脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

冤罪みたいな病 「脳脊髄液減少症」 1

2009年06月20日 | つぶやき
最近17年半ぶりに釈放された、
「足利事件」の冤罪被害者Sさんの報道を見ていて
感じたのですが、

本当の冤罪で人生を奪われた方の、
失われた時間や苦痛や受けた心の傷、不名誉な経験とは比べ物になりませんが、

脳脊髄液減少症という病もまた、
小さな「冤罪みたいな」病だと思いました。

冤罪で17年半も服役を強いられていたSさん。

真犯人ではないのに17年半も
犯人扱いされ、服役して、人生の自由を奪われていたなんて、
なんて残酷な話でしょう。

検査結果で犯人だときめつけられ、
17年半もの年月を同時に真犯人を取り逃がしていたなんて、

そしてその真犯人の身代わりで人生をだいなしにされたなんて・・・・

「人生を返してほしい。間違って自分が犯人だとした人たちはあやまってほしい。」
そう冤罪被害者が思うのは当然だと思います・・・。

だって、私ですら、
こんな脳脊髄液減少症という
「冤罪みたいな病」ごときで、シャバにいながら、
何十年も医師にも原因がわからず「気のせい」扱いされ、
ほったらかされ、人生を思うように生きられなかっただけで、

「私の人生を返してほしい!」と今も思ってしまうのですから・・・。

当時、科学警察研究所のDNA鑑定は科学捜査の最先端で
そこで「犯人と同一と思われる」との技官の判断がでれば、

それを、警察も検察も、疑うことなく信じ込んだとしても
しかたがなかったとしても、

病気の検査と同じで、科学的医学的検査が「絶対」だと信じ込み、

その検査結果に頼りすぎると、
「真実が見えなくなってしまう」ことがあるのは

脳脊髄液減少症の見逃しが
過去に起こっていたことと同じだと思いました。

当時のDNA鑑定は、
検査で出たDNAの横線の位置を、犯人のDNAの横線の位置と比べて、
同じだと思うか?否か?を、
「人の目視による判断」にたよっていたそうです。

私たちが今まで信じてきた「科学捜査」の「DNA鑑定」の実態が
当時はそんなレベルのものだったとは・・・。

いまから考えれば、そんな大雑把な検査結果を
「科学的検査にもとづいた確固たる証拠」だとして

社会の人々にまで「絶対だ」と信じられていたこと自体が
一番恐ろしいと思います。

「生身の人間の訴え」よりも
「科学的検査結果の方が絶対」と人々が信じ込みやすのはなぜなのでしょうか?

脳脊髄液減少症患者の多くが
症状を訴えても訴えても医師に信じてもらえず、「方向違いの検査」の「異常なし」の結果だけが信じられ、

患者の訴えはすべて「精神的なもの」だとされる。という経験をしている
と思います。

「生身の患者の訴え」よりも
「医師の指示した検査の結果と、その結果に対する医師の判断の方が正しく、絶対である。」と人々が思い込みやすいのは、

冤罪を生み出す環境とよく似ていると思いました。

人はウソもいうし、思い込みもあるし、精神的なもので身体症状もでるけれど、

「科学的検査はウソもないし、間違いもないし、人の思い込みも精神的な影響も全く入る余地もない」とでも信じられているのでしょうか?

17年以上前のDNA鑑定のように、
科学的検査を実行しているのも、そのデータを読み解くのも、判断するのも

最終的には「人間」であることが
まるで忘れられているように思います。

「検査結果が絶対である。」と頭から信じられてしまうことは、
とても恐ろしいことです。

患者が苦しい症状を訴えても、訴えても、
医学的検査で異常がみつからないために、

「異常なし」「アナタの気のせい」と
切捨てられてきた脳脊髄液減少症患者たちが、
その後どんな人生を送ってきたのか?

