エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

エバルのは、自信がない裏返し

2015-11-23 07:23:39 | アイデンティティの根源

 

 

 
お定まりの日常生活を送るだけじゃぁ、≪最深欲求≫は分からない
  自己内対話は、結局≪最深欲求≫に応えること。 p15行目から。      お定ま...
 

 ルターは、信頼を回復した後でも、宗教改革を進めている中にあっても、信頼が地に落ちるほど、弱くなっちゃいました。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.241の、最後の行の途中から。

 

 

 

 

 

ルターが、この内なる声に打ち勝つことが出来たのは、無限に仰々しいことをした時だけでした。たとえば、自分の教えを天使たちの裁きの上だと言ってみたり、しかも、それは、自分の教えを正しく理解しているので、自分の教えこそは、神の教えであって、ルター自身の教えじゃない、との理由からでした。自分を正当化するために、ルターは「ガラテャ人へに手紙」第1章18節「たとえ、私どもであれ、天から舞い降りた天使であれ、今まで宣べ伝えてきた福音以外に、他の福音を宣べ伝えるのであれば、その者は呪われろ」を引用しました。これは、「ガラテャ人への手紙」第1章1節「使徒パウロ(人でも、人に遣わされたものでもなく、イエス・キリストによって遣わされたものですよ)」が、この聖句の前にありますね。

 

 

 

 

 

 ちょっと誇大妄想でしょうか? アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちほどではないにしても、ルターも誇大妄想だったといえますね。アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちは、誇大妄想や、エバルことをしてないと、マザコンで、頭のネジが2・3本足りないことが、不安で、みっともなくて、仕方がないんですね。

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リーダーには、倫理的な配慮が出来る人を選びましょう。

2015-11-23 06:18:59 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
エリクソンの子育てレッスン①:「正しいことを押し付ける」のが、子どもにとって、最も有害です。
  Let it go ≪ありのままの自分≫が生かされる。それが何にもまして大事です。 今日の処は、エリクソンの子育てレッスン①、とでも言うべき、...
 

 大人は、「正しいこと」を、人に押し付けることはありません。

 大人は、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちのように、問答無用に、戦争法案や辺野古の基地を、他人に押し付けたりは、致しません。

 大人は、「自分だけが正しい」などと、心の狭いことは致しません。

 大人は、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちのように、憲法九条で、戦争はしちゃいけないことになっていたら、外国に軍隊を送って、武器を使うようなバカをやってもいいだとか、海外で戦争をやっても良いだとか、自分勝手な考えを押し通したりは、致しません。

今どきのニッポンは、「悪の見本市」みたいですから、「倫理的な感じ」や「倫理的配慮」は、宝石を見つけるよりも、難しい。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p93の、第2パラグラフの、下から7行目途中から。

 

 

 

 

 

それに、ここで、革命の指導者らは、グラツクことがない倫理的な感じと、倫理的な配慮を伴った、価値を育み、価値を実現しなくっちゃね(私どもの発達に関する洞察については、世代を育む倫理があれば、新しい黄金律が示されることになることでしょう。つまりそれは、他の人が成長するのに役立つことを、自分自身が成長するのに役立つよう、して差し上げなさい、ということです)。

 

 

 

 

 ここは、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちに読ませたいところですね。自分たちが得することばかりを考えて、自分達が得することばかりをやらかす人達ですからね。我利我利亡者で、おバカな、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちは、読んでも、理解できないかもしれませんし、ましてや、実践することは無理かもしれませんけれどもね。

 でも、私どもは、エリクソンが教えてくれるような、倫理的な感じと、倫理的な配慮が出来るリーダーを選んで生きましょう。

 


 

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「ありのままの自分」が大事、いつでも、≪いまここ≫が大事

2015-11-23 00:45:44 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

ジョン・カボット・ジンさん。『大きな不幸を生き切ること』から。「求めない」の続き。

 

 

 

 

 

 

 例えば、座る瞑想をして、「もっとリラックスできれば、とか、もっとよく分かれば、とか、痛みがなくせれば、とか、もっといい人になれば、とか」と思ったら、自分の頭に、「自分がしなければならないこと」を思い浮かべることになっちゃうでしょ。しかも、それと一緒に、「今のまんまじゃぁ、ダメだぁ」ということにもなっちゃいますよ。「もっと落ち着くだけで、とか、もっと頭がよくなるだけで、とか、もっと働けば、とか、もっとあれこれすれば、とか、もっと心臓がよくなれば、とか、もっと膝がよくなれば、私は大丈夫なんだけれど。でもいまは、ダメだなぁ」ってね。

 

 

 

 

 いろいろ「こうなれば…」と考えることも、そりゃぁ、ありますよね。でもね、そうすると、≪いまここ≫にいる「ありのままの自分」を否定することになっちゃうでしょ。それだと、≪本当の自分≫には、なれないみたい。≪本当の自分≫は≪いまここ≫にいる「ありのままの自分」を生かす中で育っていくからでしょうね。

 

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愛着障害のカウンセリングはこれだぁ! その9 雰囲気から、心の言葉を読み取る力

2015-11-23 00:30:38 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
「聴く耳のない人」のお手本
  また、早稲田のクラスメートの楠正彦さんが、facebookでナイスな投稿をしてくれました。シェアしたのですが、それだけじゃぁ「もったいない」ので、このブログで...
 

 良いセラピストは、実は、セラピスト自身の傷から、クライアントに安心感が伝わる人です。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.215の、ブランクから。

 

 

 

 

 

4 2人の心のリズムが響き合うこと

 

 私どもは生まれてこの方、私どもの様々な関わりは、打てば響くような顔、仕草、タッチになって、体現されます。私どもは第7章で見てきたように(訳注:現在翻訳中のここは第13章です、第7章はまだ翻訳が終わってません)、愛着にはいくつかの根っこがあります。トラウマがありますと、身体と身体の調子の響き合いが狂ってきます。PTSDクリニックの待合室に入ると、クライアントは、凍り付いた顔と、倒れ(同時に興奮した)身体によって、スタッフと区別がすぐに分かります。こういった身体のやり取りを無視して、クライアントが語る言葉だけに注目するセラピストが多くて困りモンです。

 

 

 

 

 

 心が病んでいるのは、心が響かないからでしょ。あるいは、逆に、響きすぎる場合もありますね。

 良いセラピストは、もちろん、子どもも大人も言語化できないでいることはを聴き取る力が優れている人です。表情やしぐさや態度、立ち居振る舞い、そして、何よりも雰囲気から、相手の心の言葉を読み取ることです。これは、「空気を読む」のとは、全く違う、およそ正反対の態度です。

 相手の心の言葉を読み取るから、心と心が響きだすんですね。

 

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