エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

あらゆる真実の源 改訂版

2015-01-25 07:09:13 | 間奏曲

 

 子どもの世界はピチピチ、キラキラしているのに、大人になる前に、失われてしまいやすい。何故なんでしょうか?

 レイチェル・カーソンの『The Sense of Wonder 不思議を感じる心』から p53の5行目から。

 

 

 

 

もしも、私がすべての子どもの洗礼式を取り仕切る、あの良い妖精に耳打ちできるのなら、この世のすべての子どもひとりびとりに、不思議を感じる心をプレゼントしてね、とお願いしたいの。あの不思議を感じる心さえあれば、それは、ぶち壊しにできない、一生ものだから、その後の人生で味わう退屈や幻滅、作り物に心奪われてしまうこと、私どもの力の源から引き剥がされていることを、永遠に防ぐ解毒剤になりますもの。

 

 

 

 

 

 不思議を感じる心。あらゆる真実の源。

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病んで不毛な社会

2015-01-24 14:38:17 | エリクソンの発達臨床心理

 

 「病んで脆い不毛な社会」impoverished society

 これは国際障害者年行動計画の原則の中の63節にある言葉です。それは次の文脈に出てきます。すなわち、

「メンバーのいくらかの人々を閉め出すような社会は、病んで脆い不毛な社会なのである」

 障害者差別をしてはならないことを、直接的には表現していると思いますが、その後私は障害者福祉、心理臨床と仕事をしてまいりまして、この原則は、当初考えた抽象的なものではなくて、非常に具体的な原則だったことを実感しています。それを備忘録的に、ブログに記しておこうと思います。

 私は臨床と臨床研究を自閉症児の自己形成支援から始めています。自閉症児は、その感覚特性、認知特性などから、母子関係がやり取りのあるものにすることが非常に困難な場合が少なくなく、したがって、対人関係とコミュニケーションにハンディキャップを持ちやすくなりがちです。ですから、彼らの感覚特性、認知特性を踏まえて、母子関係や対人関係を支援することが非常に大事なサービスになります。私は、この部分をサービスするために、臨床と臨床研究を、まぁ20年この方、一心不乱にやってきました。

 すると最初は自閉症児支援とためにしてきた臨床と臨床研究が、自閉症児ではない子どもにも応用できることに気付くようになりました。自閉症児支援の方法論に普遍性があったと最初は単純に考えていました。しかし、その応用が効く子どもが、驚くほどたくさんいることが分かってきました。それで気付いたのは、社会の方が痛んできた、ということです。「失われた20年」のためでしょう。一部を締め出していた社会が日本には厳然としてありましたでしょう。「村」の共同体はとうに昔になくなっているのに、「村八分」が今も生きてますからね。排除されているが、次第にその数を増やしてってんですね。

 いまや、社会的に弱い立場の人が、平気で切り捨てられていますでしょ。それも、時の権力者は「皆さんのために、しっかりやってまいりたいと思います」「経済を豊かにすれば、いずれは皆さんのところにも…」などと寝ぼけたことを言ってますでしょ。あの大ウソつきのイカサマ野郎(お下品な表現であることをどうか御寛恕ください)のおかげです。

 ですから、私どもは、その大ウソとイカサマに騙くらかされないように、正気でいたいものですね。

 

 

 大ウソつきのイカサマ野郎(お下品には鷹揚に)

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偉人の謙虚さ

2015-01-24 10:09:23 | アイデンティティの根源

 

 価値には、歴史と個人を作る力があります。

 p177第3パラグラフ。

 

 

 

 

 