もっと患者の声に耳を傾けて知ってほしいと思います。

長期放置されてきた患者さんも、
もっと声をあげてほしいと思います。

科学的検査を絶対視することの危険性は

「精神的な病」と誤解されつづけ、
適切な治療もうけられず30年以上たって、
脳脊髄液減少症と診断された作家の柳澤桂子さんが、
著書で書いておられるような「科学信仰の罪と罰」に
も書かれています。


脳脊髄液減少症患者たちは、
事故からずっと、不定愁訴の症状を訴えるたびに、
検査でその症状を裏付ける原因が見つからないために、

まるで
その人自身のせいのように、責められ続けてきました。

「あなたの訴える症状は医学的にありえない。」

「検査で異常がないのに、いつまでも症状を気にしないように。」

ただでさえ、無実の被害者であるのに、
周囲から救済されるどころか、責められ、

適切な医療に、助けてもらうこともなく、症状に耐えているというのに、

さらに追い討ちをかけるように、

「異常なし」

「症状の原因はあなた自身の問題」、

「あなたの考え方のクセのせい」、

「あなたの性格のせい」、

「あなたが気にしすぎるせい」

「あなたが心のどこかで病気になりたいと願い、そのメリットがあるせい」

「あなたの心がストレスを感じるせい」、

「あなたの生活習慣の乱れのせい」・・・・・・・、


「あなたのせい」

「あなたのせい」・・・・・・・・・・・

延々と、医師や周囲や家族や社会に、


責められ続けるのです。

たとえ、直接、そうはっきりと言葉で責められなくても、
そういう雰囲気は、人の言葉や態度のはしはしに
患者は敏感に感じ取って、まともに
患者として相手にされていないことがわかってしまいます。


私も、今さら
「あなたのせいではなく、真犯人は脳脊髄液減少症でした。」なんてはっきりしても、

今まで私を「あなたのせいだ。」と責め続けた人たちから受けた心の傷
そうやすやすと癒されるわけではありません。

医師にも科学的にも周囲にも家族にも

今さら「核医学検査RI検査で医学的に認められた
れっきとした事故後遺症をかかえた病人だ。」と認めてもらっても、

失った人生も、

失った仕事も、

失った人間関係も、

失った信頼も
もうもどってこないのです。

もしかしたら、
私の心に、心から人を信じる心さえ、完全には戻ってこないかもしれません。
今も、心の底から人を信じることができません。

私の例からも、
交通事故という暴力による「脳脊髄液減少症」が発症しているという現実が
あることは事実ですが、

何も脳脊髄液減少症を引き起こすのは「交通事故」にかぎらないと思うし、
格闘技でも、激しい衝突を伴うスポーツでも、
日常生活に潜む転倒や転落でもどんな「衝撃でも体に加わることで」起こりううると思うのです

さらに、
同じ「脳脊髄液減少症患者」でも、
交通事故など「加害者という相手」がいる場合はより悲惨です。

なぜなら、
本来なら、加害者の負うべき罪を、
被害者が負わされてしまうことがあるからです。

それは、
殺人現場にたまたま居合わせてしまった、
自分も犯人によって傷を負わされている何の罪もない一人の被害者が、

怪我は自作自演の狂言であると思われて、
「真犯人はあなただ。」と犯人にされてしまうようなおそろしさです。

自分のせいではないのに、
加害者行為である交通事故の「業務上過失傷害」という罪を
被害者が背負わされるようなものです。

見えない怪我による「脳精髄液減少症という事故後遺症」を、負ったために、

あたかも、その怪我の原因が被害者自身が原因で起こったかのように、
「精神的な病」や「何らかのメリット」のために、
「そのような症状」が出ているかのように
原因と結果をすりかえられてしまうことがあるのです。

