気まぐれ日記☆着物の小部屋

2007年耳下腺癌の手術で顔が変わり、生活が一転。街歩きと着物と芝居のブログをどうぞ宜しく♪

中抜き東海道歩き 草津宿 近江八幡

2019-08-27 12:32:30 | 東海道だらだら歩き

3日目 7月23日 

 午前中は東海道と中山道と東海道の分かれ道、草津宿でノンビリ。

午後は近江八幡を観光。

午前中は天気が良かったが、午後は急に雨が降ったりで、天候が不安定。

雨が降らなかった一日目に、三条大橋到着という大事業を成し遂げ、本当に良かった

 

 草津宿、東海道歩きのおまけ気分で立ち寄ったけれど、意外と見どころがあった。

 

追分道標

 草津駅から中山道沿いにしばらく歩くと立派な追分道標がある。

文化13年建立(1816年)

「右東海道いせ道 左中仙道美のぢ」と刻まれている。

諸国定飛脚問屋が寄進したもの。

この道標を見て、やっとここまで着いた!と安堵する旅人の姿が見えるよう。

       

前が歩道のない道路で、ここで最後の記念写真を撮りたかったが、なかなか撮れない。

 

草津宿本陣跡・田中本陣跡(国指定史跡)

 当時のままの姿で残っている本陣は珍しいそうだ。

シーボルト、浅野内匠頭、吉良上野介、皇女和宮、徳川慶喜、などの有名人が宿泊した。

規模も大きく、国指定史跡となっている。

 

 

       

長い畳廊下。

上段の間。大名などの主客の部屋。本陣の中で最も格式が高い。

このほかに湯殿、台所土間、従者の部屋、厠などすべて残っている。

本陣巡りのアンケートを記入しながら見学すると、最後にこんなファイルを貰った。

草津宿付近の宿が書いてあり、良い記念になるわ~

 

         

脇本陣がいくつかあり、ここはコーヒーショップにリフォーム。

和布を売る店もあり、綿絽の藍染の反物を2000円で売っていた。

心が揺れたが、もう浴衣は作らないと決めているので買わなかった。

でも、今になって買っておけばよかったと後悔している。洋服にしたら素敵だったろうなぁ~

 

マンホールの蓋

 綺麗な蓋がいろいろ見つかる。

 

青花はこの地域の特産らしい。

これが実物の花。友禅などの下絵を描く時に使う。

私も布に絵を描く時に、青花がサインペンのように書きやすくなっている物を使っていた。

草津宿のシンボル、追分道標ですね。

 

お店を冷かしながら、草津宿街道交流館へ

ここが面白くて、ずっと居ついてしまった。浮世絵すり体験コーナー、旅人の姿に変身できるコーナー、

情報コーナー、

何でも面白がる3人、浮世絵すり体験に挑戦。

インクが薄いけれどこんなのが出来ました。

真ん中はマンホールカード。そうそう、こんな蓋ありましたね

噂に聞いていたマンホールカードを貰った。実物を見るのは初めて。

ダムカードは有名だけどね~。

帰宅後しばらくして、若い仲間がlineで草津宿が2種類目のマンホールカードを出したのを知らせてきた。

草津宿はマンホールの蓋に力を入れているみたい(笑)

    

やっと撮れました 帰りに東海道最後の記念写真

ランチは草津ですっきりと冷えたそばセット。

体温が上昇していたので美味しい事!

 

午後は近江八幡へ。

 隊長はバス利用、若手(?)二人組は自転車で周遊。

私は一度行ったことがあるので、簡単に。

八幡小学校。 魅力的な外観だけれど、現役なようで、中には入れない。

 

昔日の面影をそのまま残す街です。

郷土資料館、西川家住宅、ヴォーリスの洋風住宅街、旧八幡郵便局、日牟礼八幡宮などを巡った。

途中別行動していた隊長と郵便局で出会って、再会を喜んだり、また分かれて駅で集合したり。

帰りの新幹線まで時間があるので、草津で軽く軽食。

7時過ぎの新幹線で帰った。

 

草津交流館で買った三条大橋の広重の絵葉書。 

これで日本橋出発と三条大橋到着の絵葉書が揃った。

 

 

 

 今回のブログのタイトルを「中抜き東海道」にするつもりと、若い仲間に話したら、

「いいですね~」それなら「よりぬき〇〇街道歩きとか、ナンチャッテ〇〇街道歩き」もありですね~という返事。

 

そうです。より抜き中山道とか、一日のみのナンチャッテ日光街道歩きも出来ますね。

ますます自由な街道歩きが出来ると思うと楽しくなってきた。

 

