エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

神様との関係でのウソとゴマカシ

2015-06-23 08:29:45 | アイデンティティの根源

 

 逆説的ですが、能動的に、意識的に、受け身になることを選択する時、心の病から回復するんだと感じます。

 Young Man Luther 『青年ルター』p208の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 ルターの受け身になることの神学は、その心理学とともに、「祈る人の心構え」の神学です。すなわち、神様にだけ話せることに本気になる心構えです。Tibi soli peccavi 、「私が罪を犯した」(旧約聖書「詩編」第50篇6節)のは、人や状況との関係においてではなくて、神様との関係において、私の神様との関係においてだけだ、ということです。

 

 

 

 

 日ごろから神様との関係を知らない人には、ちょっとね、と思うところかもしれません。でもね、日本でも「お天道さまが見てるよ」ということが言われてきましたから、その延長で分かる場合もあるんじゃぁないかしら。つまり、ウソとゴマカシが効かない関係が、神様との関係だということです。「高橋三郎先生の「真」」でも取り上げたところです。ですから、そこで「罪を犯す」ということは、出来ないウソとゴマカシをやっちゃった、ということです。もう、許されるわけがない、と感じざるをえない状況でしょう。その時に神様はどうされるのか? ということです。

 

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急がば、回れ!

2015-06-23 07:54:51 | エリクソンの発達臨床心理

 

 人生で繰り返しはつきもの。問題なのは、螺旋階段を上がっての、建設的な繰り返しなのか?、 それとも、螺旋階段を下っての、破壊的な繰り返しなのか? です。

 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p50の10行目途中から。

 

 

 

 

 

カリスマのイメージや神様のイメージと言えば、青年期に人生を掛ける価値を探したり、成人期に男女が一致したりする文脈においては、最初の「他者」を思い起こさずにはおられません。ブロス(1967)がそのことを、「発達する時には、退行することがありうる」と呼ぶようにね。

 

 

 

 

 

 発達には退行がつきもの。私の考えでは、それは、最初の発達危機の、根源的信頼感と根源的不信感のバランスを、根源的信頼感の方に、さらにウェートを取るようにすることが、いまここでの発達の推進力になるからだ、と感じます。つまり、信頼が豊かであればあるほど、より建設的な発達ができますから、生涯にわたって、信頼感を豊かにするための退行が起こりうる、ということでしょう。

 急がば回れ、ということか。

 

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子どもの日常生活に、「平和」を!!

2015-06-23 06:14:24 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
「愛着障害」のたくさんな子どもたち
  激しい怒りも、活かせば宝!  子どもの頃の作った積み木遊びの音色と、大人になってからついた仕事の音...
 

 

 いまから2年近く前の2013年9月14日(土)に、ETV特集で「トラウマからの解放」という番組が放映されました。「トラウマ」すなわち、「眼には見えない心の傷」、というと、津波や地震、あるいは、戦争や飛行機事故、あるいは、殺人事件などの凶悪事件に巻き込まれた結果、と考える人も多いでしょう。そういう災害や事故は、マスメディアが流す、視覚的なインパクトが強いので、過大評価されがちです。

 しかし、このブログでも以前記しましたように、「今の日本では、大が付く、一回の地震や一回の津波よりも、日常生活の方が、はるかに残酷で、はるかに陰惨で、はるかに人間破壊的」です。

 この番組で、「世界のトラウマ研究をけん引してきた」と紹介された、ボストン大学医学部教授で精神科医の、ヴァン・ダ・コークさんが紹介されています。コークさんはもともとベトナム戦争で心の傷を負った、元兵士の患者の治療と研究から始めたそうです。しかし、次第に、日常生活の中で受ける心の傷の問題の深刻さに気付き、治療と研究の対象としていかれたそうです。アメリカの場合、日常的に受ける心の傷と言えば、家庭内暴力やレイプの被害を受けた、子どもと女性の心の傷の問題が主たる問題であったようです。日本の場合だと、家庭内暴力は少なくないのですが、それよりも圧倒的に多いのが、ネグレクト、すなわち、衣食住は提供していても、親が子どもの目の前から奪われている、ということです。

 心の傷を日常生活の中で受けると、その子どもはどうなるか? コークさんによると、いつも、心の中でサイレンが鳴っているようなもので、不安と緊張を強いられることになるようです。まず第一に、「認知能力が働かなくなる」のだそうです。第二に、「怖い、イライラする、刺激に対して過敏になるといった症状や、身体的な病気にもなる」とのことです。しかし、そのイライラや身体の病気の原因がハッキリしませんから、第三に、「薬物依存症やアルコール依存症になったり、自傷や拒食症など問題行動を取ったり」する場合も少なくないそうです。実に深刻なことですね。

 昨年、日本心理臨床学会大会で公演された、ウェストオンタリオ大学教授で、やはり精神科医のルース・ラニウス教授によれば、日常生活の中で心の傷を負った愛着障害の子どもたちは、うつ、境界性人格障害、摂食障害、依存症など、ありとあらゆる精神科的な病気になりうると、明確に述べていました。いわば、愛着障害は、精神病の総合デパートだ、ということです。