まるで、「保険金めあての詐欺師のように」
病を演じているかのような、犯罪者のように扱われたりして、

被害者なのに、まともに治療も補償もされないばかりか、
まともに
医師から病人として扱われなかったり、

周囲からも、医師からも、保険会社からも、

時には職場や家族からも「あなた自身のせいでは?」と責められ続け、
人格までも疑われるという、

あまりにむごい仕打ちにあっている
交通事故被害者もいると思うのです。・・・。

今もなお、勉強不足の医師や、

患者の声に耳を傾けないガンコな否定派医師の皆様たちには
脳脊髄液減少症の症状が誤解され、信じてもらえないのに、

「脳脊髄液減少症」の病の概念がなかった時代の
交通事故被害者は今の交通事故被害者よりさらに悲惨だったと思います。

私は当時は交通事故で見えない怪我を負い、
脳脊髄液漏れを起こしていても、

今思うと幸いなことに、まだまだ「最悪の症状」はではなかったために、
ありふれた不定愁訴の範囲でなんとか耐えられ、

何の根本治療もされないまま、数年前に気づくまでの間生き延びることができたのだと思います。

当時もし、あの激悪化後のような
世にも恐ろしい最悪の状態の脳脊髄液減少症の症状がでていたなら、
とうてい今まで、治療もされないまま生き残れるはずもなく、

自分の苦しみの真相も知らないまま、
今頃は、この世にいなかったと思います。

だから、
本人もしらないうちに、脳脊髄液減少症に死に追いやられた事故被害者も大勢いたと想像します。

脳脊髄液減少症によって殺されても、
真犯人である、脳脊髄液減少症という原因は誰にもしられず、

真相は闇に葬られたまま、
当時どんな症状に苦しんでいたか、誰にも知られることもなかったのです。

私も数年前の激悪化のような状態にならなければ、
肩こりだの、めまいだの、首の痛みだの、だるさだの、
「原因不明」の不定愁訴を抱えながら、「ドクターショッピング患者」と
医師たちに嫌われながら、病院めぐりを余儀なくされ、

そのたびに
気のせいだの、うつ病だの、自律神経失調症だの、精神的な病のせいだの、
と医師にも誤解され続け、本人もまた、そう思い込んでしまって、
根本療法には程遠い、薬づけになり、よけいおかしくなり、

今もなお、「脳脊髄液減少症」という真犯人には
気づくことができなかったかもしれません。

ただでさえ、
見た目に反して、
きつい状況に追い込まれて、生きる体力が奪われているのに、

その表現しがたい症状は、
身体症状も精神症状も非常に言葉で表現しにくく、

さらに、高次脳機能障害や
体の症状のキツサで、
それを言葉や文字で伝えようとする能力も、気力も奪われています。

この苦しみをどう表現していいかわからない、
たとえやっと表現しても誰にも信じてもらえない、わかってもらえない、

こんな状態にあって、
正当な補償もうけられず、治療費ももらえず、
医療人に病人として相手にされず、
病人と診断されなければ、周囲の誰にも理解もされず、

症状は耐えがたく、働けなくなり、
絶望の中で死んでいった、多くの交通事故での脳脊髄液減少症患者が
いたと想像します。

「脳脊髄液減少症」という病名がある今も、

やっと、脳脊髄液減少症かも?と気づいても、
近くに診断治療できる医師もいず、
近所の無理解な医師には冷笑され、

遠くの専門医は予約待ちで、

その間、一刻も早く治療してもらいたいのに苦痛にじっと耐え
待たなければならず、
「こんな苦しみから早く死んでのがれたい」と
思うほどに追い詰められる、
こんな脳脊髄液減少症患者が今もなお現実に存在しているはずです。

これは、
ただでさえ他人の暴力により傷を負った被害者が
無理解な社会や医学界や周囲から、

さらに「これでもか、これでもか」と
精神的集団リンチにあっているようなものです。

何の罪もない事故被害者が、
誰も助けてくれない状況の中で、無理解、無支援、無治療という絶望の中で、

症状の耐え難さに孤独に死んでいくしかないような状況に
追い詰められていくようなことだけは、
今後は絶対に繰り返してはなりません。

「脳脊髄液減少症」という
不定愁訴の原因病である「真犯人」がいたのに、

「脳脊髄液減少症」という真犯人は存在していたのに、見逃されて、症状が治らず、長引く原因は
「あなた自身のせいだ」と患者が責めつづけられるような過去のあやまちだけは、

今後は絶対に繰り返してはなりません

タバコを吸い続けて「肺がん」や「SOPD(慢性閉塞性肺疾患)」になった患者さんや、
アルコールを飲みすぎて「肝硬変」になった患者さんが、

「あなたのせい、あなたのせい」といつまでもいつまでも、
周囲や医師から責められるでしょうか?

「肺がん」「CPOD」「肝硬変」と病名がつけば、もう責められることもなく、

本人にまったく不摂生も落ち度もなくて病になってしまった患者さんと同じに扱われ、
「病人」として認められ、
手厚く暖かく医療に対応してもらえるのではないでしょうか?

それなのに、なぜ、
交通事故での被害者としての、脳脊髄液減少症患者は

自分では病になる原因はなにひとつ自分で作っていないのに、

「あなたのせい、あなたのせい」と延々と責められ続け、

症状も信じてもらえず、
まとも病人として扱ってもらえず、

症状を訴えればうったえるほど、時には嘲笑され、馬鹿にされ、
真剣に助けてもらえならなかったのでしょうか?