 この刺激的な街道歩き、アイディア豊富で行動的な仲間に恵まれていたからこそだと皆に感謝しています。

今この仲間で甲州街道を歩いています。

殆どブログに書いていないので、またいつかまとめて書きますね。

 

東海道だらだら歩き終了 

 

 夏の贈り物 

     

福島の友人から美味しい桃を頂きました。

秋田の友人からは栗駒高原の乳製品。

今年の夏は家にいる事が多かったので、食べ物や飲み物がとっても嬉しい。

どちらも美味しくいただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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中抜き東海道歩き 2日目 姫路城、祇園祭宵宵宮

2019-08-22 21:25:10 | 東海道だらだら歩き

 朝起きると雨。

眼下は琵琶湖という景色の良いホテルなのに何も見えない。

 

 7月22日の2日目は自由行動

3人ともばらばらに行動します。

若い仲間は坂本から比叡山に行くと言って、早めに出発。

年上の仲間(隊長)は三十三間堂の風神雷神象の配置が変わったので見に行くとの事。

私は2日目が東海道歩きと思い、自由行動は京都の小さな美術館巡り(三年坂美術館や並河靖之七宝記念館や陶板名画の庭)

と買い物(柘植の専門店で髪留め)と決めていた。

けれど2日目が月曜に当たってしまい、どこも休館。

それなら三十三間堂に行き、その後は祇園祭の山鉾でも見ようかしらと大津駅へ。

京都に行く・・・・・はずだった。

 

9時ごろの急行の行き先に「姫路行」とあった。

仲間が何気なく「姫路まで行くのね」とつぶやいた瞬間、閃いた。

姫路城見たことない 私は姫路に行く

自由行動の旅って気が楽ですね。気が変わっても十分対応できる

 

1時間45分で姫路到着。

姫路城まではバス。
 

姫路城は慶長年間(安土桃山時代と江戸時代をまたぐ時代)

に建てられ、日本独自の城郭建築の技術が最高の時に建てられた城。

国宝であり、日本で初めての世界遺産として登録されている。

白漆喰で固められた優美な姿は飛び立つ白鷺に例えられ、白鷺城とも呼ばれている。

近年改修を終え、一層美しく生まれ変わった。

姫路城は大天守と小天守の連立式店主が完全な姿で残され、幾重にも重なる屋根、破風飾りなど華やかな構成美を誇る。

 

随分前のテレビのドキュメント番組で、復員兵が戦火の中で生き延びた姫路城の姿を見て涙を流して喜び、

生きる力を貰ったと言っていた。印象的な言葉だった。

 

この後は写真をどうぞ

        

 

 

天守閣内部

 

最上階には小さな神社がある。

今までいろいろな城の天守閣に登ったが、けた違いの大きさとに驚いた。

戦いに備えると言う用途のため、内部は武骨だが細かな配慮のもとに作られ、

それに反し、外部には繊細な手仕事が見られる。

外人観光客が多かった。

 

 

窓からの景色


 
 
 

   

破風飾りが美しい。

   

しゃちほこの下の漆喰には模様と菊模様の丸い飾り瓦が埋め込まれている。

百間長屋と呼ばれる建物。城に勤務する人達の宿舎。

延々と長い。戦いのときにはこの建物も要塞の一部となるように設計されている。

 

姫路城の隣の庭園・好古園も見学

         

   

やっとお昼。 おそばとあなご丼のセット。

広大な姫路城を歩き回ったので疲れ、一休み。

 

 

4時頃の急行に乗った。

5時に3人で連絡を取り合う約束をしていた。

若い方から連絡があり、もうホテルに帰っているそうだ。

すぐに隊長も帰ってきた。

隊長は祇園祭の山鉾を見たそうだ。

次の停車駅は京都。私は山鉾をどうしても見たくなり、どこで見たのかメールで尋ねた。

返事がないので若い仲間にもlineして聞いてもらった。

隊長がシャワーを浴びているところを聞いてくれたそうだ。

そんな状況とは知らず、強引でごめんなさい。

おかげで京都駅到着に間に合った

 

ここからは祇園祭の話です。(クリックすると祇園祭の説明)

ブログアップに疲れてしまったので簡単にです。

21日は24日の後祭りの宵宵山(後祭りのよいよいやま)の日。

祇園祭には先祭り(17日)と後祭りがあり(24日)、21日は引き回しの山鉾が町内で披露されている。

もう暗くなってしまったので写真は上手く撮れなかったが、飾られた10台の山鉾の内8台は見ることが出来た。

大船鉾、この鉾は後祭りのしんがりを務める。

コンチキチンの音が聞こえた。 
 
 

南観音山鉾。 建物の2階からはしごをかけ、中に入る。

時間が早ければ見物客も入れたそうだ。

    

                                  

正面。

 

それぞれの鉾のそばには ご会所が設けられ、ここで手ぬぐいや玄関飾りのちまきも買うことが出来る。

ちまきは食べ物ではなく藁で作られ、厄除け災難よけのお守り。

山科付近の民家にも京都の民家にも玄関に飾られていた。

右は2階を開放し、ペルシャ絨毯を飾っている家。

町屋の表を開放し、内部を見せている家も沢山あった。

 

流石に疲れ、早く帰りたくなり、一度食べたかったビーフカツサンドと卵サンド、ビールを買って

ホテルに帰った。(この卵焼きの厚さにびっくり!!)

