エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ルターは受難者?

2015-11-27 08:16:47 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
法の支配 the rule of law と恣意的支配
  法の支配。民主主義の原理の一つだと思われますが、ここで言う「法」とは、基本法、日本では憲法がこれにあたるそうですね。 ですから、憲法が、日本の政財官だけで...
 

 ルターの信頼は、不寛容と残忍さに落っこちました。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.242の、下から3行目途中から。

 

 

 

 

 

 こういったことがあったのにもかかわらず、ルターが憂鬱を悪化させたのには、他者を寄せ付けない「内因性の」原因があったと考えるなくてはならない、と精神分析かは感じます。つまり、ルターは、調和のとれた人であるはずですし、そうあるべきでした。キルケゴールが再び真実に近づいたのは、真逆に、ルターは殉教者であり続けたと仄めかした時だった、と私は考えます。というのも、ルターはどうしたことか、受難が必要だと感じてたからです。

 

 

 

 

 

 ルターは、そりゃぁ、ひどいことになりました。ひどいこともしでかしました。

それでも、受難者だったらしい?

 

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精神分析法にある、傾聴すべきメッセージ

2015-11-27 07:45:39 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 

 

 

 
人生の巡り合わせを見つめると…。
  基本計画は、最初に決まって後は動かない、というのじゃなくて、それぞれの部分が後々になって発展するというのが、エピジャネティックなものの考え方。後からだんだんで...
 

 倫理も道徳も、大人と子どものやり取りがあって初めて、伝わるもの。

 ウソとゴマカシだらけ、ニッポンは、そのやり取りがないことの最たる証拠。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p94の、ラインから。

 

 

 

 

 

  精神分析法の歴史的相対性

 

 結論で私どもは、もう一度、根源的な精神分析法に戻りますけれども、いま私どもが忘れてはならないのは、精神分析法には、根源的な役割が2つある、ということです。つまりそれは、「ヒポクラテスの誓い」です。それは、大人たちが、子どもの頃からの抑圧的な不安から解放されることですし、すでに生きている人生と人格に、子どもの頃からの不安が影響することから解放されることです。それと同時に、人間が、生育史的に言っても、人間の発達の観点からも、過去のいろんな発達にこだわりを持つことを、独特なやり方で明らかにすることが、研究法であるばかりか、傾聴すべきメッセージがある方法でもある、ということです。

 

 

 

 

 

 何の意識もなく、毎日を平凡に生きているつもりであっても、じつは、子どもの頃の体験とその体験をした時の気持ちに、知らず知らずのうちに、こだわっている、戻ってしまう、ということはごくごく一般的に、日常的にあることです。心理臨床の仕事をしてましたら、そんな例にはごまんと毎日出くわします。

 心理臨床の仕事をしてなくても、皆さんも、本当は毎日出くわしてんですよ。

 

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ストレス解消のために、最初にすること

2015-11-27 02:08:21 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
日本社会の狂気
  昨日は、現代人が、人を大事にできない、ということを抽象的に言った部分。今日はその具体的な部分。 p81第2パラグラフ、11行目途中から。 ...
 

 

 今晩は、ジョン・カバット・ジンさんの『大きな不幸を生き切ること』から、「求めない」の続きに戻ることにしましょう。p26の下から2行目から。

 

 

 

 

 

 人々は、ストレス解消センターに、主治医から紹介され、あるいは自分自身の判断で、やって来ますが、それは、何か異常があるからです。クライアントが最初にやって来るとき、私どもが伺うのは、このプログラムでセラピーをしたいと思う、3つの目標をハッキリさしてください、ということです。でもね、意外なことに、私どもは、8週間、その目的に向かって前進しないでねって、お願いします。特に、その目的の1つが血圧を下げることだったり、痛みや不安を和らげることだったりする場合は、血圧を下げたり、痛みや不安を和らげようなどとしないで、≪いまここ≫を味わって、瞑想の教えに従ってください、と申し上げますね。

 

 

 

 

 面白いですね。目標を3つ挙げても、最初の2ケ月ほどは、その目標のことはいったん忘れてしまうなんて。≪いまここ≫を味わうことって、それほど大事なんですね。逆に言ったら、≪いまここ≫を大事にできないことって、ざらにあることなんでしょうね。トラウマのために、無意識に感情転移をしたり(母親に似た人が嫌いになったり、父親に似た人が好きになったり…)、トラウマのために、在りもしないことで、あれやこれやと不安を感じたり…。

 どうすれば、≪いまここ≫を味わえるのかなぁ?

 

 

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しゃべらない愛着障害の子に、感覚運動セラピーをしたケース

2015-11-27 01:57:16 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
法の支配 the rule of law と恣意的支配
  法の支配。民主主義の原理の一つだと思われますが、ここで言う「法」とは、基本法、日本では憲法がこれにあたるそうですね。 ですから、憲法が、日本の政財官だけで...
 

 タンゴから合気道まで、いろんなアクディヴィティが、発達トラウマを抱えた愛着障害の子どものセラピーに役立つらしい。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.216の、第4パラグラフから。

 

 

 

 

 

 私がリズムと癒しについて、もう1つの強烈な教訓を学んだのは、トラウマ・センターの臨床家たちが5才の、しゃべらない女の子の治療を頼まれたときです。その子の名前は、イン・メーちゃんで、中国の乳児院からの養子でした。その子と何とか関わろうとして、何か月もの間、関われずにいた後、トラウマ・センターの同僚のデボラ・ロッツェルとリズ・ワーナーが気付いたのは、この子がリズムに合わせることが出来ない、ということでした。その子は、周りにいる人達の声や表情に、心響かせるとが出来ませんでした。それで、私の同僚たちは、感覚運動セラピーをすることになりました。

 

 

 

 

 発達トラウマを抱えた愛着障害の子どものセラピーが、手探りで始まったことが分かりますね。子どもの言葉にならない言葉を聴くことから、セラピーを形作る訳です。メーちゃんから学んだセラピーのやり方が、感覚運動セラピーだったわけですね。

 明日は、この感覚運動セラピーって、どういうものかが分かります。知的障害児施設の人(あるいは、その子らの支援学校の人)ですと、すでに知っているかもしれませんね。

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