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エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

「祈りの人」の実際の不自由

2015-11-05 06:16:08 | アイデンティティの根源

 

 

 ルターは、初期に講義で言ってたと、後期で実際にやってることとは大違いでした。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.238の、下から5行目途中から。

 

 

 

 

 

この教会会議は、権力をもつ諸侯が議長でしたし、2人の神学者と2人の判事がメンバーでした。彼らは、人を刑務所に打つこむこともできましたし、あらゆる仕事から排除することもできました。また、人を村八分にもできましたし、人から市民権を卯這うこともできました。プロテスタント革命が、このように、もたらした生き方は、人の日々の努めが、その人の職業を含めて、その人の行動指針となる生きた方でしたし、教会国家によって、厳しく管理される生き方でした。

 

 

 

 

 

 こんなに苦しい生き方しかもたらさないとすれば、ルターが最初に唱えた「祈りの人」からは、大きな逸脱でした。

 「祈りの人」は、もっと自由なのですから。

 

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フロイトとエリクソンの違い その1

2015-11-05 05:23:58 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
一番破滅的で自滅的な源であると同時に、最も崇高な源
  神様を見る眼差し=神様の眼差し。お互い様。 p361の21行目途中から。     ...
 

 

 実感が大事になります。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚tm書」p88の、線の後から。

 

 

 

 

 

 三重の実感のある現実

 

 もちろん、考え方としても、言葉としても、自我はフロイトが考え付いたものです。スコラ哲学においては、自我とは、身体と魂を組合わせたものを示します。哲学では一般的に自我は意識的経験がずっと残ることを意味します。ウィリアムズ・ジェームズ(1920)は、手紙の中で、時空を筋あるものにしようとする、展開する自我について触れるだけではなくて、「自我が能動的に広がる」ことについても話題にしています。ここでジェームズは、≪私≫という主語の感じについて考えていたように思います。無意識に働いている「自我」に組み込まれた働きだけを考えていたんじゃありません。

 

 

 

 

 

 自我には、≪私≫という感じの主語になる部分も含む、というのがエリクソンの主張です。フロイト流の古典的な精神分析とエリクソンのライフサイクルの漸成説を区別するは、フロイトにおいては、自我が無意識と現実の防衛という、どちらかといえば受け身の役割を主たる任務にするのに対して、エリクソンにおいては、無意識と現実に対して、能動的に無意識と現実を受容して展開する、能動的な役割を主たる任務にしている点です。

 

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心理学の唯一の法則 : ティグ・ナット・ハーンさんのことば

2015-11-05 01:50:32 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
信頼すればこそ
 やけくその勇気は偽物。人も自分も傷つける。 人を大事にする勇気こそ本物。自分が損する勇気があるから、人を大事にできる。 p117第3パラグラフ。 &...
 

 

 今晩は、ティグ・ナット・ハーンさん言葉を味わいたいと考えます。Peace is every breath. 『本当の安心は、一息(魂)から』から。

 

 

 

 

 

 「本当に誰かを大事にできるようになりたかったら、

  その前に、自分自身を大事にしなきゃ」

 

 

 

 

 

 心理学の絶対的な、数少ない、ほぼ唯一の法則です。

 

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エネルギーを本当の自分になるために使うには

2015-11-05 01:28:54 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
天才 五嶋みどり
  先日のヨーヨー・マさんも天才ですけれども、この五嶋みどりという人も天才でしょう。「社会福祉にも関心が深い天才音楽家」くらいのことしか知りませんでしたが、今回「...
 

 

 自動思考といって、意識しないと、習慣になった考えが無自覚に浮かんできて、その考えに伴った気持ちと行動が生じてしまいます。「やっても無理」と思ってれば、消極的になりますし、意見を言っても仕方がないと思って、不満や、あきらめにも似た悲しみも残りがちでしょ。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.211の第4パラグラフから。

 

 

 

 

 

 ジョン・カバット・ジンは、心身医学のパイオニアのお一人で、マインドフルネスストレス解消法(MBSR)プログラムをマサチューセッツ医科大学に、1979年に設立しました。ジョンの治療法は、30年以上にわたって一貫して研究されてきました。ジョンがマインドフルネスについて述べているように、「人が変えられていく過程を考える1つは、マインドフルネスをレンズとして考えることです。すなわち、撒き散らしてきた、反発して受け身で動かされていた心のエネルギーを集めてきて、そのエネルギーを問題解決のために、本当の自分を生きるエネルギーにし続けることです」。

 

 

 

 

 

 

 素晴らしいですね。ジョン・カボット・ジンの著作を読んだことはありませんが、エネルギーを本当の自分を生きるために集中して使うことは、簡単なことじゃぁありません。特に日本人は、大体、エネルギーを、集団に同調するために使い果たしていることが非常に多いのですから、むしろ、偽りの自分を増殖するために、エネルギーのほとんどを使ってるんですからね。

 ジョン・カボット・ジンさんの著作、日本語訳も出ているようですから(ただし、Amazonの書評を見ると、滅茶苦茶な翻訳本が少なくても一冊ある感じですから、要注意です)、それを参照されるのもいいかもしれませんね。

 

 

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