雨が降ったり止んだりの日でしたが、今日一日のそれぞれの旅の報告会、話が弾み楽しかったです。

こんな自由な旅もいいですね。

      
 
 
 
 
 

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中抜き「東海道歩き」 京都三条大橋到着!

2019-08-11 23:14:27 | 東海道だらだら歩き

 8月上旬は、夏バテと サングラス無しで外に出てしまったら目がショボショボになってしまい、

PCも開かず家に閉じこもってました。

 活動再開は横須賀美術館。

久々にミニ旅をしたら、何だかエネルギーが湧いてきて、前々回のブログ「大津にて」の続きをやっと書く気になりました。

新鮮で刺激的な旅でしたよ。

 

7月21日から23日の2泊3日、大津宿泊の目的は・・・・・

東海道五十三次歩きの終点に到着する事!!

 一昨年、私達の東海道歩きは三島に到着した時点で終了。(下線クリックで三島到着のブログへ)

でも、でも、三条大橋到着!!という気分をどうしても味わってみたい

完歩という望みは叶えられなかったけれど 終点までどうしても行ってみたいと言うのが3人の希望。

図々しいと思われるでしょうが、日本橋という始まりがあれば終わりもキッチリ三条大橋でカタをつけたかった。

お仕事の方もいるのでなかなか日程が合わず、延び延びになってしまったけれど彼女の夏休みに合わせやっと決行!!

今、一仕事終えた気分、課題を果たして爽快

たとえ東海道全踏破でなく、中抜き東海道歩きであっても(笑)

 

大分時間が経ってしまったので忘れた部分も多いのですがご容赦。

 

7月21日 6時55分品川発の新幹線で米原へ。

乗り換えて大津へ。大津のロッカーに荷物を預け山科へ。

    

11時過ぎにいざ出発

 

山科は忠臣蔵の大石内蔵助が仇討前に隠棲していた所。

何か忠臣蔵関係があるかと期待したが、当時を偲ぶものは東海道を示す看板以外何もなし。

(駅の北1キロの所に、内蔵助が建てた主君浅野内匠頭の供養墓と義士供養塔があるそうだ)

街道沿いの街並み。古い建物はほとんどないが、なんとなく街道の面影がある。

 

京阪電鉄の線路跡が公園になっている。

そろそろおなかが空いてきたけれど、周囲には何も無し。

一休みしておせんべい、飴など。 暑かったのでパイナップルの缶詰がおいしかった。

地蔵祠をあちこちで見かける。 どこも手入れが行き届き大事にされているのがわかる。

          

7月は祇園祭。 どの家にもちまきが飾られていた。

 

昔は山道だったろうと思われる道を行く。ポツッと東海道の道標。

 

亀の水不動。木食上人が道普請のため建てた庵跡。ここで井戸を掘りあて旅人の喉を潤してきた。

 

        

大乗寺。 酔芙蓉の寺として知られるが、階段を上るのがしんどそうで諦めた。

300年前に尼寺として開かれたが、近年は住職もおらず荒れ寺になっていた。

平成4年からの住職が、荒れた寺を整備し酔芙蓉を植え、近隣の名所にしていった。

京都近くの寺は代々手入れが行き届き、檀家もしっかりしていると思っていたが、

このように一度荒れ、復活する小さな寺もあるのですね。

 

車石広場

 

平成9年京都市営地下鉄の解説に伴い、京阪電鉄が廃線となった。

それに伴い三条通りが四車線化するなどの整備事業を行ったが、この公園はその事業の記念として作られた。

 

刑場跡

近くに罪人総数1万5千人が処刑されたという刑場跡があるはずだが、小高い部分が木々に埋もれ

よくわからなかった。

でも見つからなくて良かった。

鈴ヶ森刑場跡を通った時も、興味はあったが、今までの歴史を思うといたたまれない気がした。

 

山道を降りてきて、蹴上の浄水場を通り過ぎる。

この浄水場は日本最初の急速濾過方式の浄水場として明治45年に開設。

平成24年にリニューアルして現在も使用。 4600本のツツジの名所としても有名。

公開時に一度中に入ってみたい。

都ホテルに何度か泊まり、この琵琶湖疎水あたりから南禅寺にかけてよく歩いた思い出がある。

 