 この番組で、アメリカの「愛着・トラウマセンター」(The Attachment and Trauma Center of Nebraska)が紹介されています。ここは、心の傷を負わされた子どもの治療を主にしているそうで、5年間で1500人以上の子どもの治療をしてきたと紹介されていました。ここの所長で、臨床心理士のデブラ・ウェッセルマンさんが語っています。「心の傷を、子どもの内に治療できるかどうかで、その後の人生を大きく左右すると考えています。心の傷を治療することによって、子どもの心の深いところで変化が起き、癒やしの効果が生まれます。そうすることで、子どもは初めて親を本当に信頼することができるようになるのです。そして、正常に発達し、成長していくようになり、行動も普通になっていくのです。」と。

 秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大さん、名古屋大学の女子大生殺人事件の女子大生、佐世保の女子高生殺人事件の女子高生、いずれも、進学校や有名大学に入る優秀な生徒が、心の温もりを知らず、逆に、子育ての中で繰り返し心の傷を負わされてきた結果の事件であることを、私どもはもっとハッキリと知るべきだと私は考えます。それを考える時、アベシンちゃんが言うように、外へ戦争に出かけている余裕は、微塵もない、と断言します。今の子どもの生活そのものが「戦争」(ベトナム戦争を経験した兵士の心の傷と同等かそれ以上の傷を負わされている)だからです。

 私どもがすべきは、国内の子ども達が巻き込まれている「戦争」に平和をもたらすことであることは、もう明々白々でしょう。

 

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心の病から回復するのは、受け身になる時だけ?

2015-06-22 08:44:50 | アイデンティティの根源

 

 受け身のなることは、女性が赤ちゃんを授かるのと、似ています。

 Young Man Luther 『青年ルター』p207の第3パラグラフ下から4行目途中から。

 

 

 

 

 

しかし、男性が受け身の態度や受け身の感じ方を女性的だと呼ぶのは、男性中心主義の緊張のために、受け身の態度や感じ方を、遠ざけてきたからなんですね。というのも、このような受け身の感じ方は、どんな人間でも、生まれながらに持っているものですし、私どもの、部分的な、あるいは、全体的な働きがよって立つのは、受け身であることと能動的であることを受けとめ受け入れることなんですね。男性的な人の常として、自分はたたき上げだ、という格好をしたがります。あるいは、とにかく、優しい女性から自分が生まれたとは思いたがりません。たくさんな思春期の儀式(アメリカの南西部の、キヴァ[地下聖堂での儀式]からの再生を考えてみてください)は、スピリチュアルな母親から、男性だけが理解できる種類の人間が、新たに生まれることを演劇化するものです。

 

 

 

 

 人間が心の病から回復する時、あるいは、ルターのように宗教的回心を経験する時、それは、スビリチャアルな母親から、自分が新たに生まれ変わることとして経験されます。自分が自分を生み出すのではありません。英語でははっきりしますが、生まれるのは常に受動態、私は命を授かった、I was born.... という訳ですね。

 逆に言うと、受け身のなることなしには、心の病気からの快復も、宗教的な回心も、ない、ということです。

 

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恵みと幸い、その秘密。

2015-06-22 06:57:19 | エリクソンの発達臨床心理

 

 「人間を上下2つにわれるウソ」は、ウチ(内人)とソト(外人)を分けて考えやすい日本人が陥りがちなウソなんですね。

 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p49の最終行から。

 

 

 

 

 

 しかし、ついでに、あらゆる発達が展開する際に、なくてはならない性質を、もう1つ申し上げなくてはなりません。遊び相手をする人たちの範囲が増すにつれて、発達する子どもが、だんだん広範な人々の集団で、新しい役割をするようになるにつれて、最初の2項関係や3項関係にような根源的な人間関係のバターンが、大きくなった後も新しい形で現れるようになる、と言う点です。このことは何も、最初の共生関係にこだわりがあるだとか、退行するだとか、いう印としてふたたび登場すると考えるのが、別に証拠はないけれども、正しい、ということじゃぁないんですね。そうじゃなくて、これは、ライフサイクル・モデルの中での、1つの繰り返しなんですね。その繰り返しとは、(単なる繰り返しではなくて、)より良く成長した発達のレベルでの繰り返しで、しかも、高度なレベルでコントロールする原理と心理社会的なニーズとに見合った繰り返しなんですね。

 

 

 

 

 

 ライフサイクル・モデルにおいては、繰り返しに見えることも、幼児退行だとは、必ずしも見ませんね。退行の場合もあるけれども、人生の中で繰り返されることは、螺旋階段のように、次第に高度なものとなると考える訳ですね。ですから、うまくすれば、根源的信頼感は、その年齢にふさわしい役割のために、根源的で、建設的な役割をなします。逆に、下手をすれば、根源的不信感は、年齢が高くなっても、根源的に、破壊的な役割を繰り返すことになる訳です。

 恵みと幸い、その秘密は、ここにあり。

 

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