最大の子育て支援策
やれ、保育所が足りない、認可園も増やせ、などと言われます。その通りだと思います。いずれも、子育て支援として大事です。しかし、それだけではない、と加藤周一さんの...
中学生の頃、国立第三中学校の社会科の奈良先生が、杉本判決のことを教えてくれたことを覚えています。杉本判決とは、家永三郎教授が起こした「教科書裁判」で、国家が行っている、そして、今もやってる「教科書検定制度」そのものが、憲法と教育基本法に違反するとした、画期的な判決です。その評価は今も変わりません。しかし、中学生だった私は、奈良先生に質問しました。「この画期的な判決を出した杉本良吉判事は、その後はどうだったんですか?」。つまり、「出世したのか? 左遷されたのか?」ということです。奈良先生は、「その後、家裁の判事をした後に、退官して、弁護士をしています」という内容だったと記憶しています。左遷されたと、当時の私も感じました。それに対して、「反権力」と民主主義教育に熱心だった、奈良先生は、「民主主義は、損することを覚悟した人が、建設するものです」と言う趣旨のことを教えてくれたと思います。
ところで、民主主義とほとんど同義語の言葉がいつくかあるそうですね。まずは、主権在民がそうですね。三権分立も民主主義とほとんど同義語と言えるでしょう。権力は集中すると腐敗するので、分散させて、チェックすることが大事です。それが、民主化を進める上での、人類の叡智なわけですね。
日本では、議院内閣制ですから、もともと立法と行政が近い。つまり、立法と行政が癒着を起こしやすい。それでも、司法が、立法と行政をチェックしてくれれば、民主化が進みます。しかし、立法と行政が癒着したところに、司法まで癒着したら、それは権力が絶対君主化、暴君化してることの何よりの証拠です。
フェイスブックで、岡崎博幸さん(「埼」は、本当は「大」の部分が「立」ですが、文字化けしてしまうので、こうしています)が、元最高裁判事の瀬木日呂志さんの記事を紹介してくれて、私も読んだんですね(http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/157670/8)。それで、これは大事な指摘だと感じたわけですね。日本の裁判官は、「法衣を着たお役人」とのことです。「お役所仕事」の裁判をやっちゃってる訳です。それは、権力に都合のいい裁判をしていることがほとんどだということです。ですから、裁判結果には、ウソとゴマカシだらけになっちゃってるのが、日本社会の、悲しくも、厳然たる現実です。それを端的に表している数字が、行政訴訟で、政府などを訴えた市民が勝つのは、8、4%と言いますからね。政府や市町村、都道府県を訴えても、10の内、1つも勝てない計算です。裁判官が、いかに権力に都合に良い判決ばかりを出しているかが、ハッキリ分かります。
これを糺すためには、私どもはどうすればいいのでしょうか? 法科大学院教育を考え直した方が良いのでしょうか? 私はそうは考えませんね。法科大学院で学ぶ段階では遅すぎる、と考えるからです。私は小学生かそれ以前の教育が大事だと思いますからね。福沢諭吉ではないけれども、裁判官も不羈独立でないから、依存的、権力依存症になっている訳ですね。エリクソンのライフサイクル論からすれば、幼児前期、つまり、2才か3才の頃の発達危機が乗り越えられてないんですね。「自分が生きている実感」に従うことを身に着けてないんです。いつも周りの強い者に同調することしか学んでない。ですから、幼児教育、初等教育の段階で、子どもが感じている、言葉にならない「自分の感じ」に従っていい、という関わりをすることが、裁判官の不羈独立のためにも必要だ、というのが私の処方箋です。