青龍山安養寺

          

小高い寺に行くには趣ある坂を上がっていく。

ここからは平安神宮の赤い鳥居が良く見えた。

 

 

麹の店「大阪屋」を見つけやっとランチ。

麹みそ丼と、??のサンドイッチ。

気に入った店が無くお昼を我慢していたが、やっと納得のいく店を見つけ、3人とも満足~

つい最近移転してきたそうだ。

私達ミーハーは、竜馬の結婚式場を見つけ大喜び。

そういえば川崎宿で「おりょう」さんが働いていた料亭がまだ営業しているのに驚いたっけ。

 

大将軍神社

桓武天皇が平安京を守るために四隅に置かれた代将軍神社の内の一つ。

邪霊の侵入を防ぐという意味がある。

 

いよいよ三条大橋。

 

大橋のたもとには駅伝発祥の地の碑が建てられている。

大河ドラマ「いだてん」にも駅伝発祥のエピソードが出てきましたね。

 

三条大橋到着。 やっと着きました。

三島から西は中抜きの東海道歩きですが、一仕事終えたようで、手放しで嬉しい。 

東海道を全踏破した方達の凄さと 三条大橋到着の喜びはいかばかりかと想像します。

 

この後はバスに乗って下賀茂神社へ。

偶然旅行の前日に、滋賀に住む友人からのlineで、みたらし祭りに行った写真が送られてきた。

これは行かなくっちゃ

「京都に行くので、明日行きます。」と返信したら、ビックリされてしまった。

入り口で蝋燭を貰い、靴を脱ぎ、水の中に。

冷たくて、 歩き疲れて火照った体に気持ちいい~~~

 

蝋燭をお供えし、お神酒を頂き

 

帰りには、鴨川の三角デルタの飛び石をぴょんぴょん!

・・・・・ではなく、そろりそろりと渡る(笑) 

一番若い仲間はぴょんぴょん可能世代だが、滑りやすい靴だったようで、気楽に誘ってしまった事を少々後悔

 

 

夕食は

         

 

新選組が乱入した「池田屋」跡が居酒屋になっており面白いらしい。入ってみた。

「階段落ち」の場面が再現されていた

人が飛んでる~~

 

好奇心旺盛な3人旅、まだ続きます。

 

2日目に続く

 

 

 

 

 

 

 

 

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叔父の13回忌 最後の東海道歩き

2018-06-07 16:38:34 | 東海道だらだら歩き

数年前の元文庫の旅行で買った佐渡のユリ。

ピンクと橙色が咲き終わり、最後の白が咲き始めた。

 

3日日曜日は叔父の13回忌、父方の親戚が集まった。

   

我が親戚中の大スター、96歳の叔母(父の妹)

藤色の色無地、自分で着たそうです。似合っていると皆が褒め、とてもご機嫌。

着物を着てお洒落しようという意欲が立派。

前日は三味線のお稽古。あちこち引っ張りだこで、毎日予定が埋まっているようだ。

自宅で法要後、バスで竹芝桟橋に。 船に乗ってお食事会。

 

  

写真はほんの一部ですが、美味しくて美しいフランス料理だった。

96歳の叔母、完食。ステーキも自分でカット、指先の力もまだまだ若者に負けず力強い。

健康で長生きの秘訣は食と好奇心とお洒落にありと実感!!

 

今東京湾にはいろいろな船が行きかっている。(中国風の海賊船?と高速船)

写真は撮れなかったが、水陸両用バスも見た。

叔父の13回忌はお天気に恵まれ、久しぶりの親戚と和気あいあい、和やかな会となりました。

叔母はこれが最後の法要と言ってました。

(6年前の叔父7回忌時もこれが最後と言っていましたっけ

元気なのは何より。

頭も体もしっかりしている叔母は、私達60代の希望の星、老い方の手本を見せてくれます。

まだまだお元気でいてね。

 

最後の東海道だらだら歩き  小田原宿

ずっと書きそびれていましたが、4月21日、最後の東海道を歩いた。

大分時間がたってしまったので、簡単に。

畑宿から小田原駅の一つ手前、箱根板橋駅までの約7km、ここが抜けていたので、やっと歩く事が出来た。

 

少し東海道を外れてしまったが、水の流れが気持ちよい場所で昼食。

 

 

道端にはシャガの花盛り。

紹太寺 小田原城主であった稲葉家二代正則が、父正勝と祖母春日局の菩提を弔うために建てた寺。

入生田駅の近くには日本で最初の有料道路があったそうだ。

今日のお土産は夏ミカン。

袋詰めしているおじさんが、このミカンは孫が収穫し(中学生)孫のお小遣いになると言っていた。

買いましょう。

でも重いので一袋がやっと。

 

