散歩途中の光景。
音符みたい。
小学生の時、父が瓢箪を植えたので、こんな風に乾した記憶がある。
懐かしい♪
さて、時間が空いてしまいましたが、お芝居の続き。
9月6日 木下歌舞伎「勧進帳」 東京芸術劇場シアターイースト
久しぶりの池袋。以前来たのはコロナ前。
感じの良いイタリアンを見つけ友人と軽く食事。
暑かったので、ついスパークリングワインを頼んでしまった。
眠くならないといいのだけれど・・・
古典を現代の視点でリフレーミングする木の下歌舞伎はこの名作歌舞伎「勧進帳を(関=境界)の物語としてさらに大胆に深く読み直しました。
支配と服従、更にジェンダーや格差など現代においても様々な〈境界〉が存在します。
木の下歌舞伎「勧進帳」ではそうした〈境界〉による対立から共存への道を探るという大きな物語を描き出し、古典の普遍性を改めて現代に示した傑作。
(チラシより)
つかこうへい、蜷川幸雄が亡くなったあと、刺激を受ける舞台が(私にとってはですが)、グンと少なくなってしまっていた。
木の下歌舞伎を主宰する木下祐一は、今年38歳。
テレビの古典芸能の番組で、何か忘れたが古典の作品を解説しており、
その深い解釈に驚き、一度舞台を見てみたいと思った。
ちょうど都民半額舞台鑑賞の募集があり、応募したら当選した。
ラッキー!!
シアターイーストの舞台は少し変わっていて、細長い舞台の両側から見る。
定員も300人、舞台がより身近に感じられる。
全員の黒一色の衣装。舞台装置は無し。
舞台が近いのと、照明が上手なため演者の表情がはっきり見える。
弁慶はリー5世(巨体の白人)、義経は高山のえみ(トランスジェンダー・元男性)、
富樫は坂口涼太郎(朝ドラ・らんまんで親戚のボンボン役)
異質の3人の組み合わせが、より3人の立場の違いを明確にしていく。
この3人以外の4人は富樫の家来になったり、義経の従者になったり変幻自在。
いろいろチラシには難しい事が書いてありますが、
私の単純な解釈では、富樫は中間管理職として部下の不平不満を受け止めきれず、うっぷんを募らせていく。
そこに現れた義経一行。
義経を捕らえるという役目を自覚しながらも、
自分達にはない主従の一体感に憧れを募らせていく。
この辺の富樫の葛藤が鮮やかに表現され、見ごたえがあった。
最後には義経一行と知りながらも、応援する立場となる。
「オレの鬱屈を晴らしてくれ!!」
富樫には義経一行の旅立ちが爽やかに映る。(勿論人それぞれの解釈がありそう)
富樫の苦悩と、義経の静けさ、弁慶の一本気な力強さ、
全員の一瞬の感情を切り取る鋭い演技。
坂口涼太郎の舞台は初めて見たが、良かった。
高山のえみも。リー5世も。
個性のぶつかり合いの芝居であり、心に残る舞台だった。
木の下歌舞伎のファンになった。
8月28日 劇団文化座「旅立つ家族」埼玉会館にて
三多摩演劇を見る会
まさか、三多摩演劇を見る会の公演で
スタンディングオベーションと鳴りやまぬ拍手を経験するとは!!
韓国の国民的画家イソンジュプ
その鮮烈な生
時代と国境を越えた足と家族の物語。
日韓併合の時代、朝鮮北部に生まれ、日本に留学。
日本で知り合った方子と故郷で結婚。
幸せは続かず、戦後は朝鮮戦争が勃発、故郷を脱出。
釜山から済州島へ逃げるが、貧困の中、健康を害して方子と子供たちは日本へ帰る。
イソンジュプは画家として苦難の道を歩み生涯家族を愛したが、方子と再び暮す事無く若くして生涯を閉じる。
エネルギッシュな牛が舞台を踊りまわり、歌ありダンスありで、独創的な舞台に引き込まれた。
主役・藤原章寛さんのダイナミックな演技に感動。
絵が認められそうになるも、当局の横やりで希望が潰される。
絶望に次ぐ絶望、最後は孤独に病死する。
朝鮮と日本、かなわぬ再会、それでも二人の愛は変らず、
最後に年老いた方子が、イソンジュブの絵を一枚一枚見ていく場面が涙を誘った。
韓国にこのような画家がいたのを初めて知った。実際に絵を見てみたい。
韓国の歴史的な苦悩も初めてこの演劇で身近に感じた。
9月30日 劇団俳優座公演「雉はじめて鳴く」立川RISURUホール
ストーリーに工夫があり、笑いもあり、役者さんも上手だけれど、
敢えて感想はナシです。