エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

プレゼントを渡す喜び

2015-06-25 08:49:58 | アイデンティティの根源

 

 受け身になるのは、赤ちゃんのやり方に戻ることですから、一種の退行です。

 ここら辺は重要ポイントのオンパレードですから、ご注意あれかし。

 Young Man Luther 『青年ルター』p208の第3パラグラフ11行目途中から。

 

 

 

 

ルターが受け身になるをキッパリと教えるのに、あ母さんが赤ちゃんにオッパイを上げるみたいに、講師は生徒たちに、プレゼントを上げなくちゃならないという結論に達したのは、偶然じゃぁないんですね。私どもが今話題にしている受け身になることに、本来備わっているのは、自分は与えてもらったという記憶だけじゃぁなくて、自分はお母さんみたいに与える人のなると決めて、心を確かにすることでもあるんですね。すなわち、「良いことがキラリと光るのは、他者に溢れるように与えることだ」ということですね。

 

 

 

 

 

 いいでしょ。良いことは、必ずプレゼントすることのあるんですね。プレゼントを貰うことも、そりゃぁ、素敵ですね。でもね、人生で一番うれしいかったのは、プレゼントを渡した時だったんじゃぁ、ないかなぁ?

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子どもの頃に、遊びに値打ちを教えくれた人が、1人いたらいいのになぁ

2015-06-25 07:10:26 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
ぼんやり は 自分の源
   子どもの頃のイメージと世界の見方を変えること 見当識を意識すること  子ど...
 

 

 遊びは、子どもが誰から教えられたわけではないのに、自分を発達させると「知ってる」天与の知恵です。

 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p50の下から11行目途中から。 

 

 

 

 

発達の視点からみれば、以前提案したことですが、遊びには、autosphere 本人の側面、身体のいろんな感覚で遊ぶという側面1つ、microsphere 小さな側面、おもちゃで遊ぶ側面1つ、それから、macrosphere 大きな側面、人と遊ぶ側面1つ があります。プレイセラピーで大いに役立つのが、おもちゃのある遊びの小さな側面のおかげで、セラピーをする子どもは、危機をはらんだ願いやテーマを、隠さず表現できる、ということを見て知ることですね。この危機をはらんだ願いやテーマは、子どもを不安にすることもありますし、一番意義深いのは、子どもが、突然 play disruption 遊びを止めることです。この遊びが突然止めるのは、目覚めている時に見る不安な夢に相当します。

 

 

 

 

 

 遊びには、三つの側面がある、というのが、エリクソンの提案です。

 私は、子どもの頃、よく遊んだのですが、それでも、相当「お勉強」もするがり勉でした。遊びのことを研究する中で、遊びにこんなに価値があるってことが分かるにつけて、その価値を教えてくれる大人が、子どもの頃一人でもいてくれたなら、と感じています。

 

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アベシンちゃんの「僕は、お殿チャマ」と頭をポカリ

2015-06-25 03:24:23 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
母親から大事にされる幸せ
  損を承知で、捨て身で子どもとの≪真の関係≫に忠実であることは、最深欲求に応えることでもあるんですね。p39の6行目途中から。 ...
 

 アベシンちゃんの笑い話のつづきです。今日で第2回目。

 第1回目を見逃した方は、こちらをどうぞ。アベシンちゃんのチャンバラごっこ : 安倍晋三首相のオシバイ・作り話・ウソ

 

 アベシンちゃん、アマちゃんとチュウちゃんの喧嘩の、高みの見物をしてたっけ。それでも、アマちゃんの大好きな、一口チョコやキャンディーをセッセと運ぶことは忘れなかった。そうしう、木陰なんかから、チュウちゃんめがけて、石や一口チョコを投げてたこともあったけど、食べ物を粗末にするのはいけないことだって思ったっけ。

 アベシンちゃんが、「積極的に仲良くしよう」と言いだした話は、前にも言ったよね。でも、実際は、チュウちゃんたちと喧嘩をすることだ、ってこともね。

 その喧嘩のことを、どうやら、僕らの小学校の校長先生の、小林節先生が、耳にしたらしい。

http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=45067&media_type=hb

 小林先生は、 アベシンちゃんに、「『積極的に仲良くしよう』というのは、どういう意味なのかなぁ?」と尋ねたんだって。そしたら、アベシンちゃんたら、「テイネイに説明ます」「テイネイに説明します」と繰り返すだけ。小林先生もほとほと困って「『テイネイに説明する』のは分かったから、「仲良くする」ってどういうことなのかなぁ?」と聞き直したんだ。アベシンちゃんには、「積極的」という言葉は難しすぎるし、「積極的に」と「仲良くしよう」みたいに、2つの言葉が重なると、アベシンちゃんは、もう、その意味が分からないなくなるって、校長先生も気づいたみたい。