やっと終点に到着。記念の一枚。

これで日本橋から三島まで全部踏破したことになる。\(^_^)/

    

小田原駅で、ビールで乾杯~~~

私達の東海道歩き、完了しました

 

これで街道歩きは終わった・・・・・はずが・・・・・

1か月後、新しい挑戦が始まってしまった

 

 



 

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東海道だらだら歩き11 2日目 三島宿

2018-04-15 17:48:17 | 東海道だらだら歩き





4月13日の昭和記念公園。朝天気が良かったので、おにぎり持参で見に行く。

毎年の事ですが、ここに来ると気分が生き返った気がします。

以前にも増して外国人の姿が多く、netで評判が拡散しているのでしょう。

 

東海道だらだら歩き2日目です。

4月27日 2日目

 前回の箱根越えの続きから歩く。 元箱根までバスで行き、三島行に乗り換え前回の終点、山中バス停へ。

今日も天気がよいわ~。

宋閑寺 山中城攻防戦で戦死した両軍の墓がある。(山中城は、北条軍と秀吉軍が闘い半日で落城した)

両軍の墓はともに立派。戦いの後、一体誰が建てたのだろうか?

両軍の墓があるというのが興味をひく。

歩き始めます。

前回私達は横から山中城に入ったが、こちらに正式な入り口があるのね。




これが寒さらし団子。アツアツで美味しい。朝ごはん食べたばかりなのに別腹で入ってしまう。



ここから箱根名物石畳に入る。

今日の目的は三島宿。

上手く撮れなかったけれど、これが日本一の吊り橋。

またいつか渡ることにして前進!!

 まとめられた道祖神がトタン屋根の祠に収められている。

この辺は人口が少なそう。旅人も減り、お参りする人も少ないようだ。

仲間の一人が、ハコベ食べられるのよと、摘み方を教えてくれた。

家で茹でたらチョッピリのお浸しになった。シャキシャキして春の香りがした。

もっと摘んでくればよかった。



三島まであと6キロ

凄い坂でしょ?

この辺は こわ飯坂と言い、あまりの急坂のため、背負った米が汗と熱でこわ飯になったという。

今は平均12パーセントの勾配だが、昔は40パーセントもあったという。

この辺から民家が増えてきた。

でっか~い大根は、箱根大根という。

鉄道や道路の整備で 峠の荷役の職を失った人たちが開墾に精を出したそうだ。

食べてみたかったけど、さすがにお土産に買えなかった。重すぎ

松雲寺。 ここで休憩(トイレもあり、ホッとする)

樹齢400年のヤブツバキや、明治天皇が腰かけ富士山を眺めた「御腰掛石」がある。

桜満開の法善寺

六地蔵 六地蔵が2セットと、お地蔵様1体、畑の片隅に祀られている。

大事にされているお地蔵様を見ると、温かい気持ちになる。

箱根路の碑



錦田一里塚。江戸から28里目にあたる。樟塚が両側に残っている。

最後の石畳。

着きました~~~ 三島大社です。



とりあえず、地元のジャガイモを使った三島コロッケをパクリ

 

東海道歩きの終点では桜がお出迎え。





やっと終点に着き感激です。

夕方なので少し薄暗くなり、桜の色がイマイチですが、豪華な枝垂桜が私達を歓迎してくれました。

日本橋から約110キロ、昔の男性なら4日か5日で着いたようですが、私達は11回、延べ13日。

一部歩き残しているので4月にもう一度歩いて三島まで完歩。

 

この先は歩きませんが、良いとこ取りで1、2泊で京都近くを歩くという話もあります。

いつになるかわかりませんが、三条大橋にたどり着くシーン、目に浮かびます。

 

ウナギを食べなかったのですが、食べればよかったなぁ~。

 

東海道だらだら歩きは4月下旬で、本当に最後です。

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東海道だらだら歩き11 1日目 小田原宿

2018-04-12 01:44:42 | 東海道だらだら歩き

このところブログアップをさぼっています。

時期が遅れましたが 満開の桜もう1枚だけアップさせてね。

3月25日の千鳥ヶ淵。 

ボートをよく見るとぜ~んぶ  若いカップル!

春うららに誘われ、全国から集まってきたのかも。のどかな光景です。

 

3月26日、27日は2度目の箱根越えです。(前回箱根越えは こちらをご覧ください)

26日 1日目    JR二宮駅を10時出発

 

74キロ地点から出発。 道路際には大きなクスノキ。この地域にはクスノキのが多い。

店先で干物。正真正銘の天日干し。朝誰かが釣ってきたのかしら?