 現代の偉人を何人か、しばらくの間、考えてみましょうね。この人たちは、科学的真実によって、自分を確かにする感じが豊かになったことを誇りにしています。ダーウィン、アインシュタイン、フロイトでしたら(マルクスは触れません。マルクスは、ハッキリと気付きがあり、思慮深い、価値の職人です)、確実に否定するだろうと思うのは、この人たちは、間違いなく過去において行ったり、今してやったりしているような形で、現代に対して影響力、たとえば、この時代の社説、メディア、緻密性に対する影響力を持とうなどという、なんらかの意図がはじめからあったということなんですね。むしろ、あの人たちでしたら打つ壊しにするだろうと思うのは、自分に対して皆さんが描き出した、馬鹿でかい概念、あるいは、漠然と、不特定多数の人々が自分から引き出した馬鹿デッカイ概念、自分がもともと思いついた考え、自分が思いついた方法、自分の哲学と行動とは全く無縁な、馬鹿デッカイ概念です。

 

 

 

 

 

 ダーウィン、アインシュタイン、フロイトのようなビッグネーム。現代に決定的に大きな影響力を持った人たち。世界観、ものの見方に、コペルニクス的転換を例外なくもたらした人たち。

 エリクソンは、しかし、このビッグネームの人たちには、時代に影響力を持とうなどと言う大それた意図など全くなかった、といいます。

 面白いですね。 

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子どもの世界はピカピカ

2015-01-24 06:58:20 | 間奏曲

 

 子どもって、従順で切ない。

 、レイチェル・カーソンの『The Sense of Wonder 不思議を感じる感じ』から p53。

 

 

 

 

 

 子どもの世界は、ピチピチ、ピカピカ、輝いていて、不思議と興奮の塊です。私どもにとって不幸なのは、あの澄んだ目のヴィジョンも、何が美しく、何が恐れ多いのかを見抜く直感も、大人になる前に、曇らされ、なくしちゃう、ことなんですね。

 

 

 

 

 

 アーメン、本当です。

 

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#国立市から 改訂版 #生きている実感を出す歓び

2015-01-23 14:38:30 | エリクソンの発達臨床心理

 

 国立市。東京の小さな町。私の出身地。

 国立市在住で最も有名な人はだれか? 山口百恵さんを挙げる人が多いでしょうね。

 でも、私は生まれも育ちも国立市谷保ですからかもしれませんが、もう一人別の方を挙げたいと思います。それは、吉田都さん。元イギリス・ロイヤルバレエ プリンシパル。

 国立市はちっちゃな町ですから、車でしたら、東西でも、南北でも、10分くらいで端から端まで行く感じ。吉田都さんは、国立市在住で、しかも、国立市にある小さなバレエ教室のご出身。私が住んでるところは南で、甲州街道の南側ですが、そのバレエ教室は北にあり、中央線のすぐ北側。

 世界的なバレリーナになってから、こんな話を聴いたことがありました。それは、まだ小学生低学年の頃の事でしょうか? そのバレエ教室の前でずっと中を覗いている女の子がいた、ってんですね。毎日毎日、その女の子はそのバレエ教室を覗いていた。デバカメの話じゃぁないですよ。毎日毎日覗いてるから「この子はバレエがしたいんだろう」ということで、そこでバレエを習いだした、といいます。

 先日10年ぶりで、その吉田都さんの番組がBSで再放送されて、改めて拝見しました。吉田さん、22年間、例のプリンシパルを務めたと言いますが、最初はイギリス人になろうと頑張ったそうです。しかし、「マダム・バタフライ 蝶々夫人」を演じる人たちが、日本人になろうとしていることに違和感を感じて、自分もイギリス人になろうと思うことを止めた、といいます。それじゃぁね、どうしようとしたのか?

 それは、「自分の中で感じるものを出した方か良い」と思ったと言いますね。さらにいいます。「それがたとえ、他の人と違ったりだとか、良くなかったとしても、でも私としては納得できる」。

 これが、吉田都さんを吉田都さんにした、と確信します。なぜなら、これこそが、エリクソンの言う、「a sense of initiative 自分が感じていることから行動を始めてもいい感じ」だからですね。

 

 エリクソンが言っていることがいかに実際的で、しかも、それが日本ではあまり理解されていないことがお分かりだと思います。

 

 

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