 アベシンちゃんは、ちょっと考えてから、ようやく答えを見つけたみたい。「『仲良くする』のはね、『仲良くする」のはね、チュウちゃんが花火をする時に、チュウちゃんに水鉄砲を撃つことなんだ」って、言ったんだ。そしたら、校長先生は、「水鉄砲を撃っちゃったら、喧嘩になるね。仲良くなることにはならないょ」とおっ しゃった。そしたらまた、アベシンちゃんは「『テイネイに説明します』、『テイネイに説明します』」って、壊れたテープレコーダーになっちゃった。校長先生も、これ以上やっても、ショウガナイないなぁ、と思ったみたい。「アベシン君、教室に戻っていいよ」とおっしゃった。

 アベシンちゃんは、なんで校長先生から呼ばれたのか、まだ分からなかったんだ。だって、あべしんちゃんは、お腹と頭が、何と言っても弱かったからなんだ。でも、「積極的に仲良くなろう」って言って以来、お腹の調子だけは良いみたい。でも、頭の調子はなかなか良くならないなぁ。それで、アベシンちゃんは、アマちゃんに飴玉やりながら、相変わらず、チュウちゃんたちの喧嘩してたんだ。

 校長先生も、このままではいけない、と思ったはず。また校長室に、アベシンちゃんを呼んだんだ。校長先生は、「『テイネイに説明しす』は分かるけど、どうしてチュウちゃんたちと喧嘩するんだ?」とおっしゃった。すると今度は、シンちゃんは、「お殿チャマは、何やったって、いいんだよ」と言って、校長先生に、アッカンベーしたんでつて。シンちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんが、昔お城のお殿さまだったらしい。

 その後で、小学校の朝礼でさ、校長先生のお話があったのね。ちょっと難しいお話だったから、全部は覚えられなかったんだ。だから、僕が分かったところだけ、お話するねぇ。アベシンちゃんが「仲良くする」と言ってたのは、本当は「喧嘩」のことだから、アベシンちゃんのいうことを真似しちゃダメダァ、ということ。僕は「ホントのことだ」と思ったっけ。それから、「昔はお殿さまがいて、お殿さまの命令には、だれも逆らえなかったけれども、アベシンちゃんは自分を「お殿さま」と思って、いろんなことをすることは、イナケイことだってこと」。それから、さすがは校長先生だなぁと思ったのは、今の世の中は、みんなが平等だから、お殿さまみたいな人が勝手に決めるのはいけない、みんなで話し合って決めるのが良い」って教えてくれたこと。

 それからしばらくして、アベシンちゃんは、チュウちゃんから頭をポカリとやられたらしい。シンちゃんが木の陰から石を自分にぶつけているのが、チュウちゃんも分かったらしい。それで、チュウちゃんもカンカンになって、シンちゃんを追いかけたんだって。シンちゃんは、走って逃げたけど、カリンちゃんの自転車にぶつかって、転んだところを、チュウちゃんに捕まって、とうとう、頭をポカリ…。

 やっぱり、悪いことをしていると、お天道様はご覧になってんだぁ、て思ったっけ。

 

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遊ぶ子は育つ

2015-06-24 07:06:08 | エリクソンの発達臨床心理

 

 人が退行するのは、根源的信頼感を豊かにしたいから。根源的信頼感が豊かであればあるほど、眼の前に発達危機を、肯定的、建設的な方向で展開することができるからです。それを子どもは、誰からも教えられていないのに、「知ってる」んですね。面白いでしょ。

 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p50の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 この章の結論として申し上げたいのは、ライフサイクルの発達が展開していくことと、遊びに関する、まとめの言葉とが深く関わり合っていることに関してです。精神分析のもともとの遊び理論は、エネルギーの考え、「カタルシス」理論に従ってきました。「カタルシス」理論によれば、遊びは、無意識に閉じ込めたいろんな感情を、子どもが少しずつ発散し、過去に積み残したいろんな欲求不満を、こどもが空想の中で解消しよう、とする働きがあります。フロイトにとっては、遊びは、特に、受け身で体験せざるを得なかったことを、子どもが空想の上で能動的に体験し直すものでした。

