害の子どもには、寛容で鷹揚な、子どもを決して怒らない「良い良心」の大人が、継続的に関わることが必要です。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.212の第5パラグラフから。

 

 

 

 

 

 私どもが今まで見てきましたように、私どもの脳の回路の配線は、いろんな相手に合わせて発達するものです。トラウマからの回復も、私どもの仲間の人と絆を結ぶ(結び直す)ことも含まれます。ですから、いろんな人との関係の中で繰り返されたトラウマは、交通事故や自然災害から生じたトラウマよりも、治療が困難なことが普通です。私どもの社会では、女性でも、子どもでも、一番よくあるトラウマは、両親のせいで負わされたり、あるいは、親しいパートナーのせいで、負わされたりしています。子ども虐待(子どもを間違って利用すること)は、性的ないたずら、家庭内暴力は、すべからく、あなたのことを一番大事に思っているはずの人たちがしでかすことです。一番大事に思ってくれるはずの人がトラウマを負わせるということが、トラウマを負わされることに対する一番の守り、すなわち、あなたが一番大事に思う人がかばってくれる、ということを、ぶち壊しにします。

 

 

 

 

 

 世の中で、これほど理不尽で、これほど苛酷なことはないでしょう。殺されるよりも、理不尽です。なぜなら、それは生き地獄だからです。一番自分を大事にしてくれるはずの人で、自分も一番大事に思っている人が、自分にトラウマを負わせることを繰り返すのですから、これが生き地獄でなくて何ですか? 

 

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