住宅で海は見えないが、この辺の海岸は「袖ヶ浦」という。

ヤマトタケルの妻の弟橘姫が海神の怒りを鎮めるため入水し、

その袖が流れ着いた所から「袖ヶ浦」と呼ばれるようになったそうだ。

 

吾妻神社鳥居。  旧東海道の名残の道標から国道1号線を外れ、旧道に入るが、200から300m行くとまた1号線に戻る。

 

 

旧道にはヤマニ醤油の醸造元がある。大釜は何に使ったのかしら?

藤巻寺の樹齢400年の藤。今頃が丁度見頃かもしれません。見事な花が見られそうですね。

 

 

 

 

天気が良く、民家の庭先も花盛り。

 

 

 

このあたりには男女双体道祖神がとても多い。花が飾られ、今でも大事にされているようだ。

上の段の左側の2体の道祖神の祀られていた場所には、他にも数体道祖神が集められていた。

神奈川宿から藤沢、平塚宿までは庚申塚が多かったが、この辺で庚申塚は1つしか見なかった。

 

時々海が見える。 小田原市に入った。

浅間神社 桜の開花ももうすぐ。

            

小田原市のマンホールの蓋。小田原城と富士山、渡しの人足?

この車坂で、太田道灌、源実朝などが歌を詠んだ。

今は民家にさえぎられ何も見えないが、浜辺を片側に、寂しげな風景が、目に浮かぶ。

 

大山道道標。大山への参詣道。

藤沢の大山道道標にもあった不動明王が鎮座。

(偶然、「東京街角タイムトリップ」という都内の古い名残を訪ねる本を手に取ったら、

三軒茶屋にも大山道があり、その道標に石の不動明王が乗っているとあった。

開発のため、移動を繰り返したが、今も駅前に江戸時代からの道標が残っているそうだ。

この辺に行ったら見てみるつもりです)

 

 

昼食は国府津駅近くの「のんき亭」にて。

天ぷらの下に天ぷらがあり海老2尾、野菜が4種類、イカもあり、豪華版。

この辺に手ごろな飲食店が無く、ここは大人気。郵便局のお兄ちゃん達が十数人予約して食事していた。

ランチミーティングかな?

 

真楽寺は親鸞上人がこの地に7年逗留した時に命名した寺。もとは天台宗の寺であったが、親鸞に帰依し、真宗に改宗した。

ミカン問屋があり店先でいろいろな柑橘類を売っていた。

地元産の清見オレンジを買い皆で休憩の時に食べた。これナント200円。

昭和初期?の建物。たぶん駅前の映画館だったのでは? 

両開きの扉と壁面の装飾が そんな雰囲気を醸し出している。

でも裏を見ると、完全な木造。とりあえず前面だけ立派にして・・・・という事だったのだろうか?

興味をひく建物だったが、聞く人もおらず、詳しくはわからない。

 

酒匂小学校。 校庭にクスの大木がある。

夏になると木陰が涼しそう。緑陰という言葉が似合う大木。

 

日蓮宗法船寺。五重塔は檀家1300人の寄進で平成元年に伝統工法・総桧造りで建てられた。

これほど立派な新しい五重塔を見るのは初めてだ。

寺の入り口から本堂への参道は八重桜のつぼみが今にも開きそう。

満開の時に見てみたいものだ。

八重桜に松に五重塔・・・実に日本的な風景

 

 

いよいよ小田原城下に入った。

 

 

この道はかまぼこ屋が多い。というか かまぼこ屋さんだけがある。

      

この日のおやつは交流館の隣の伊勢屋で買った桜もち。

交流館でお茶も頂き、休憩。

交流館では中年の人たちが出たり入ったりで、少しざわついていた。

福島から来た観光バスが乗用車と接触したらしく、その乗客達がここで待機。

そのうち、パトカーが来て、乗客たちはバスに戻り、急に静かになった。

 

 

箱根登山鉄道の箱根板橋駅まで歩き、この日は終了。

湯本駅まで出て、巡回バスにて宿へ。

 

 この日はジンワリ暑くて、自分でも気が付かないうちに足が皆より遅くなっていた。

少しボーッとなったので急いで新たな水を買い、長めの休憩をとった。

仲間も普段は飲まないという、350ミリのカルピスを一気に飲んでいた。

私は軽い脱水症をおこしていたのかもしれない。

歩く時はきちんと水分をとるのが大事ですね。 まだ3月なので脱水症はないだろうと気を抜いていた。

すぐに回復したけど、気を付けなくっちゃ。

        

浅間神社にて。

 

1日目終了

 

 

 

 

 

