気まぐれ日記☆着物の小部屋

2007年耳下腺癌の手術で顔が変わり、生活が一転。街歩きと着物と芝居のブログをどうぞ宜しく♪

キスリング展・昭和記念公園

2007-11-22 11:19:24 | その他
 大分歩けるようになってきた。


近所のスーパーぐらいは一人でOK!

でも動き始めたら、食べているのに更に体重が減り、

去年の今頃に比べると5キロ減。

体重計・KaradaScanで計ると、色々なデータが出てくるが、

ナント今体年齢50歳

でもね、喜んではいけないのです。

娘に言わせると、私の年齢の場合は体重が減っただけで、

体年齢が若返るそう。

(ちなみにこの体重計は娘から父親へのお誕生日プレゼント!
  父親のメタポを心配して)

現に、筋肉率は18パーセントとかなり低い。

今私の体は、骨と脂肪がメインで出来ているらしい

徐々に力をつけないといけないですね。

このままではフニャフニャになりそう。



 お出掛け好きの私の気が晴れるよう、毎週日曜日夫が連れ出してくれる。

週1回でも連れ出せば、平日ヨタヨタと

一人で出かけてしまうこともなかろうとの親心。・・・いや夫心。

フフッ!でもね。12月にはいれば夫の監視付きでなくとも、

出かけられそう

フフフッ!楽しくなってきたぞ






11月11日、府中美術館、キスリング展。

白い陶器のような肌、哀愁をおびた大きなまなざし。

そんな女性たちの肖像が有名。

退院して1週間目だったので、夫に支えられ、休み休み鑑賞、さすがに疲れた。

喫茶室から見た秋の風景がよかった。






11月18日立川・昭和記念公園へ紅葉を見に行く。






疲れないように入園してすぐに循環レール無しトレインに乗り、

日本庭園へ。






買ってきた豆狸のおいなりさんで昼食。

またトレインに乗って、帰った。

極力体力を使わずに秋を楽しんだ。



体力が回復してきたせいか、

入院シリーズがしんどくなってきた。

でもあと1回は書きたいな


コメント (10)
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病院シリーズ Ⅰ 問視触聞

2007-11-17 14:10:45 | 病気・後遺症
 下まぶたの内側も縫っている様で、
まだ左目がゴロゴロしています。
皆さんのブログ、ゆっくり拝見できなくて残念


 一昨日の日経新聞、1面のコラムに「問視触聞」と言う言葉が出ていました。

内容は・・・
最近顔も見ず、体に触れもせず、検査結果のデータと
にらめっこしている若い医師が多くなっている。
医師も患者も忙しい昨今、時間をかけて問診、視診、触診、聴診のは
難しいかもしれない。
ただ、私たちは心を持った生き物である。
話しかけられ、見られ、触られ、聴いてもらうことで
癒される人も多いのではないだろうか。

 同感です
私自身デリケートな顔の問題を抱え、
医師たちがおざなりな対応だったら、
きっと、心の傷を抱えてしまい、
こんなに明るくは暮らせなかったでしょう。
誠実な対応をして下さった先生方に感謝の念が湧いてきます。



<対応その1>
 2月に入院し手術方法、後遺症などの説明を受け、全て納得したが、
どうしても顔左側が顔面麻痺で永遠に失われることが悲しく、
手術の前前日病室で先生に食い下がった


私「仕事をするには顔が命なんです!何とかなりませんか!!
  神経切らずに出来ませんか?」

先生「説明のとおり、切らないと手術が出来ません。
   顔の再建には動的再建(神経移植が出来る)と静的再建があり、
   ☆銀河☆さんは動的再建は出来ない。残念ですが・・・」とキッパリ。

でも・・・泣きはしないがまだもやもやしていた。
数時間後・・・・
先生が一緒に手術に関わる、同じグループの先輩医師を連れてきた。
耳の裏に出てきている腫瘍の部分に触れ、

  「この真下に神経の束があるので、切らないと手術ができない」

とこれまたキッパリと断言。そばで担当の先生が頷いていた。
担当の先生は私が聞いた時キッパリ駄目と断言していたので、
それでお終いかと思っていたのだが、
仲間の先生を連れてきて再度確かめてくださるなんて感激した
私を穏やかに納得させるためだったのか、
先生自身がほかに方法がないのか確認したかったのかは不明だが、
私の問いかけに対し、誠実に考えて対処して下さっているのがよくわかった


 これで色々あきらめもつき、
これからは今までと違う人生になるだろう事を納得して手術に臨む事ができた。
納得して手術したのと、もやもやを抱えて手術したのでは
ずいぶん違ったと思う。


<対応その2>
 手術後3ヶ月位してから「そろそろ形成の先生に見てもらいましょう」
ということになった。

初めての形成外科の診察のとき、
担当医師は今までの実例写真を沢山見せ、
「あなたも黙っていれば、普通に見える程度に治せます」と断言した。
私にとっては救いの言葉だった
 
そして、「顔は大事です。病気は病巣が取れればいいというものではない。
病気をして命を救われた人にも、顔を治す権利がある!」と言われた。
この先生、顔を失った者の気持ちがよくわかっている。
嬉しかった。
病気が治ったのを良しとして、顔はあきらめようと
自分自身を納得させていたが、
全てこの先生にお任せしようと思った。


