袋中良定上人 <6>
袋中は、中国明に渡る機会を待っていたが
その目的を果たすことが出来ず、1606年帰国する
沖縄で、三年の滞在期間であった
渡船を待ちつつ、浄土念仏の布教活動を熱心に行ってきた
尚寧王始め王府の高官、一般民衆も帰依し
沖縄の人々、文化に多大な影響を与えた
袋中が教えた、念仏踊りは
エイサーへと発展し沖縄各地域へと広まり
旧盆の時期には、全島で盛んにエイサー祭りが行われ
全国的に知られ有名になっている
袋中帰国、三年後沖縄は薩摩藩の侵攻を受け
琉球国王尚寧は薩摩に連行されて行く
その後尚寧王は、時の将軍二代目徳川秀忠に謁見するため
江戸への道中、京都伏見で袋中と親しく再開した
袋中に親筆と賛辞と肖像画・書棚・青貝掛板・クバ団扇・
西湖図など、三十数点余りの宝物、送られた
尚寧王直筆の肖像画には
「私は法を譲りて、師を奉げるため、師の像を描き
師が桂林寺を創建された、以来我が師と仰ぐ」と記されている
尚寧王と袋中上人の親交の深さ、信頼関係が伺える
これらの宝物は、現在京都府の博物館に保管されている
袋中良定上人は、1639年2月23日、八十八歳で入滅する