11月9日は雨。
運動不足になりそうだったので、傘をさし、図書館までお散歩。
こんな本がありました。
中身がシークレット プレゼント包装が嬉しいですね。
包装紙をほどいてみると・・・・・
読むのが楽しみ~。 図書館の粋な計らいでした。
先週から目が不調。ゴロゴロしていつも渋い感じ、そしてゴロゴロしているので眼医者に行来ました。
結膜炎だそうです。 目に細菌が入ったらしく、目薬を2種類貰った。
もう一つ目の不調があり、こちらは有明の病院まで。詳しくは後日。
眼医者通いが頻繁な1週間でした。
目の不調は鬱陶しいですね。
甲州街道歩き その3
11月4日は JR中央線鳥沢駅~大月駅まで歩いた。
下鳥沢・上鳥沢・駒橋、猿橋・大月宿と宿の数は多いが、この区間の距離は7㎞~8kmととても短い。
結論から言うと、この間にめぼしい見どころはほとんどない。
唯一、見るべきものは名勝猿橋。
今回の参加者3人は、3人とも猿橋を見るのは初めてで、始まりかけた紅葉を楽しんだ。
ただ、面白い事にそこここに古い街並みが残り、見学はできないが、
古い木造の建物が並んでいる様は、まるでタイムスリップしたようだった。
鳥沢駅近くの旅籠叶屋跡。明治20年建築「甲府商人定宿世話方」だったそうだ。
基本的に国道20号線を歩く。 小高い所にある福地権現神社。
山々には霞がかかり、山の中の街道を歩いているという実感が湧く。
明治天皇行幸の際に立ち寄られた場所。
甲州街道には行幸の碑が所々に残っている。
明治時代、天皇行幸が庶民にとってどれだけ有難く、印象深かったのかわかりますね~。
こんな山の中、参勤交代に利用する藩も4つしかない街道では、大大事件だったのでしょう。
写真ではよくわからないのですが、古いレンガ造りの水道橋発見!
京都南禅寺にあるような橋で、水量豊かな水がとうとうと流れている。
日本で水道橋を見るのは京都以外では初めて。
いったいこれは何だろうと、皆でアレコレ話したが、わからずじまい。
今回甲州街道の案内板が全くなく、国道20号線から小さく外れる場所が何か所もあるにもかかわらず、
横道を見逃してしまう事が多かった。
この横道は幅が広く、見逃さなかった
サンゴ樹?、花梨、柿、秋の実が、街道に彩りを添えている。
下右の実は直径3センチほど。いったいこれは柿なのかどうか?食べられるのか?
会津出身の参加者は、木の幹が柿っぽくないので違うと断言。
(猿橋の蕎麦屋で聞いたところ、柿の一種でした。食べられるそう)
猿橋と富士山のマンホールの蓋。
いよいよ猿橋到着
日本3大奇矯の一つで、橋げたを使わず、両岸から張り出した、4層のはね木で橋を支えている。
この橋は1851年の図面をもとに昭和に再建されたもの。
猿橋からの秋の眺め
橋のたもとにある昔からの蕎麦屋「大黒屋」
左は、馬肉団子のから揚げ。馬肉は初めてで、びくびくして食べたが、食べやすく、美味しかった。
ここに、あの水道橋の続きが見えた。
猿橋側からの眺め
重要文化財だったのですね。
右に見えるのは岩殿山?秋の景色が広がる。
道脇に集められた馬頭観音。
駒橋宿も特に何もなく、表示のみ。
集められた道祖神
1793年建立の秋津大権現常夜灯と、珍しい形の道祖神。甲州には丸石の道祖神が多いらしいが、初めて見た。
2時30分、大月駅到着。
暑くも寒くもなく、気候が良かったせいか、また距離も短かったので、全く疲れが残らなかった。
和菓子屋が1軒も無かったので、今日のお土産は、農協、八百屋で買った農産物でした。
猿橋の上で記念写真。
今年のブルーベリー。 暑かったのが良かったらしく豊作
でもジャムにすると一瓶にしかならないので、ヨーグルトに入れ、毎日食べている。
友人から桃を送っていただいた。見るからにみずみずしく、甘い
毎日いただいてます。ありがとうございます。
日本橋三井ホール コレド室町1へ
8月1日は久しぶりに友人と都心へお出かけ。
コレド室町1で開かれている「アートアクリウム 2018 江戸・金魚の涼」はいかが?とお誘いがあった。
12時半待ち合わせ、ランチは地下のアナゴ専門店で アナゴちらし寿司。
アナゴ専門店は初めて入ったけれど、ウナギほど脂っこくなく、美味しいのです。
会場は、若い人達が多く、浴衣姿のカップルも多数。
外人さんの姿も多く、ゆらゆら泳ぐ金魚を楽しんでました。
照明の色で雰囲気が変わる。