<その3>
 今週15日の水曜日は退院後初めての形成外科の診察だった。
まだまだ顔は腫れている。
先生私の顔をじっと見て、

先生「ん~ん!惜しい、あと1cm!!」 と言いながら

   私の左側の口元を触り、引っ張り上げた。

私「先生これで私充分満足な顔ですよ」

先生「形成外科の医者としては、完璧を目指すものなんです。惜しい!」

そして
先生「私の技量が足りなかったなぁ~。すみませんでした。
   でも腫れが引くともっとよくなりますよ。
   楽しみですね。」 とおっしゃった。

先生も職人さんなんですね。
常にベストを追求している。
そんな先生の手術していただいてとても感謝しています。



 ほかにもいろいろな場面で自分自身が救われていたのを思い出します。
医師たちの対応が悪かったなら今の明るさはないでしょう。
顔が曲がった状態であっても積極的に活動できたのは、
心に傷を負わせないための医師たちの配慮の賜物と思っています。


この項続く・・・・
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退院しました♪ Ⅱ秘蔵写真

2007-11-11 22:51:08 | 病気・後遺症
 どうしようか迷ったのですが、
手術内容を図解しましたので見てください。

あまりに凄い経験をしてしまったので
説明したくて説明したくてうずうずしてます。

多少悪趣味で、ごめんなさい。
先に謝ってしまいます









ジャ~ン
  1枚目 普通の顔、左右対称です。




2枚目 2月の手術です。
   左側の耳下腺を取り、左の神経をすべて切ったため、顔が非対称になる。
   (図は間違えて右側を患側に書いてしまいましたが、
    実際は左側です)
    左側が垂れ下がってしまうのですね。
    鼻も口も曲がってしまいました。
    瘤はお腹の筋肉を移植しています。脂肪もそのままつけてあります。
    このとき顔の形成もしていますが、内容は省略。

   




3枚目 今回の手術です。
     瘤の中の脂肪を取り、平らに縫い直す。
     このときケロイド状になってしまった縫い目も綺麗に取る。
     脂肪を抜いたあとの余った皮膚を畳んで、耳を作る。
     これが一番難しかったそうです。
     垂れ下がった左側を吊り上げる。
     太ももから腱をとり、
     それをワイヤにして、口の周囲、頬、下まぶたを吊り上げる。
     赤は吊り上げ部分、点々は切った部分。
     跡が残らないよう特殊な縫い方をしているそうだ。

 結構大掛かりでした。
最初、口が開かなくて、バナナも5ミリ厚さに切って食べてました。
最初の頃、話すときはギギギ~って感じがしました。

 気分が悪くなったらごめんなさい。
でもあまりにも不思議な経験をしたので、
こんなこともあるのかと人生の知恵にしてください。
(役に立つかどうかは不明ですが・・・)

 今回太ももから腱を取ったので、まだまだ足が不自由で、
階段に苦労している高齢者の気持ちがとてもよくわかるようになりました。
前回今回の、切って、貼って、縫った部分の総長さは、
1.1~1.2mにもなります。
今の医療の技術は凄いです。

 あ~~~ぁ
とうとう私の秘密をばらしてしまいました

 見たくないのに見てしまった方、
本当にごめんなさい

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退院しました♪ Ⅰ

2007-11-09 13:07:08 | 病気・後遺症
 お待たせしました
ブログ再開です

 11月4日に退院していたのですが、なかなか落ち着かなくって
今日になってしまいました。

 手術成功
元どおりの顔ではありませんが、人の幸福は「足るを知る」ことが
重要と思っています。
ギョッとして振り向かれることがなくなっただけでもとても嬉しいです。


 この期間、手紙、電話、メールなどで励ましてくださった方々に
感謝しています。
そしてブログ上で知り合った方々、いつも書き込んでくださるbonjiさん、
最初に知り合ったいなこさん、同病を経験したshigekoさん、そして
うさママさん、トーワドーさん、beromamaさん、とても感謝しています。
耳下腺ガンの治療を受け、2月末に退院したときには、
まさかあの状態から、新しい友人たちが次々現われてくるとは
思っていませんでした
 今までの人生、結構思い通りにやってきたので、
それで我慢しようと、殊勝にも思っていました。
沢山思い出があるからいいよね~~って。

 でも開けてくるものです。
人生思いがけないことが次々あり、楽しいですね。


 病気になると、普通の生活がいかに大切であったか思い知らされます。
そして、アタリマエなのですが、人は一人で生きているのではなく、
皆に生かされているのを痛感します。
 大阪の友人のように、生きたくても生きられない人が沢山いる中、
幸運にも病気が完治した私。
日々を大切に生きなければバチが当たりそうですね。





 病院の11階から見た朝日。
腫れた顔で、足を引きずりながら見に行ったが、
雲があって駄目。・・・・残念!




 病室からの景色。国際展示場とモノレール・ゆりかもめの線路。




 夕方の景色。
斜めの光はエスカレーター。
その下の薄い光の列はゆりかもめの電車が通り過ぎるところ。
宇宙ステーションみたいでしょ?


 病院生活も飽きずに結構楽しんでました
これで痛みさえなければ最高!!!


次回に続く・・・・

コメント (6)
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