エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

「悪い良心」のお手本:アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たち

2015-11-24 08:26:03 | アイデンティティの根源

 

 

 
踊りと巻き上げに注意!
  感覚を研ぎ澄ました先には、≪最深欲求≫が待ってくれています。 p80の下から13行目から。    ...
 

 

 ルターがエバッて見せたのは、、信頼が地に落ちるほど、弱くなっちゃたから。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.242の、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 ルターは、ハッキリとした言葉を言うようになりました。それは、その言葉を目の当たりにしても、大事な意味が分からないものでした。ルターが言うには、「分別という意味での、ルターの『判断』は、正義という意味での、神の「判断」に違いない」ということでした。このように「義とされた者」が裁判官となりました。神学的な根拠がどんなものであっても、良い良心、すなわち、真の怒りのある良い良心は、それがないと、本物のリーダーシップもありえなければ、効果的な教育もあり得まないけれども、他人にとっては、悪い良心になっちゃいますし、激しい怒りが募るほどに、かならず、悪くて、「正義に反する」良心になることに相場が決まってます。

 

 

 

 

 

 ここを読むと、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちがやってることが、実に良く、心理的に分かりますでしょ。自分の判断を、神よりも、憲法よりも、上にしてるのが、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちでしょ? それは、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちが、ここでエリクソンが教えてくれている通りの、悪い良心、正義に反する良心の持ち主だからです。

 こうしてくると、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちに対する対処法も自ずから分かります。すなわち、悪い良心には、良い良心で対処することです。単純です。

 

 

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形ばかりの偽物の礼拝ごっこ

2015-11-24 07:40:53 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
神の霊風と創造
  創造には、二つの見方があるそうですね。1つは「無からの創造」。文字通り神業でしょう。何もないところから、何かが生まれることですからね。人間には不可能です。...
 

 今どきのニッポンって、ウソとゴマカシだられですから、「大人」って、「自分が得するように人をだます人」だって感じになってますけれども、本当の大人は、「倫理的な感じ」や「倫理的配慮」の出来る人だ、とエリクソンは教えてくれています。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p93の、下から2行目から。

 

 

 

 

 

 ここで、ついでに、思い出していただきたいのは、人間が、道徳や価値や倫理を育む可能性を分かち合う礼拝をするために用意された、人生のいつくかの舞台、すなわち、子どもの頃、思春期、それから 、大人になってからの時期を描く時、私どもはその礼拝に対応する「形ばかりの偽物の礼拝ごっこ」について、注意してね、と申し上げましたね。この「形ばかりの偽物の礼拝ごっこ」とは、「弱い立場の人に『正しいこと』を押し付ける道徳主義」、「『自分が一番正しい』とする(アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちみたいな)全体主義」、それから、「本当は自信(本当の自分)がないからこそエバル、『人間を上下2つに分けるウソ』を信じて、自分を『上』にしたい権威主義」です。

 

 

 

 

 「〇〇教を信じてます」、「〇〇教徒です」と言っても、礼拝をしているとは限りません。私の経験と感覚から申し上げて、エリクソンが言う「形ばかりの偽物の礼拝」にしか参加してないケースが少なくない、と感じています。ましてや、ゼニカネ以外を信じていない人は、「形ばかりの偽物の礼拝ごっこ」だけ。

 今のニッポンが、ウソとゴマカシだらけなのは、本物の礼拝があまりにも少ないこと、毎日の礼拝がないことが真の原因です。

 

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音楽が人を癒す力

2015-11-24 06:48:18 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
踊りと巻き上げに注意!
  感覚を研ぎ澄ました先には、≪最深欲求≫が待ってくれています。 p80の下から13行目から。    ...
 

 良いセラピストは、クライアントとの身体のやり取りから、相手の気持ちを読み取ることが出来る人です。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.215の、第4パラグラフから。

 

 

 

 

 

 音楽やリズムで表現されたものに癒す力があることは、1997年の春、強く思い知らされました。この年、私は「南アフリカ・真実と和解・委員会」の働きに関心を持ち辿っていました。私が訪ねた場所では、おぞましい暴力が続いているところもありました。ある日、ヨハネスブルク郊外の、有色人種居住区にあるクリニックの中庭で、レイプされた人達の集会に参加しました。少し離れた場所では、弾が飛び交う音が聞えたものです。弾の煙は、白人居住区の壁を超えて、広がりましたし、催涙弾の臭いが漂っていました。後で私どもは、40人が殺されたと聞きました。

 

 

 

 

 

 

 南アフリカのアパルトヘイトでは、黒人がずいぶん殺されていたわけですね。しかし、「南アフリカ・真実と和解・委員会」では、加害者の白人たちの罪を問うことを、確か放棄していたはずですね。

 多くの傷ついた、南アフリカの黒人の癒しに、マインドフルネスが役立ったみたいですね。歌やリズムを奏でることによって…。

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マインドフルネスの自由

2015-11-24 06:44:09 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
早すぎる道徳は、禁物
  上辺だけが優しい大人が、「正しいことを押し付ける」事は誠に厄介。しかし、子どもは、傷つきのある子どもほど、その大人のウソとゴマカシにすぐに気づきます。 p...
 

 

 

ジョン・カバット・ジンさん。『大きな不幸を生き切ること』から。「求めない」の続き。

 

 

 

 

 

 「〇〇があればなぁ」という態度ですと、マインドフルネスを育む邪魔になります。マインドフルネスは、≪いまここ≫で起きていることに単純に意識を向けることですからね。もし、緊張していれば、緊張に注目します。痛みがあれば、出来うる限り痛みと共に在ろうとします。自分自身を批判しているのであれば、自分の分別をよく観察します。ただ良く見ること。忘れないでくださいね、私どもは、一瞬一瞬≪いまここ≫で経験することなら何でも、すべてを、本当だと認めるだけなんだ、ということです。マインドフルネスの招待状って、≪いまここ≫の経験を単純に、悦んで受け止めて、意識的にその経験に踏みとどまることですね。「ねばならない」ことなど、1つもありゃしませんよ。

 

 

 

 

 

 「求めない」のは自由だからですね。自由だから、「ねばならない」ことなど、1つもない訳です。≪いまここ≫を喜んで受け止めて、意識的に踏みとどまること、これはパウロがに2,000年前からやってることですね。ロマ書第5章3節~5節です。

 

 

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