エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

考えることは、本を読み直すことに似ている

2015-01-26 13:48:33 | エリクソンの発達臨床心理

 

 映画「ハンナ・アーレント」。映画館をいろいろ探したけれども、なかなか行けませんでした。昨日wowowで、ようやく見ることができました。

 映画は、ハンナ・ハーレントが、アイヒマン裁判を傍聴し、雑誌にその報告書を書いたものの、極評にあい、多くの友人を失っても、その報告書を譲らなかったことがえがかれてます。誤解や誹謗中傷にもかかわらず、ハンナ・アーレントはなぜ、自分の考えが揺るがなかったか?

 ハンナ・アーレントは、アイヒマンは、悪魔のような人物でもなければ、モンスターでもない、と主張します。極々平々凡々な人間だと言ったんですね。その平々凡々が、世にもオゾマシイ、最低最悪の悪魔の仕業をしでかした。強制収容所から命からがら生き延びたユダヤ人たちは、悪魔の仕業をしでかした人物は、悪魔かモンスターでなければ、納得しなかった。その齟齬が、ハンナ・アーレントに対する誤解と、誹謗中傷を生んだ。

 しかし、ハンナ・アーレントは、さすが一級の政治哲学者。そんなラベリングでは納得しなかった。アイヒマンの裁判での態度、その事実に基づいて考えた。考え続けた。

 この映画のおわりに、ハンナ・アーレントが「考えることで人は強くなる」と述べます。考えて強くなる、というのがハンナ・アーレントの生き方そのものだったのだと思います。

 考える、ということは孤独な作業。誤解や誹謗中傷を受けても考え続ける。それは、同じ本を何度も読み返すのに、似ています。

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偉人は先取り

2015-01-26 11:10:59 | アイデンティティの根源

 

 ダーウィン、コペルニクス、フロイト。世界の見方を変えた人。

 p178の6行目途中から。

 

 

 

 

 

フロイトは不幸な運命を予測してわけじゃぁない。すなわち、世界は、つまらない偏見、的外れな誇張、見事なほどの歪曲だと見なすことによって、大きなショックを受けずに済ませるとは、フロイトは予測できてない。。しかしながら、そのショックは、現代の、全てではないとしても、多くの人たちの個人的な心のバランスに影響します。それは、偉人は理解され信用されるからではなくて、人間の世界の見方と、世界の中で人間の立ち位置とに対するイメージが大きく変わっていることを示すと感じられたからです。その世界に味方に対する変化は、政治経済の発展に伴って決まります。偉人の悲劇は、偉人は指導者であると同時に、価値が生まれる際の犠牲者でもあります。

 

 

 

 

 偉人は世間からなかなか理解されません。否定されるのが常でしょうね。フロイトではなくても、ガリレオ・ガリレイ然り。ハンナ・アーレント然り。でも、偉人は、一般の人がいまだはっきりとは気付いていないことを、一足早く、ハッキリ意識できますし、はっきり言葉にすることもできます。

 

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子どもと一緒 改訂版

2015-01-26 07:50:20 | 間奏曲

 

 真実は、不思議を感じる心から生まれてくるものらしい。

 p55冒頭。

 

 

 

 

 

 もしも、一人の子どもが生まれながらに備わっている、不思議を感じる心を、あの天使たちからは何にも貰わずに、ずっと大事にしたいと願うのならば、その子は、その不思議を感じる心を分かち合い、私どもが生きている世界の悦び、ドキドキ、不思議を、その子と共に、繰り返し見つけ出してくれる大人が1人必要です。

 

 

 

 

 

 私どもは、そんな大人の1人でありたいものですね。

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一生懸命、一途な道

2015-01-25 12:44:45 | エリクソンの発達臨床心理

 

 日本人はconformism 同調主義。みんなと同じでなければなりません。日本人ほど制服が好きな人種も少ないでしょう。制服を卒業した後でさえ、同調主義、多数派に合わせることで得を得ようとするのが生きる姿勢になってくると、多数派の着るものを「自主的」に着るようになるほど。

 でも、日本人すべてが同調主義なわけない。わが敬愛するマハトマ・まど・みちおさんは、次のようなことをおっしゃいます。「誰でも一生懸命になれば、命輝く、個性輝く」。同調主義に生きる人は、「一生懸命に生きること」を諦めてるんでしょう。一生懸命は一途とも言い換えられる。一途は一本道をまっすぐに行くことでもありますでしょ。ですから、1つのことに無心で取り組んでいれば、それこそが一生懸命です。

 一途に取り組むには、さて、どうしましょ。一途は自分が好きなこと、「良いな」と感じるものを見つけるところから始まり始まりですね。先日の吉田都さんのように、自分が心惹かれる物事を見つけることが、最初の出発点でしょ。そして、自分が心惹かれる物事に、心を込めて取り組んでいく。大変なこともあることでしょう。うまくいかないことだってありますもんね。でもね、諦められないのは、自分の心が惹かれてんからですよね。

 そうして、自分が心惹かれる物事に心を込めて取り組んでると、その取組そのものが、自分を確かにする感じを強めて、豊かにしてくれんですね。それが、自分自身の世界、アイデンティティになります。

 一生懸命、一途な道は、自分を確かにしてくれる豊かな人生の始まりです。

 

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思いがけない発見

2015-01-25 11:27:55 | アイデンティティの根源

 

 コペルニクス的転換を行った、ダーウィン、アインシュタイン、フロイト。しかし、3人とも、当初はそんなつまりはなかったらしい。

 p177下から3行目途中から。

 

 

 

 

 

ダーウィンは人間を動物以下にするつもりなどありませんでした。アインシュタインは相対性理論を広めていません。フロイトは哲学的な性の解放論者でもなければ、ゴリゴリの道徳家でもありませんでした。フロイトは関わりのある心理歴史的な課題を正々堂々と指摘したのは、世界は私のことを許せないだろうとフロイトが言った時でした。というのも、人間の意思は無意識裡の動機に従属することを明らかにしたことによって、人間のイメージを変えたからでした。それはちょうど、ダーウィンが許されなかったのは、人間と動物の世界の関係を明らかにしたからですし、コペルニクスが地球が中心でないことを明らかにしたのと同じです。

 

 

 

 

 

 ダーウィン、コペルニクス、フロイトは、それぞれ、世界の見方を根本的に変えてしまったことです。それはそうしようと意図した、と言うのではなくて、知らず知らずのうちに、研究や観察に導かれる形で、真実・真理を求めていると、自ずから、世界の見方が変わるような「発見」があったことになります。不思議!

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