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東海道だらだら歩き10 平塚宿・大磯宿

2018-03-31 09:16:15 | 東海道だらだら歩き

一昨日3月29日の多摩川べり 桜満開♪



 3月27日 静岡県・三島神社 

 東海道だらだら歩き、3月27日三島宿到着。満開の桜のお出迎えでした。

私達の東海道だらだら歩きはこれにて終了。

詳しくは次回に。

 

 最後の旅の前に、書きそびれていた第10回の平塚宿・大磯宿の報告を駆け足で。

2月11日 平塚駅から出発。

          

 今日は私を含めて4人で歩く。

 

平塚宿

駅前商店街、ここが有名な平塚七夕祭りの会場。

 

湘南ベルマーレのJ1昇格のお祝い垂れ幕が下がり、ベルマーレの専用車も停車している。

       

こんな看板もあり賑やかな商店街だ。

マンホールの蓋には海と七夕と、見物に来た人たち。

 

 ところが名所旧跡となると街道沿いには全く無い。

代わりにあるのは和菓子屋さん。2、30mおきに1軒ぐらいある。

 

古そうな看板に惹かれまずは豆屋さんへ。

歩き出してすぐにお土産を買ってしまった。「青えんどうの塩豆」、美味しくて、家で毎日ポリポリかじっていた。

 

 

老舗っぽい店構えではなかったが、「はまぐり最中」の看板に惹かれ店内へ。

 あんこも皮も自家製。餡がぎっしり詰まっていて皮もパリパリ。

包装も一つ一つ柔らかな和紙に軽く包んであり、丁寧に作られている感じ。

店内にあるソファーで気さくな店のおばさんとお喋りしながら食べた。

和菓子屋は昔の半分程になり、ずいぶん少なくなってしまったとの話だったが、

道中でこんなに和菓子屋の多い街は初めてだ。

和菓子祭りと言うのもあるらしい。

 創業を聞くのを忘れたが、間違いなく地元で愛されている和菓子屋のはず。

ここでもついお土産を買ってしまった。京都から仕入れたという雛あられ。

よそ様に渡すというと、箱に入れ、包装し、細い昔ながらの紙紐をかけてくれた。

一同ビックリ!!だって1000円もしないのです。

 

 

 いつもと違い、いきなりお菓子とお茶とお土産。

更にダラダラ気分が加速して、寺や神社があっても中に入らず、門前でお辞儀をするだけになってしまった。

 

平塚宿

江戸方見付跡(江戸方面からの宿場町入り口)の看板があり、

その後は脇本陣、高札場、本陣の碑が建っている。

 

            

高札場は今でいう街の情報センター、幕府、宿場のお知らせ等が掲示してあり、馬や荷物等の手配が出来る。

京方見付跡には立派な碑が建っていた。

            

京都側の見付からは高麗山が見える。

これが高麗山。前に建物があるが、往時もこのように山が見えたのだろう。

この山に天智天皇の頃、高句麗より渡来した人々が住み着いた。

 

善福寺、曽我十郎の子裕若が、妻虎御前が世の無常を感じて出家し、創建した寺。

 

しばらく行くと化粧坂。虎御前が使用した井戸がある。

古い店、「車屋の化粧そば」でランチ。天ぷらそばは 丼からはみ出すような大きな海老がのっていた。

 

大磯宿

国道一号線を外れ、脇道に入ると静かな松林が続く。

ここで恒例記念写真。

タイマーをセットし撮る段になると必ず車が横切り、3回目でやっと成功。

 

軒先にザボン。盗まれませんように!

 

地福寺

島崎藤村夫妻の墓がある。意外とシンプルで明るいお墓。

写真に撮り損ねたが、手前にある臥竜梅が、見事な姿。梅には少し早い時期だったが、満開の時は見事だと思う。

 

          

明治12年創業、はんぺんが有名な店。 保冷バッグが必要なため、荷物になるし買わなかった。

 

杵新。 ここも和菓子の老舗。  お腹がいっぱいで、残念ながら何も買わなかった。

 

 

大磯の松並木。

 

 大磯に明治時代山形有朋、大隈重信、西園寺公望などがこぞって別荘を建てた。

島崎藤村の旧宅や、鴫立庵(日本3大俳諧道場)元三井財閥の本家の別荘地が公園になっていたりと、

大磯は明治から昭和にかけて文化人、政財界人にとって特別な地となっていた。

旧吉田茂邸が見たくて 十数年前に大磯をめぐるツァーに参加し、じっくりと見学した記憶がある。

その後吉田茂邸は焼失し、今は再建され、見学することが出来る。

 今回の東海道巡りでは吉田邸に行けなかったが、また機会を作り行く事にしましょう。

大磯あたりからコンデジ電池切れで、ほとんど写真がありません。

なので説明も省略(笑)

二宮駅から帰宅。

    

二宮の蓋は椿のみでシンプル、名所がないのかしら?