 

 

 

 

 ここも大事ですね。遊びが子どもの育ちにどれだけ役立つかがハッキリ分かるからです。

 それにつけても、日本の多くの大人たち、親も教育も、この遊びの値打ちを知らないこと、その無知が嘆かわしいですね。何と言っても、大人が、親も教員も、子どもに一番たくさん言うことと言ったら、「宿題やんなさい」、「勉強しなさい」ですからね。

 遊びの値打ちが分かったあなた、今日から、「勉強する暇があったら、一緒に遊ぼうよ」と言ってみては!

 

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#子どもたちの復元力 と≪#人間皆兄弟≫

2015-06-24 05:06:41 | エリクソンの発達臨床心理

 

 日本の子どもたちは、ベトナム戦争にも擬えてもいいくらいの「戦争」の毎日を過ごしています。昨日のブログ 子どもの日常生活に、「平和」を!!でそう記しましたね。「平和」と言われている日本の子どもの日常生活が、現実には、長時間労働、サービス産業、長時間通勤、給与の減額分を長時間労働・複数の仕事を補てんしようとするなどの親の労働環境のせいで、現実には「戦争」になっている訳です。これは、日本の労働政策をはじめとする、生存権と社会権と言う「人間らしい暮らしをしていくために、基本的で、当たり前のこと」=「基本的人権」が蔑ろにされているからですね。そのために、来る日も来る日も、行く学校行く学校で、溢れかえった愛着障害の子どもたちのケアをする毎日になってる訳ですね。

 私のセラピーの基本は、プレイセラピーです。エリック・エリクソン Erik H. Eriksonから習いました。といっても、エリクソンが亡くなった1993年には、まだ、心理学を体系的に学ぶ以前で、河合隼雄先生や國分康孝先生の本を読む程度でしたからね。実際にお会いしたこともなければ、夢でさえ会ったこともあません。エリクソンの本は、大体、3回くらい、Toys and Reasonsなどは、章によっても10回を下らないくらい、リリードする中で、エリクソンがやっていたと思われるプレイセラピーをするようになってきたわけですね。いまは、時間がかかる通常のプレイセラピーよりも、コラージュ療法か絵画療法をやることが多いですが、これも、プレイセラピーの一種ですから、基本は変わりません。

 子どもとコラージュ療法をしていますとね、「戦争」に擬えるほどの日常生活をしている子どもでもね、実にしなやかな復元力があることを教えられて、人間のポテンシャルのすばらしさに驚嘆することが少なくないんですね。先日も、クラスでは、立ち歩きや、教員に対する「反抗的態度」が目立つ小学校低学年の女の子が、初めてやったコラージュ療法で、「死と再生の物語」を、愉しそうに作ったことに眼を見張りましたね。「お化け屋敷に入って、怖かったけれども、そこでは美味しいご馳走と友達が出来る」という物語ですからね。反抗的に見えるのは、大人が気まぐれにその子を過剰にコントロールしていることが多いからでしょう。大人がその「気まぐれ」を止めて、≪約束≫という共通の見通しを持つことが大事になりますね。≪約束≫は≪見通し≫が≪出来事≫になることの繰り返しですから、子どもも大人も、≪信頼≫という、非常に建設的で肯定的な関係を育むことができますね。

 でもね、実はそれだけではないんですね。≪約束≫は、「人間を上下2つに分けるウソ」から、≪約束≫する大人も子どもも解放し、≪1つの人類≫≪人間皆兄弟≫へと導いてくれる大事な知恵なんですね。普通は、大人と子どもの関係は、その圧倒的な力の差から、「上下関係」、すなわち、「支配と服従の関係」になりやすいですね。これだと「人間を上下2つに分けるウソ」のドップリでしょ。でもね、≪約束≫があると、子どもも大人も、対等に≪約束≫に忠実であること、対等に≪約束≫に服従することが求められますね。ここが、≪対等な関係≫、≪人間皆兄弟≫に繋がる、ってわけですね。 

 素晴らしいでしょ。

 

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