球陽
流球の歴史をサラ・さらっと紹介します
球陽とは
尚敬王代(1713年~1751年)に
流球の正史として、鄭乗哲(ていへいてつ)、
伊佐川親方祐実らによって、編纂された歴史書である
漢文体、編年体で記録されて、1745に年完成
その後も追記が行われ漢字と平仮名で記述されて
尚泰王代(1848年~1872年)まで記録されている
本巻二十二巻、同付巻四巻、外巻三巻、同付巻一巻から成る
全三十巻
正巻には歴代国王の治世と政治、経済、宗教、社会、文化
天地異変などの多岐にわたり
国王から百姓までの事象が収録されている
中国との外交関係など詳細に記述され
また附巻には日本国との関係について記されている
球陽の冒頭に、琉球開闢神話が記述されている
男神志仁礼久と女神阿摩弥姑を下界に遣し
琉球の島々と七御嶽を創り
一組の男女を地に降臨させて、三男二女が誕生した
長男は国君・次男は按司(あじ)・三男は百姓の始まり
長女は君君に(貴族の神女)
次女はノロノロの(地方の神女)の始まりとなった
長男の王は流球最初の王、天孫といい
この王統は25代17802年・・?続いたと記されている
源為朝来流も記述されていて
琉球第二王統なった舜天王統は
三代七十三年続き最初の王舜天は
源為朝の子と記されている・・?