人生黄昏時

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今帰仁城【7】

2016年03月20日 00時01分25秒 | 日記

  後昔北山時代 <1>

1322年に一族同士の権力争いに勝ち残り

北山の領主に就いたのが怕尼芝(はねじ)である


怕尼芝・(みん)・攀安知(はんあんち)と続き

3代94年、北部地域を統治する


その支配地域は

伊江島・伊平屋・奄美大島地方

国頭・羽地・名護・金武、沖縄本島北部地域

北山を権力の中心として統治していた

 

中国明朝の史書明実録に北山

三王が朝貢を行なったと記録がある


北山に関する最古の文献である

この朝貢交易記録によって

後昔北山は歴史的事実として認められている


前昔北山・中昔北山は裏付ける資料がなく

神話伝説伝承の域は出ない

 

怕尼知は1383年中国明に使者を派遣し朝貢交易を行う

1390年までに6回行われたとある

明朝により、王称号、王冠帯、王依など下賜されたとある


2代目(みん)(1369年~1400年)は1395年に

1回のみ交易を行っている


3代目攀安知(1396年~1416年)は19年間に

11回の交易を行なわれた


三代94年北山を統治して、北部地域は隆盛を極め

繁栄し争いのない平和であった時代とされている

 

怕尼芝(在位1322年~1390年?)の在位期間が

68年と長く初代と、2代、(みん)とのの間に

もう一代あって四代あったと推測されている

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