 

次回は二宮駅から出発です。

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
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東海道だらだら歩き・8 保土ヶ谷宿・戸塚宿・藤沢宿

2018-02-02 12:17:31 | 東海道だらだら歩き

 前回のブログは第9回の東海道歩きでしたが、今回のブログはそれ以前、11月に歩いた東海道の報告です。

報告が前後しました。

 

 

11月26日

 第8回の東海道歩きは、変則的な歩き方となった。

第6回の歩きが(第7回は箱根)戸塚駅から出発したので、東戸塚駅と戸塚駅の間が未踏破(笑)となってしまった。

午前はこの抜けていた部分を歩き、午後は戸塚駅からバスに乗車,

第6回の終点小田急線藤沢本町駅まで行き、バス停「辻堂入り口」まで歩いた。

 

 この日は見どころが少なく、草ぼうぼうの神社、建て替えられ

まるで新築住宅の様な安易な造りの寺などが目立った。

唯一の景色が東戸塚駅近くのこの景色。

この辺の高台は品濃坂と言われ、京都から江戸に向かう東海道の最後の坂だった。

 

 

坂を下り、道路沿いの道を歩く。

往時を偲ぶものは何もないが、ぽつんと立っていた蔵。

 

        

民家の前にはタイ?の三輪タクシーtuktukが鎮座(珍座?)

 

増田家のモチノ木

 

神奈川の名木百選の木。

この後ろには茅葺屋根の旧家が残っていたらしいが、すべて壊され工事現場となっていた。

マンションでも建つのかな?

 

 

鎌倉ハムの誕生の地。明治20年、斎藤角次が英国人からハム製造を伝授された。

 

五太夫橋

        

 

戸塚宿に入る

江戸方見付跡。戸塚宿の江戸方面入り口

マンホールは箱根駅伝

      

大事にされず、荒れ果てた神社。  地域の心が感じられなくて侘しい。

これから人口が減るとこのような神社が増えるかもしれない。

 

戸塚大踏切跡

ここには開かずの踏切があった。

道路が迂回し、歩道は高架となり、写真だけが残っている。

 

清源院

    

この日初めてお寺らしい場所に出会えた。徳川家康の愛妾お万の方の創建。 

ここで記念写真。

いつもセルフタイマーで撮るのだが、台が無く、灰皿の台を引っ張ってきて写した。

ブルーが灰皿の台(笑) 勿論元に戻しましたよ。

 

ランチは戸塚駅前の「鮭だしらーめん」 有名らしい。大行列だった。

行列に並ぶのは時間もかかるし、どうしようか迷ったが、これも勢い、食べてみましょう。

意外と行列の進みが早く15分ほどで食べられた。 鮭の出汁の上品なお味。

  

 戸塚駅からバスに乗り、第6回の終点、藤沢本町駅へ。

ここから歩きだした。

藤沢市のマンホールの蓋は、もちろん藤の花。

 

 

嘉永2年創業の(1849年)創業の「豊島屋」 鶯餅と黄身時雨を買った。

感じが良いお店とは言えなかったが、お菓子はとても美味しかった。

私は黄身時雨。また買いたいと思った。行く機会はないと思いますが・・・・

 

 義経首洗いの井戸

          

義経の首は鎌倉で首実検のあと、浜に捨てられ瀬に乗って川をさかのぼり、拾われ、この井戸で清められたと言われている。

ここが小さな公園となっており、和菓子と持ち寄りのお菓子も食べ、一休み。

 

養命寺

12年に一度寅年に国の重要文化財の薬師如来像が公開される。

重要文化財の仏像があるとは思えない質素なお寺だが、由緒正しい歴史があるらしい。

 

おしゃれ地蔵

 

昔はこのお地蔵様に願をかける女性が後を絶たなかったのでしょう。

満願のあかつきにはおしろいを塗ってお礼をする。

 第8回の道筋で、ここだけは花が飾られ、今も大事にされていた。

 

メルシャン工場前を通り、「辻堂前」からバスに乗り、藤沢駅に。

駅前でコーヒー。この日は20000歩以上。

見どころが少なかったので、寄り道せずせっせと歩いた。

私達には20000歩が限界かもしれない。

 

 

 今年の着物 

  

 今年は雨や雪で、着る機会があまりなかった。

左から、藍大島。一番気楽で、よく着る着物。

真ん中 帯留めが曲がってますね。古典柄の小紋。

右 40代、着物初心者の時に購入したもの。凝った鮫小紋。

  帯は玩具尽くし・・・友人から頂いたもの。

 

気負わず着物を着ることが出来るのはあと10年位かしら?

体力がなくなり年々億劫になってくるかもしれません。

今のうちに頑張って着よう~っと

 

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