それは「脳脊髄液減少症」という病態が
「この世に存在しないもの」として信じられ、

「患者の訴えの方を軽視され」真相が見逃され続けてきたからに他なりません。

「脳脊髄液漏れ」「脳脊髄液の減少」という病態は当時も確かに存在していたのに、「病名」が医学の教科書にのってなかったというだけで、

あたかも、「この世には存在しない病態」であるかのように扱われてきたせいです。

人間の把握しうる病なんて、医学の教科書に載っている病なんて、
人の病のうちの、ごくごく一部にすぎないのに、

そのことをまるで忘れてしまっているようです。

そして、医師の間に、
「医学的にありえない症状を訴える、教科書にない症状をうったえる、
検査で裏づけのとれない症状を訴える、患者のほうがあやしい」という
発想が多くの医師の心の根底にいつもあったからだと思います。

交通事故の後遺症、脳脊髄液減少症、という真犯人が別にいたのに

「真犯人」に代わって
何の罪もない無実の人が責められ、犯人扱いされるという点では、

脳脊髄液減少症患者は
まるで小さな小さな「冤罪」を背負おわされた
冤罪被害者のようです。

このように、脳脊髄液減少症は患者の人権まで侵す恐ろしい病です。

このようなむごい仕打ちをうける交通事故被害者も、

本当の「冤罪被害者」も
今後は二度と出してはならないと思います。

そのためには、ひとつの検査結果を鵜呑みにすることなく、

多方面の複数の視点から検証して、真実を見逃さないことと、

間違ったかも?と思ったら、早めに勇気をもって原点にたちかえり、

今一度別の視点で
検証しなおすことが必要だと思います。


これは警察や検察や司法関係の皆様に限らず、

医師の「患者を診る姿勢」においても、お願いしたいことです。

医師はどうしても、
「自分の専門分野からの視点のみでしか患者を診ない」傾向にありますから、

人は心も体も脳でつながっていることを忘れずに、
人間まるごと診る、
全人間的視点も医師は常に持っていただきたいと思います。

脳脊髄液減少症の場合も
本当の冤罪の場合も、

どうして過去にそのような
「罪もない人を苦しめるような事態」がおこったのか?

過去の過ちから目をそらすことなく、
勇気を持って真実を直視し、

きちんと検証してほしいと思います。

そして、何を見落とし、何を思い違い、

どうして真実と違うことを真実だと思い込んで、判断を誤り、
罪もない人たちを苦しめたか?を

きちんと過去から学び
今後に生かすことは絶対に必要だと思います。


私自身の、この「小さな冤罪みたいな脳脊髄液減少症という事故後遺症」で経験した、
誤解され続け周囲に責められ続けたつらさと、
失った人生の悔しさから考えても、

本当の冤罪で、犯人扱いされて、

刑務所に17年半もいた被害者の胸のうちは
どれほどのものか、想像もできません。

Sさんを犯人だと思って憎み続けてきた被害者遺族も
今まで犯人だと思い込んでいた人が別人で、

いまだに真犯人がわからず、時効を迎えてしまっているなんて、
遺族も冤罪の被害者だと思います。

冤罪被害者の皆様には、
今後の人生は、せめておだやかにと願わずにはいられません。


「真実を見逃して、真実と違うことを真実だと思い込む」、

「真犯人ではない無実の人を罪人だと思い込んで責め続ける。」

このようなことは、

犯罪捜査の世界でも、

医学の世界でも、

今後は絶対に起こらないようにしっかりと過去に学んで

対策をたてて

未然に防いでいただきたいと思います。




追加

精神科や心療内科の先生が脳脊髄液減少症に理解を示してくださらなければ
多彩な不定愁訴やパニック症状や、うつや、社会不安障害などの
精神症状にも潜んでいる可能性のある、

脳脊髄液減少症患者の早期発見は難しいと思います。

さらに、
脳脊髄液減少症は、
婦人科、耳鼻科、整形外科、神経内科、泌尿器科、小児科、内分泌科
などなど、
すべての診療科にかかわる症状がでるため、

すべての診療科の医師が、医学部でも教えていない、
脳脊髄液減少症の症状を自ら患者の声を真摯に聞いて、頭にたたきこみ、
パイオニアの医師たちの本から深く学んで、

常に新しい情報と知識を仕入れ、

脳脊髄液減少症患者の早期発見にご協力いただきたいと願っています。


ろくろさんのブログからの情報です。

東奥日報

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