江戸切子の鉢で泳ぐ金魚。珍しい種類だと思うけれど、少しグロテスク。
江戸切子のグサッとしたカットが大好きで、このタイプの古いグラスを持っている。
金魚の衝立。
会場の雰囲気を写したかったが、照明が暗く、撮影失敗。
ビルの地下でアイスとジュース。 アイスには金魚のゼリーが入っていた。 可愛い~~
9月24日まで日本橋近辺では、金魚にちなんだイベントが数多く行われている。
(スイーツ&バル散歩、森の風鈴小道、金魚大提灯参道。金魚すくいグランプリ、などなど。)
無料巡回バスもあります。
でも・・・・私達は酷暑の外には出ず、このビルの中だけで楽しみました。
熱中症が怖い
友人の浴衣も素敵 初おろしだそうです。
私の帯は金魚模様。
8月3日 ミニミニオフ会
3日、だんだんさんと、tonaさんと三人で立川でオフ会というか、お喋り会。
だんだんさんとは1年8か月ぶり、tonaさんとは新年会以来なので8か月ぶり。
最近、家ばかりいるので少々人恋しくなり、お近くのお二人をお誘いしました。
場所はパレスホテルのビュッフェ、イル・ペペ。
ここは席が広々しており、ビュッフェ終了の3時までは食べながら飲みながらノンビリ~。
お二人とも暑い暑いと言われてましたが、毎日お出かけのご様子。
だんだんさんはナント前日御嶽山でレンゲショウマを見てらしたそうで、まぁ皆さんタフ
話題は近況、本の話、映画の話などなど、12時半から3時ぐらいまでの短い逢瀬でしたが、
何かと刺激を受けた時間でした。
7月1日 甲州街道だらだら歩き その2 関野宿
甲州街道歩きは、相模湖から下諏訪までは友人と行き、日本橋から相模湖までは夫と行く事にした。
夫の方は「夫と甲州街道歩き」とタイトルを変更した。
今回は友人と2回目。
7月1日だったので、ずいぶんと日が経ってしまった。遅ればせながらの報告です。
JR中央本線 藤野駅を10時15分出発。
まず、駅を降りた途端、迷ってしまった。
駅前の階段道を降りるとあるのだが・・・・なぜか通行止めの立看板が出ている
ほかの階段を探してよそのお宅に入ってしまったり、全く違う道に出てしまったりで迷う事30分。
最初の立て看板の道が正解と分かった。
がけ崩れが補強してあり、鉄骨の足場をよけながら階段を降りる。
全くわかりずらい。
藤野付近は芸術家が沢山住んでいる。このアートは中央高速道からいいつも見えている。
この日は暑かった。
仲間がパインの缶詰を凍らせて持ってきてくれた。おいしい~、何と気が利くのでしょう。
田舎道を歩き、、道しるべに出会う。
東海道のように案内板がある訳ではないので、いつも案内書とにらめっこ。
関野宿本陣跡にて
関野宿の家数は130軒、本陣1、旅籠3軒だったという。宿並みは明治22年と、その後の大火で焼失。
この近くの宿、小原宿は明治22年、吉野宿は明治29年と軒並み大火で焼失している。
この辺には乾燥した風が吹くのか?建物が密集していたのか?宿場全体が燃えるという事が良くある事なのか?
よくわからない。
ユリの季節だった。
相模川
船守寺・・・・当地出身の弥三郎が伊東で漁師となり、日蓮上人をまな板岩の流罪から救い出した。
弥三郎の分骨された遺骨が祀られている。
諏訪神社。 境内が広い。
歩き始めて2時間ほどなのに、迷いながら、道を確かめながらなので とても疲れた。
ベンチがあったので、諏訪神社でお菓子を食べたり飲んだりで30分以上休憩。
ついお喋り女子会になりそうだったので出発
旧甲州街道の碑 疱瘡神社・・・疱瘡の神を祀っている珍しい神社。
種痘により疱瘡が根絶するまでは、疱瘡神への信仰は篤かった。
この疱瘡時神社の裏手には塚場の一里塚があった。日本橋より18里目。
一見、土が盛られただけに見えるが、この上にカヤの木が植えられていたそうだ。
昼食は桔梗屋レストラン。仲間の一人がここを知っていて、案内してくれた。
けんちん汁とサラダは自由。 から揚げの入った冷やし蕎麦
お馴染みの桔梗信玄餅の入ったあんみつ。 桔梗信玄餅アイス。
この日の歩きは 無理しないという事で3時間。
お土産は、ここいらの名物・酒饅頭でした。
(近所の水路 先週です】
何の写真かわかりますか? 左側奥をごらんください。
そう、ここは渋谷、忠犬ハチ公前。
友人と映画を見るためにここで待ち合わせした。
ビックリしたのが、ハチ公前の外国人がお行儀よく行列している!!
