今日21日は雨。
でもまだ梅雨ではありません。
今までで一番遅い入梅は6月22日だそうですが、
記録更新となるのでしょうか?
(夕方、ニュースで21日の入梅を知りました。観測史上2番目の遅さ!!)
最近読んだ本で印象に残った本。
西加奈子さんの「くもをさがす」
友人からすすめられ、図書館で予約したら350人待ち。
5か月後にやっと順番が来た。
2021年、カナダで乳がんが発覚、コロナ禍で日本に帰国することが出来ず、バンクーバーで治療した話。
乳がんが女性にとって身近な病気のせいか、予約者が多くてビックリ!
医療体制が全くわからない外国で「乳がん」宣告。不安しかありませんよね。
まず驚くのが、医療体制の違い。
日本では病気が発覚した病院で、あるいは小さい病院なら紹介で、入院する事が出来ます。ある意味ベルトコンベアーで治療まで完結。(病気によって異なる場合もありますが)
ところがカナダでは病気発覚後自分で入院先を決め、病院の指示に従い、入院先とは別の機関で支持された検査をする。
病院との折衝もすべて自分。入院まで大変な手間がかかる。
そして入院、片方の乳房を全摘してもその日のうちに、または一泊位で家に帰されてしまう。
家に帰されても体は動かない、食事の支度はできない。
どうするかと言うと、友人や、知り合いが食事をボランティアで届けてくれる。
病気への不安、友人達への感謝、そして助け合いの精神が生きているカナダの社会への考察。
イヤハヤ驚く事ばかりが書かれています。
全く異なる文化、社会の中での闘病、西さんよく頑張ったと言いたい。
正直、日本の医療、いろいろ不備はありますが、立派なものです。
幸田文の随筆は時々読みます。
文章が美しいのと、時々出てくる古い言葉や言い回しが、新鮮に感じる。
この3冊の中の真ん中「BLANK PAGE」
内田也哉子は樹木希林と内田裕也の一人娘。
時を置かずして二人を失くし、放心状態から、次第に人と会いたいと思うようになり、会いたいと切望した人達との対談集。
也哉子さんは本当に個性的な育ち方しており、小さい頃はオモチャも買ってもらえず、誰もいない家で、寂しさで一人泣いていたそうだ。
何とも痛ましい話であり、切ない話だ。
いつも母親から「どう思うのか?」と意見と決断を迫られ、緊迫した関係であった。
でも母は也哉子さんの成長に必要だという場には必ず同席させた。
いろいろな方と対談している中で也哉子さんの成長過程のしんどさが伝わってくる。
その小さい頃のしんどさが人間への深い洞察となって彼女の個性と深みを
作ってきたのが良くわかる本。
対談相手も一筋縄ではくくれない人たちばかり。
自分はつくづく平凡な生活をしてきたのだなと思わせる本でした。
「60年前の東京・日本」
主に60年前の電車が載っている。
著者ウォーリイ・ヒギンズはアメリカの大学を出て日本に来日。
国鉄の顧問をしていた。東京に在住。
日本全国を巡り、当時貴重だったカラーフィルムで鉄道写真を撮り続けた。
懐かしい~~~♬ 私の大好きな都電3番の写真が1ページ目に載っていた。
タイトルは「オリンピックと東京」 1964年の赤坂見附付近の写真だ。
一目見て紀尾井坂を下り、弁慶橋に向かう所と分かった。
都電3番は四谷見附から品川駅までの路線だった。
私の高校はこの沿線にあったので、時々この都電に乗り(といっても年数回だが)、品川駅から大森の自宅に帰った。
都心を通るので東京タワーも見え、居ながらにして東京見物の様だった。
時には四谷見付までノンビリ行く事もあり、紀尾井坂の途中にある停車場(10センチほどの高さのコンクリート)が、都心にありながらシンと静まり返り、うららかな陽ざしと共に懐かしい。
いつの間にか都電が消え「都電3番」・・・・もう覚えている方も少ないと思ったが、
こんな風に本の最初のページに勇姿が出てくるなんて嬉しい。
3400万円を残し孤独死した女性。身元がわからない。
共同通信の遊軍記者が その身元を丹念に調べていく。
推理小説の様な面白さ。友人が貸してくれた。
昨日まで読んでいた。
最近日本の話芸に惹かれている。神田松之丞は今は伯山を襲名。
一度国立劇場で聞いたことがあるが、張り扇のリズムの良さと勢いに吸い込まれた。
伯山の師匠・神田松鯉(しょうり)も2回聞いたが、素晴らしい!!
講談て古いものをそのまま読んでいるのかと思っていたが、
演者により、また時代に合わせてどのように工夫しても許される芸だと初めて知った。
また話により、師匠を選べるという自由さもあるらしい。0
伯山の公演に行ってみたいけれど、チケット取りが大変で、
今のところ諦めています。