日本では江戸幕府から、維新により明治政府が1867年誕生
新政府は、琉球を併合し、1871年琉球国は琉球藩となる
国王尚泰を琉球藩王となし、華族にし、これによって薩摩藩の管轄から
明治政府の直轄に移し、藩王・摂政・三司官の任命権を政府が掌握した
政府は琉球藩に対し、中国清朝との外交(朝貢)冊封関係を断つこと
明治の年号の使用、藩王(尚泰)自ら上京することなど強要するが
琉球は撤回するよう、請願を繰り返すが流れを変えることが出来ず
1879年(明治12年)明治政府から派遣された、松田道之が
随員・警官・軍隊を伴って、首里城に入り、琉球藩の廃止と
沖縄県の設置を通達する。(これを琉球処分とも言う)
琉球は沖縄県と改め、日本の一県となった
藩王尚泰(19代王)は華族として東京に居住する
ここに、約500年続いた琉球王国は終焉した
沖縄県設置に反対する、士族たちは中国に渡り清朝に救援を求めた
琉球に対して宗主権を主張する清国は、一方的な処分に強い抗議を行った
琉球問題は日清両国の重大問題に発展する
外交交渉の過程で、清国への先島分島が提案され調印の段階まできたが
最終段階で清国が調印を否定し分島案は破談する
1894年日本と中国清朝の朝鮮半島をめぐって戦争に成り日本側の戦勝により
沖縄帰属問題は、1895年、日本、清朝戦の講和条約で
沖縄全域を日本の領有権と確定したと成っている?