勿論ハチ公と一緒に写真を撮るため。
展覧会で2か月ほど前に来た時は、この場所はハチ公と写真を撮るため、我先にと場所の取り合いだった。。
混沌としていた場所が、こんなにお行儀よく、日本風に行列が出来ているなんて変れば変わるもの。
短期間の変化に驚きだった。
それにしてもハチ公、人気あるのね。
見た映画は
30年間家から出ず、庭の植物や石や虫を愛して絵に描き続けた 熊谷守一。
彼94歳、妻76歳のある日のお話。
特に目につく事件が起こるわけではないけれど、観客からは時々クスっと笑いが漏れ、
家に帰ってからも声や場面を思い出し、数日心豊かに暮らした。
一緒に行った友人に会うのは半年ぶり。
友人が「会うと落ち着くわね~。出会いがパジャマ姿の、ノーメークだったからね」と言っていた。
11年前に病院で知り合った仲。お互いいろいろな事があったわね。
またの再会を約束して夕方お別れした。
甲州街道歩き始めました 甲州街道だらだら歩き・第1回 与瀬宿・吉野宿
甲州街道歩きを始めた。
東海道が三島まで終わったので、これで終了と油断していたら、仲間の一人が日光街道歩きを提案した。
「ちょっと暗そうだから、今回遠慮する」と言ったら、いつの間にか甲州街道を歩くことになっていた。
本心は休憩したいと思ったが、その日が近づいてくるにつけ、だんだん楽しみになってしまった。
第1回は5月27日、相模原から歩き始める事になった。日本橋から相模原はそれぞれ自分で歩く事になった。
甲州街道は日本橋から下諏訪まで44次、52里の距離となる。
途中、府中、八王子、大月、韮崎などを通る。
東海道は参勤交代で数多くの大名が通ったが、この甲州街道を参勤交代で使う大名は3つの藩のみ。
なので、東海道に比べると、グッと地味な街道だ。
全く知らなかったが、幕末新選組がこの道を通った。
鳥羽伏見の戦いで敗れた幕府軍が大政奉還の後江戸に戻り、勝海舟に全権を委任した。
江戸を戦火から守るために勝海舟は過激な集団の分散を図り、新選組には甲府城に入るよう命じた。
これが新選組を中心に編成された「甲陽鎮撫隊」。
甲州街道を幕末、土方歳三が通ったと思うとワクワクした。(土方ファンです)
5月27日 JR中央本線・相模湖駅から出発
快晴。 この辺は与瀬宿。 明治天皇与瀬御少休所跡がある。(ここが坂本本陣跡となる)
小高い山鵺にある慈眼寺からの景色。虫封じの寺として知られている。
相模湖が見える。
甲州街道は東海道のように矢印や道標などが整備されていない。
地図を頼りにこんな道を行き、
苔むしたお地蔵に出会い、美味しいキイチゴを食べ、天然の香り高いミツバに感激し長らくノンビリ歩く。
いろいろな種類の蝶が飛び交う別世界であった。
けれど、3、40分歩いても、なかなか目印にたどり着かない。
だんだん道が細くなり、最後は山道となった。
上に向かう矢印の先は明王峠、ここで間違いに気づいた。
やれやれ、いきなり道に迷ってしまったわ。
下に見える橋が正しい道。けれどここへの道は崩れていくことが出来ない。
やっと道標が現れた。
この辺から吉野宿。
石仏、石塔が沢山ある道に出た。
秋葉神社。古いらしいが、鳥居が竹でできていた。次々石仏が現れる。
相模湖が下に見える。
庭先でご夫婦が植木の手入れをしていた。これは小判の木と教えてもらった。
このご夫婦、私達がどこまで行きたいのか気にして下さって、丁寧に道を教えてくれた。
甲州街道を歩いていると言うとビックリされた。(まだ歩き始めて1日目ですが)
吉野宿の高札場跡。何もない。
吉野宿の宿屋、ふじやあと。今は交流館。
明治時代の吉野宿。
吉野本陣跡。明治29年の大火で焼け、土蔵のみが残った。
与衛門手打ちそば。 ここで遅いお昼。
つゆも蕎麦の粉にもこだわりぬいて、とても美味しいお蕎麦だった。
また食べに行きたいぐらい。
事前にこの蕎麦屋を知っていたからよかったが、この辺には全く食べる所がない。
まだ3時過ぎだったが、藤野駅から帰った。
ふじのやにて。
5月29日、夫と甲州街道歩き・第1回 小仏宿、小原宿
だらだら歩き第1回目を終えた後、甲州街道の小仏峠越えに挑戦したくなった。
夫に話すと大いに乗り気。2日後出かけた。
(いつものメンバーとのタイトルは、「甲州街道だらだら歩き」
夫との歩きは、「夫と甲州街道歩き」と2つのタイトルに分ける事にした。
夫の方は、日本橋からも歩いてみるつもり)
JR高尾駅京王バスの終点、小仏バス停へ。
3.8km歩いて小仏峠頂上へ。
頂上から見える景色。
小原宿清水本陣跡
神奈川県下で26軒あった本陣の中で唯一残っている貴重な建物。
これが見たくて、小仏峠越を越えてきた。
相模原駅まで歩き、帰宅。約11キロ歩いた。
この日の下りで、美女谷温泉を抜けてきた。
美女谷は歌舞伎でも有名な小栗判官の照手姫の出身地と言われている。
彼女が髪をとかし、水鏡とした谷の流れも見たが、今回省略。
甲州街道は地味だが、空気も景色も良く、それなりに面白くなりそうな予感がする。
次回は7月の予定。
数日コメント欄を閉じますので宜しくね。