新しい時代精神は、良い良心を経て、もともとは悪い良心から生まれるらしい。良かったですね。
Young Man Luther 『青年ルター』p.221の第2パラグラフから。
ルター神学は、未解決の個人的課題を含んでいます。その課題は、神学そのものよりも、精神分析の方が近道です。この未解決の個人的課題がハッキリしてくるのは、人生行路が急に変わって、自分を確かにさせる道が危うくなった時でした。ルターは説教をする者として、伝道する者として自分を確かにする道を手に入れたわけですけどね。いっそう個人的課題がハッキリするのは、中年期の危機のために、心の中に秘めていた自己嫌悪が前面に現れてくる時ですし、詩篇の講義では、うまくバランスを取れたし、それがルターを講義をする者として自分を確かにさせたんですが、反抗するのを死ぬほど我慢できないことが、前面に出てきてしまう時です。
ルターは、悪い良心の塊のような父親のために、子どもの頃から我慢に我慢を重ねてきましたでしょ。憤懣やるかたない激しい怒り、殺したいくらいの憎しみを心深く秘めていたんですね。日常にそんな感情が現われれば、危険極まりないでしょ。ですから、その気持ちを出すのも我慢してたんですね。でも、人生航路が変わったり、人生最大の危機である中年の危機のために、それが表に出る場合があった。危険なお年頃ですね。でも、それは、自分が今まで気付かなかった、自分の課題に気付けるときでもあります。
人を裁きたくなったり、「許せない!」と不機嫌になるのは、その相手に「課題」があるというよりも、あなたの「未解決の個人的課題」のせいです。それには早く気づけて、解決できると良いですね。そうすれば、自ずから悦びが湧いてくるからです。