菊隠宗意 <2>
1609年に薩摩軍が琉球国に侵攻してきた
侵攻して来た経緯については諸説あるが
歴史学者の先生方はほぼ同じ事を述べている
薩摩藩の事情、江戸幕府の事情、琉球側の事情があったとしている
その経緯は、1602年睦奥伊達に、琉球国の船が漂着した
その時徳川幕府の命により、1603年に39人を琉球に送還した
また、1604年には平戸にも漂着し送還している
後に幕府は薩摩藩を介し謝恩使を派遣するように求めてきた
琉球側は無視、繰り返し要求したが琉球国は応じなかった
薩摩藩は改めて大慈寺の龍雲僧らを遣わし説得し
朝聘するよう求めたが琉球は応じなかった
当時幕府の鎖国政策(1612年から始まる)前で
そのころ各藩の商船が多数貿易のため琉球国に出入りしていた
薩摩は薩摩藩の朱印状を持たない
船舶との貿易を認めないよう要求したが
貿易国の琉球としては到底受け入れる事は出来なかった
それまでの良好関係が崩れ、対立関係が生じた
侵攻へと至る過程に大きく影響したと言われている